大学生の立ち位置が揺らいだ1960年代
山口
本日は鹿島先生がプロデュースされた洋書書斎スタジオ NOEMA Images Studioにて対談させていただくことになりました。こちらにある本はすべて先生の蔵書とのことで、圧倒される数ですね。私もそうですが、愛書家の多くは収納のキャパシティという問題に行き当たりますよね。特に家族がいるとスペースの制約が…。
鹿島
ええ、なかなか大変です。
山口
それで私もずいぶん蔵書を処分して、今でも後悔しています。
鹿島
少しでも資料集めの経験がある人なら理解してもらえると思うけれど、古本や資料というのは必要だと思ったものが実際には使い物にならなくて、「こんなの役に立つかな」と疑っていたようなものが最終的に役に立つことが多いのです。そうなると、困ったことに無駄な資料というものがほとんどなくて、古い雑誌なども捨てられない。だからできる限り広い住まいを求めて何度も引っ越しして、おかげで引っ越し貧乏です。家を選ぶポイントは、床がしっかりしていることと、本棚に使える壁ができるだけ多いこと。それ以外は問わない(笑)。
山口
そのような鹿島先生の「人生の軸がぶれていない」ところを私はとても尊敬していまして、お目にかかるのを楽しみにしておりました。
本日まずお伺いしたいのは、リベラルアーツについてです。昨今は、「今こそリベラルアーツが必要だ」という声がある一方で、「実社会で役に立たないから学んでも意味がない」とも言われ、10年ほど前には文系学部廃止論まで取り沙汰されました、このことについて鹿島先生はどう思われますか。
鹿島
自分のことを振り返ってみると、ちょうど僕が入学した年から東大紛争が始まったのだけれど、当時、問題になっていたのが教養科目の形骸化でした。それは東京大学だけに限った話ではなく、団塊の世代が大挙して大学に入った結果、教養学部の学生数が増えすぎて教育環境が悪化していたんですね。授業内容もルーティン化されたものが増えていた。そのため、大学紛争の多くは教養学部における学生の不満に端を発していました。
戦前の旧制高等学校で重視された「教養主義」、つまり読書を通じて人格を磨いていくというような考え方がだんだん廃れ、文化的と言うより制度的な教育が行われるようになったのが1960年代です。それによって知識人としての大学生の立ち位置が揺らいだことが、大学紛争の遠因ではないかと僕は思っています。ある意味、戦後の教育改革の行き詰まりを象徴していたのではないでしょうか。
また、もう一つの遠因として、全寮制がなくなり学生同士の知的な横のつながりが薄れてしまったこともあるかもしれません。戦前の旧制高校では大概どこでも、抜きん出た教養の持ち主が学生寮でリーダー的役割を担っていたものです。
山口
リーダーの資質は論客であることだったわけですね。
鹿島
そう。入試の競争率が高く、誰もが必死に勉強してきていたからこそ、学生寮での交流を通じて受験勉強以外の教養の持ち主が尊敬を集めたわけです。そして「自分も教養を身につけるんだ」とデカンショ(デカルト、カント、ショーペンハウエル)を競って読んだ。それが僕らより少し上の世代の話です。

大学生の増加と大学のレジャーランド化
山口
先生が『吉本隆明1968』(平凡社)で指摘されていたように、高度経済成長期に学生の大学進学率が上がり、大学生が一握りのエリートではなくなりました。苦労して勉強してきた一般家庭の子息は、ある種の知的責務を負っているという自負や教育内容への期待を持って大学へ入ったのに、与えられるのは一方的な教科書の朗読のような授業で、大学の権威も低下しつつあった。そのことに対する反発や不安が、全共闘運動のような活動につながったのですね。
鹿島
これはよく言っていることだけれど、僕の実家は酒屋なんです。戦前なら「商売人に学問はいらねえ」と言われたであろう、教養といったものとは無縁の家庭です。そのような下層中産階級の子どもでも優秀なやつは大学に進学させていいという風潮になり、自分も含めて「一族での最初の大学生」というのがどっと現れたのが高度成長期、1960年代です。
山口
吉本隆明も実家が船大工、いわゆる職人の家庭だったそうで、そこから大学に入り、戦後を代表する思想家になったというのは、当時の複雑な条件が重なり合った結果ということですね。
ただその後、1980年代頃からは、大学は学びに行くよりも遊びに行くところだという風潮が強まり、レジャーランド化していると批判されました。ですからデカンショだ、教養だ、と言って大学改革を訴えたりしていた時代は、意外と短かったことになります。
鹿島
そう、僕の実感としても短かった。高度成長期からバブルの頃までですね。僕は1970年代から大学で教師をやっていたけれど、授業態度が一番ひどかったのは1980年代。それが、バブル崩壊後10年くらい経つあたりから、学生が真面目すぎるぐらいになっていった印象です。
こうした変遷をどう考えればいいかというと、大学生というものがまだエリートだった時代はね、僕は「ドーダ」という言葉を使っているけれど…。
山口
東海林さだお氏の「ドーダ学」ですね。
鹿島
そう、人間の表現行為は「ドーダ!すごいだろう!」という自慢、自己愛に源を発するという理論です。それで、大学生がエリートだった時代はデカンショ、マルクス、レーニン、あるいは僕らの時代ならフーコー、デリダ、ドゥルーズなどを読んでいるかどうかを競う「ドーダ合戦」を大学生はしていました。その背景には、知的欲求もあったけれど、結局は物質的な利益を目的としていたのです。身も蓋もない言い方をするとね。
要するに、ドーダ合戦の裏には「女の子にモテたい」とか、「金銭的によりよい生活をしたい」とか、そういう欲求を隠していたということです。その隠していた欲求が、1970年代の後半からはストレートに表に出るようになったわけです。(第2回へつづく)
「第2回:「総合性」を持つ人間は、あとから強くなる」はこちら>

鹿島 茂
1949年神奈川県横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。元明治大学国際日本学部教授。明治大学名誉教授。専門は19世紀フランス文学。
『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。2017年、書評アーカイブサイトALL REVIEWSを開始。2022年には神田神保町に共同書店PASSAGEを開店。
『小林一三 - 日本が生んだ偉大なる経営イノベーター』(中央公論新社)、『フランス史』(講談社選書メチエ)、『渋沢栄一 上下』(文春文庫)、『思考の技術論』(平凡社)など著書多数。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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寄稿
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
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