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一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
今月はバブルの崩壊から現在までの株価の変化を軸に、ますます重要になる経営者の役割について掘り下げる。その1は、90年代後半の自動車業界全体が言説に翻弄された“400万台クラブ”について。経営者が“原因”と“結果”を取り違えると、“迷走”が起きる。

「第1回:経営者の迷走」
「第2回:利益の源泉の4つのレベル」はこちら>
「第3回:株高の原因」はこちら>
「第4回:株高の質」はこちら>
「第5回:長期的利益の創造」はこちら>

※ 本記事は、2024年5月16日時点で書かれた内容となっています。

何かについて考えたり、観察したり、評価する時には、何が「原因」で何が「結果」なのかをしっかりと押さえておく。それがとても重要になります。なぜかといえば、原因と結果の区別が甘くなったり原因と結果を取り違えると、「迷走」が始まるからです。

2020年に『逆・タイムマシン経営論』という本を書いた時にもここでお話しましたが、前世紀の終わりの自動車産業において「400万台クラブ」というものが話題となりまして、新聞や雑誌が連日取り上げて大騒ぎとなったことがありました。400万台クラブとは何かと言いますと、これからグローバル競争が厳しくなり、自動車への開発投資もますます大きくなるので、規模の経済が強く働くことになる。年間の生産台数が400万台を超える規模の企業以外は、今後生き残ることはできない。400万台クラブに入れるかどうかが自動車メーカーの生死の分かれ道だ、そういう話です。

日本で言えばホンダの規模では生き残れないし、ヨーロッパだとフォルクスワーゲンでさえ安泰ではないといった憶測が記事として飛び交っていました。メディアが騒ぐだけでなく、実際に経営者が動いたのです。衝撃的だったのは、1998年に大西洋を挟んでドイツのダイムラーがアメリカのクライスラーを買収し、ダイムラークライスラーという会社が誕生したこと。これが「400万台クラブ」騒動のはじまりでした。

アメリカのフォードは、当時ジャック・ナッサーという非常にアグレッシブな名物経営者が、「プレミア・オートモーティブ・グループ」という戦略を打ち出しました。もともと持っていた高級車ブランドのリンカーンに加えて、ジャガーやアストンマーチン、ボルボを買収してプレミアム市場で規模を拡張しようとします。対抗するGMは当時の新興国である中国に注目し、商業用の車両や小型車両が伸びるということでスズキといすゞをグループに加えました。

ヨーロッパではBMWとフォルクスワーゲンが、台数としては決して多くはないロールス・ロイスの買収を巡ってバトルになり、お互いが買収価格を吊り上げて今では信じられない金額になりました。結果BMWがロールス・ロイスを買収し、フォルクスワーゲンがベントレーを買収することになります。

その頃日本で何が起きていたかと言いますと、「日産の経営危機が深刻になっていて、ダイムラークライスラーと一緒になるのではないか。日米欧で1つの自動車会社ができるのでは」といった話がもっぱらでしたが、実際には土壇場でルノーと一緒になり、カルロス・ゴーンさんが送り込まれてきました。その頃のゴーンさんの発言を見ても、もうダイムラークライスラーが誕生して自動車業界の競争構造は一変してしまった。これからはもう400万台クラブ以外は生き残れないと言っていましたから、こういう認識が当時の自動車メーカーの経営者にあったことは確かだと思います。

その後400万台クラブ騒動はどうなったのか。ダイムラークライスラーは統合がうまくいかず、2007年にアメリカの投資会社に売却されたクライスラーは、GMと共にリーマンショックのときに破産法の適用を受けます。フォードは買収した企業を次々に売却します。その一方で400万台クラブに入ることのできなかったホンダが400万台の生産台数を達成したのは、実にその14年後のことでした。業績の山谷はありますが、ホンダは現在も独立した自動車メーカーです。

『逆・タイムマシン経営論』というのは、近過去のこうした出来事を振り返り、なんでそんなことが起きたのかを考えるという思考トレーニングの提案です。今から当時を振り返ると多くの自動車メーカーが完全に迷走状態にあったことは誰でも分かります。しかしなぜ400万台クラブ騒動は、自動車産業の根底を揺るがすような事態を招いてしまったのでしょう。

これこそ原因と結果を取り違えた典型的な例だと思います。普通の常識で考えてみると、競争力ある車を作ることができて、それを世界中で売ることができる。その結果が生産台数となって表れる。つまり生産台数というのは、競争力の「原因」ではなく「結果」なのです。

そもそも弱い者同士が一緒になって強くなれるのか、という話です。買収した時点では足し算で生産台数が増えるのですが、それは別に競争力を意味するものではありません。ダイムラークライスラーがまさにそうでしたが、買収は全然違うカルチャーを持つ企業同士が、うまくいくことを保証するものではありません。PMI(※)という統合プロセスの問題もありますし。
※ ポスト・マージャー・インテグレーション:M&A(合併・買収)後の統合プロセスを指す。経営統合、業務統合、意識統合の3段階からなる。

ある状況下におかれると、経営者といえども原因と結果の区別があいまいになり、迷走状態に陥ることがある。「400万台クラブ」はその典型です。原因と結果を取り違えた結果、「成長」が「膨張」にすり替わってしまいました。(第2回へつづく

「第2回:利益の源泉の4つのレベル」はこちら>

画像: 原因と結果~迷走する経営者~―その1
経営者の迷走

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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楠木健の頭の中

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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