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一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
ビッグテックには、せっかく新しい事業を買収しても、なぜか本腰が入らない構造的な問題があるのではないか。そんな「大企業における分母問題」を楠木教授が解説。その2では、Googleに買収されたNestを例に分母問題を解説する。

「第1回:『BUILD』に学ぶモノづくり」はこちら>
「第2回:Googleの大きすぎる分母」

※ 本記事は、2024年11月26日時点で書かれた内容となっています。

トニー・ファデルさんが起業したNestというスタートアップが、“スマート・サーモスタット”で事業を立ち上げ、その将来性に目をつけたGoogleに会社を売却したところまでが前回の話でした。

売却した後も、ファデルさんはGoogleの事業子会社となったNestの経営者として残りました。そこで彼が見たGoogleは、挑戦的で革新的なシリコンバレーの象徴といった以前のイメージとはあまりにかけ離れたものでした。社内ルールと手続きに縛られ、意思決定も非常に内向きで、異質なものを受け入れようとしない排他的な体質。買収後も統合はなかなか進まず、Nestの位置付けも二転三転し、結局ファデルさんは途中で辞めることになります。

Nestはサーモスタットを突破口に、スマートホームのプラットフォームを構築するというビジョンを持っていました。それを実現するためには、家庭内の関連機器との連携や制御などやるべきことが多くあり、莫大な資金が必要になります。ですからファデルさんは、Googleへの売却を決断したわけです。技術や人材が豊かなGoogleへの売却は最高の結婚のように見えました。

売却金額は32億ドル。その後5年間でNestのスマートホーム事業に40億ドルを投資するという約束も取り付けていました。さらにGoogleには、資金だけではなく最高の人財や技術、さまざまな企業とのリレーションがあるので、これ以上の組み合わせはない。ところが実際には、Googleのリソースが思うように使えません。例えばGoogleストアでNestのサーモスタットを販売したいと要望を出すと、社内手続きに1年かかる。Google Cloudを使おうとすると、とても値段が高い。

会社の中の間接費も重くのしかかってきます。Nest時代の従業員1人当たりのコストは25万ドルでしたが、Googleになるとそれが倍になりました。Googleの管理会計上、オフィスビルや会議室のコストはもちろん、社員に供与される無料のバスや食事やスナック、それからPCをネットワークに接続する費用などまでが全部間接費に乗っかってくるからです。ここまでの話は、複雑で肥大化したルールや官僚的な仕事のやり方など、従来の大企業病で説明がつきます。

2015年にはGoogleの持株会社として、Alphabetが設立されます。この体制になると、Alphabetはウォール街のアナリストに経営状況をきちんと説明しなければならなくなり、財務会計基準がますます厳しくなってNestの費用負担はさらに増大します。

また、Alphabetはハードウェアでも収益事業があることを投資家に示すために、Nestの収益化の前倒しを強く要求してきます。当時はGoogleのハードウェア事業がことごとく赤字だったからです。しかしそのうちに、これはもう戦略事業ではないし、コストがかかり過ぎるという理由で、AlphabetはNestを売りに出してしまいます。ファデルさんは、この時退社を決意します。(その後Nestの買収にアマゾンが興味を示したことでAlphabetは売却を取りやめ、Googleの中でNestブランドは継続している)

こういういきさつを見ると、新しい大企業病とでも呼びたくなるような「大企業における分母問題」が浮かび上がってきます。Googleは、売り上げも収益性もずば抜けて高い広告事業を収益基盤としていますから、これが経営判断の「分母」になります。そしてNestのような新しい投資分野は「分子」に相当します。Googleのようにあまりに分母が大きいと、それが分子の意思決定に影響を及ぼすことになる。これが僕の言う分母問題です。

Googleといえども人間が経営してる以上、評価の基準は相対的なものになりますから、あらゆる戦略的な意思決定で分母の大きさから逃れることはできません。なにしろ広告事業からの巨額の収益がありますから、有望そうな事業を持つスタートアップは高値で積極的に買収します。ところがいざグループの中に取り込んで巨大な分母の上に置いてみると、これが実に取るに足りない小さな商売に見えてしまう。当然、広告事業のような収益性が望めるはずもありません。にもかかわらず、満足できる分子にするために、過大な期待を寄せ、早期の業績を強いる。

それは土台無理な話です。結局何年か経つと、その事業に対する投資の組織的な正当性がなくなってしまう。典型的な例がNestでした。ファデルさんは、「Googleは積極的に買収をするけれど、すぐにやる気をなくして次の魅力的な案件に目移りしてしまう。Nestに何十億ドルも投資していることなど、すぐに忘れていた」と言っています。現にYouTubeを別にすれば、Googleの大型買収案件の大半は成功に至っていません。

これは経営者の失策や怠慢というよりも構造的な問題です。あまりに分母が大きい企業は、よほどのことがない限り買収した事業に本腰を入れられない。Googleに限らず、ビッグテックといわれる企業の多くはこの分母問題を抱えています。

「第3回:メタバースの需要」はこちら>

画像: 大企業における分母問題―その2
Googleの大きすぎる分母

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年,日本経済新聞出版)、『楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記』(2024年,日本経済新聞出版)、『経営読書記録 表』(2023年,日経BP)、『経営読書記録 裏』(2023年,日経BP)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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