「第1回:事後性」
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「第3回:文脈思考とその効用」はこちら>
「第4回:そんなにイルか?」はこちら>
※ 本記事は、2024年9月3日時点で書かれた内容となっています。
この年齢になって、「重要なことほど事後性が高い」ということがようやくわかってきました。前回人間にとって一番価値があるものは、記憶資産だという話をしました。しかし、どの記憶が価値を持つかということは、事後的にしかわかりません。例えば旅行に行って見たきれいな景色が記憶として残る、これは典型的な記憶資産のパターンですが、もっとささいな出来事が事後的に記憶資産として大きな価値を持つこともあります。
例えばこんなことがありました。うちの子どもがまだ小さい頃、家族3人でハワイに旅行に行った時のことです。ワイキキのお寿司屋さんに入って、カウンターでお寿司を食べていた時、僕と同じくらいの年齢だと思われる白人の男性と、小学生くらいの男の子がお客さんとして入ってきました。そして僕らの横のカウンター席に座るなり、男の子がこう言ったんです―――「コハダ」。
この瞬間の意外な感じがあまりに面白くて、今でも時々思い出してママと話をすることがあります。全然大したことではないのですが、振り返るとこれをきっかけにいろいろな記憶がよみがえってきて、大切な記憶資産になっています。しかしその時点で、「コハダ」が将来の重要な記憶資産になるとは想像もしていませんでした。これが、事後性です。
読書も、事後性が高いものの典型です。読書の価値を理解していない人にとって、読書の事後性を乗り越えることは容易ではありません。しかしそこにスキル習得という目的があれば、話は変わってきます。TOEICで900点をめざしている人は、効率的かつ確実にスコアアップできそうな本があれば躊躇なく読むでしょう。
ところがそういった直接的な目的があるわけではない読書の場合、読み終わって何年も経過してから、「あの時あの本を読んでおいてよかった」とか、「あの本に出合っていなければ、だいぶ人生は違っていたぞ」と改めてその価値を実感したりする。事後性の強い活動はインセンティブが効かない。しかし、インセンティブでやることはしょせんその程度のもの。インセンティブが効かないことほど長期的には価値があるものです。
ではどうやってこの事後性を克服すればいいのか。1つの方法は、四の五の言わずに読むというやり方です。本で言うと、歴史の風雪を耐えて読み継がれている名著や古典を、選り好みせずに読みまくる。苦痛であろうと退屈であろうと、読み通す。これが一番ストレートな方法で、何度か繰り返しているうちに読書の価値が分かるかもしれません。ただ、これは事後性をそのまま受け入れた上で正面突破しようということなので、つらいと言われれば確かにつらい。それができるならやっているよ、と言われそうです。
もうひとつの方法が、以前にお話しした2時間1万円作戦です。あの時は2時間2万円作戦と言っていましたが、読まれた方から2万円は高過ぎるとご指摘を受けまして、2時間1万円作戦に変更しました。この方法について改めて説明しますと、時間にゆとりがある日に、できるだけ大きな本屋さんへ行く。本屋さんに入ったら、入口付近の新刊とかベストセラーが陳列されたコーナーはスルーして、いつもは足を踏み入れないジャンルや気になるコーナーなど、あちこちの棚を2時間かけて見て回ります。そして今すぐに読みたい本だけを1万円分買う。文庫であれば大体10冊、新刊書なら4~5冊買えると思います。で、すぐにそれを読み始める。これが読書の事後性を克服する2時間1万円作戦です。
この作戦を遂行する時には、これを読んだらこういう知識が身に付きそうだとか、誰々がすすめているからという本選びは絶対にしてはいけません。自分の興味関心だけで本を選ぶ、そこにフォーカスしてください。インセンティブ(誘因)とドライブ(動因)は似て非なるものです。「こんなにいいことがあるよ」と誘ってくるものではなく、自分の中から自然と湧き上がってくる意欲に従う。これが事後性を克服するカギです。(第2回へつづく)
楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『経営読書記録 表』(2023年, 日経BP)、『経営読書記録 裏』(2023年, 日経BP)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
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シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
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山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。