「第1回:経営者の迷走」
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※ 本記事は、2024年5月16日時点で書かれた内容となっています。
何かについて考えたり、観察したり、評価する時には、何が「原因」で何が「結果」なのかをしっかりと押さえておく。それがとても重要になります。なぜかといえば、原因と結果の区別が甘くなったり原因と結果を取り違えると、「迷走」が始まるからです。
2020年に『逆・タイムマシン経営論』という本を書いた時にもここでお話しましたが、前世紀の終わりの自動車産業において「400万台クラブ」というものが話題となりまして、新聞や雑誌が連日取り上げて大騒ぎとなったことがありました。400万台クラブとは何かと言いますと、これからグローバル競争が厳しくなり、自動車への開発投資もますます大きくなるので、規模の経済が強く働くことになる。年間の生産台数が400万台を超える規模の企業以外は、今後生き残ることはできない。400万台クラブに入れるかどうかが自動車メーカーの生死の分かれ道だ、そういう話です。
日本で言えばホンダの規模では生き残れないし、ヨーロッパだとフォルクスワーゲンでさえ安泰ではないといった憶測が記事として飛び交っていました。メディアが騒ぐだけでなく、実際に経営者が動いたのです。衝撃的だったのは、1998年に大西洋を挟んでドイツのダイムラーがアメリカのクライスラーを買収し、ダイムラークライスラーという会社が誕生したこと。これが「400万台クラブ」騒動のはじまりでした。
アメリカのフォードは、当時ジャック・ナッサーという非常にアグレッシブな名物経営者が、「プレミア・オートモーティブ・グループ」という戦略を打ち出しました。もともと持っていた高級車ブランドのリンカーンに加えて、ジャガーやアストンマーチン、ボルボを買収してプレミアム市場で規模を拡張しようとします。対抗するGMは当時の新興国である中国に注目し、商業用の車両や小型車両が伸びるということでスズキといすゞをグループに加えました。
ヨーロッパではBMWとフォルクスワーゲンが、台数としては決して多くはないロールス・ロイスの買収を巡ってバトルになり、お互いが買収価格を吊り上げて今では信じられない金額になりました。結果BMWがロールス・ロイスを買収し、フォルクスワーゲンがベントレーを買収することになります。
その頃日本で何が起きていたかと言いますと、「日産の経営危機が深刻になっていて、ダイムラークライスラーと一緒になるのではないか。日米欧で1つの自動車会社ができるのでは」といった話がもっぱらでしたが、実際には土壇場でルノーと一緒になり、カルロス・ゴーンさんが送り込まれてきました。その頃のゴーンさんの発言を見ても、もうダイムラークライスラーが誕生して自動車業界の競争構造は一変してしまった。これからはもう400万台クラブ以外は生き残れないと言っていましたから、こういう認識が当時の自動車メーカーの経営者にあったことは確かだと思います。
その後400万台クラブ騒動はどうなったのか。ダイムラークライスラーは統合がうまくいかず、2007年にアメリカの投資会社に売却されたクライスラーは、GMと共にリーマンショックのときに破産法の適用を受けます。フォードは買収した企業を次々に売却します。その一方で400万台クラブに入ることのできなかったホンダが400万台の生産台数を達成したのは、実にその14年後のことでした。業績の山谷はありますが、ホンダは現在も独立した自動車メーカーです。
『逆・タイムマシン経営論』というのは、近過去のこうした出来事を振り返り、なんでそんなことが起きたのかを考えるという思考トレーニングの提案です。今から当時を振り返ると多くの自動車メーカーが完全に迷走状態にあったことは誰でも分かります。しかしなぜ400万台クラブ騒動は、自動車産業の根底を揺るがすような事態を招いてしまったのでしょう。
これこそ原因と結果を取り違えた典型的な例だと思います。普通の常識で考えてみると、競争力ある車を作ることができて、それを世界中で売ることができる。その結果が生産台数となって表れる。つまり生産台数というのは、競争力の「原因」ではなく「結果」なのです。
そもそも弱い者同士が一緒になって強くなれるのか、という話です。買収した時点では足し算で生産台数が増えるのですが、それは別に競争力を意味するものではありません。ダイムラークライスラーがまさにそうでしたが、買収は全然違うカルチャーを持つ企業同士が、うまくいくことを保証するものではありません。PMI(※)という統合プロセスの問題もありますし。
※ ポスト・マージャー・インテグレーション:M&A(合併・買収)後の統合プロセスを指す。経営統合、業務統合、意識統合の3段階からなる。
ある状況下におかれると、経営者といえども原因と結果の区別があいまいになり、迷走状態に陥ることがある。「400万台クラブ」はその典型です。原因と結果を取り違えた結果、「成長」が「膨張」にすり替わってしまいました。(第2回へつづく)
楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
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