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「第5回:人は生きているだけで価値がある」
社会的地位が自分の価値ではない
岸見
言葉の大切さとともにビジネスリーダーの皆さんに訴えたいのは、「自分の価値」というものについてよく考えてほしいということです。冒頭で、母の病床で気づいたことを話しましたが、特に企業の幹部クラスには「自分は仕事ができ、役職も収入も高いから価値がある」と思っている方が多くおられます。あるとき、リーダー研修で私が「人は働くために生きているわけではない」と話したら、思わず身を乗り出して耳を傾けた方がたくさんおられました。それまで身を粉にして働くことに何の疑問も感じてこられなかった方々にとっては衝撃だったのかもしれません。「何のために働いているのか」、「自分の価値は何なのか」というような根本的な問いから目を逸らしたまま働き続け、定年を迎えて社会的地位が自分の価値ではないことに気づき、ショックを受ける方も多いのではないでしょうか。
ある若い方の話ですが、4月に就職した会社を、5月の連休を待たずに辞めてしまいました。なぜ辞めたのか尋ねたら、最も大きな理由は「先輩や上司を見ていても少しも幸せそうではなかったから」ということでした。
私は彼の決断力に驚かされたのですが、確かに人は働かなければ生きていけないものの、働いていても少しでも幸せではないのだとしたら、働く意味がないと言っても過言ではないと思います。人間の価値というのは、少なくとも働くことだけではないはずですね。そのことを一度立ち止まって考えないといけないでしょう。
銀行の頭取まで務めた方が80代になって脳梗塞を発症し、身体が不自由になられたとき、ご家族に向かって「こんな風になった私にはもう生きている価値がない。死なせてくれ」と言い続けて困らせたそうです。その方が亡くなったあと、息子さんが私の講演を聞かれて、もしも父の生前にこの話を聞いていたら「お父さんが生きていてくれるだけで嬉しいんだ」と伝えられたのに、と悔やんでおられました。
私たちは何かをしなければ価値がないと思いがちです。でも、人の価値は行為によって決まるわけではありません。「存在だけで、生きているだけで価値があるのだ」ということに気づいてほしいと思います。
山口
「大きなのっぽの古時計」という歌がありますね。あの時計はもう動かないので時計としての役には立たないわけですが、おじいさんの思い出と結びついた存在自体に意味がある。役に立つものは他にもっと役に立つものがあれば換えられてしまうけれど、意味があるものはそれ自体に価値があるのだから、かけがえのないものですよね。人間も、働けなくなって役に立たないから必要ない、というものではない。役に立つかどうかで自分を評価していると、生きづらくなりますよね。
岸見
そうです。けれど就職するときは「役に立つ人材」として自分を売り込むわけでしょう。会社のほうも役に立つかどうかで採用していますね。「即戦力」というような言い方をしますものね。でも、すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる。現実的でないと言われるかもしれませんが、自分も他人も「役に立つ」という基準で測らないことが、ほんとうは大切なのです。
対等な横の関係を築こう
山口
モノの場合、役に立つものより意味があるもののほうが高く売れるということもありますよね。そうした話をしたとき、ある企業の人事部門の方が、人についても同じことが言えるとおっしゃっていました。新卒採用して、最初はともかく役に立つ人材にすべく教育を行うわけですが、役に立つというだけでは、いずれどこかで限界が来てしまう。その人がいるとチームが明るくなるとか、全体の力が上がるというような意味のある人になってほしいのだけれど、採用の段階ではつい役に立つかどうかを基準に見てしまう。だから自分たちも意識を変える必要がありそうだと。
岸見
そもそも役に立つかどうかで人を評価するということは、相手を自分より下に見ていること、つまり対人関係を縦の関係で見ているということです。
アドラーはすべての悩みは対人関係の悩みであり、縦の人間関係はその最も大きな要因であるとして、横の対人関係を提唱しました。小さな子どもも含め、人と人は対等な横の関係にある、その横の関係は「共同体感覚」によって実現できると説いています。
アドラーの言う「共同体」は、Gesellschaft(国家や会社など、特定の目的や利害を達成するため作為的に形成した集団)ではなくGemeinschaft(地縁、血縁などにより自然発生した社会集団)ですが、それ以上の広い意味も含んでいます。特定の集団だけではなく、過去・現在・未来、生物も無生物も含む「すべて」が共同体なのだと。それはアドラー自身も「到達できない理想」だとしていますが、「開かれた共同体」です。
「共同体感覚」は、Gemeinschaftsgefühlと言いますが、アドラーはMitmenschlichkeitとも言い換えています。「Menschen(人と人)がmit(共に)ある」という意味です。人は一人では生きられません。だから人と人はつながっている。でも、そのつながりは支配関係や依存関係であっていけない。個人が自立した存在として対等に結びついている、その中に自分の居場所があると感じられることを、アドラーは理想としました。
若い人と話していて気づかされるのは、親の言いなりになって生きる人が実に多いということです。いかに理不尽なことを言われても親に従う。それは親の支配に依存しているから、さきほども言ったように自分で判断することの責任をとらずに済むからです。そのような関係は断ち切って、ゼロから対等な人間同士としての横の関係を築くことが必要です。親子関係だけでなく、会社も含めた社会全般の対人関係も同じです。縦の関係では絶えず上の人の顔色をうかがうことになり、人からどう思われるかに汲々としながら生きていかなければなりません。
誰かに替えられることのない、ほかならぬ自分と、その内なるヒューマニティを大切にして自由に生きるべきです。自由には責任が伴い、ときには人から嫌われるかもしれませんが、ほんとうに大切なことは何なのか、答えのない問いだったとしても常に見極めようとする姿勢が大切です。
「わたしの人生を生きなければ、生きる意味がない」ということを、最後に強調しておきたいと思います。
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岸見 一郎(きしみ いちろう)
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。奈良女子大学文学部非常勤講師などを歴任。
著書に『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『生きづらさの克服』(筑摩書房)、『叱らない、ほめない、命じない。』(日経BP)、『三木清 人生論ノート』(NHK出版)、『エーリッヒ・フロム』(講談社)、『つながらない覚悟』(PHP研究所)、訳書にアドラー『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)『ソクラテスの弁明』(KADOKAWA)など多数。
山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
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パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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