「第1回:自由と責任を引き受けるということ」はこちら>
「第2回:人類を信頼して、声を上げる勇気を」はこちら>
「第3回:孤立はしても孤独ではない」
「第4回:私はあなたである」はこちら>
「第5回:人は生きているだけで価値がある」
逸脱があるからこそ社会が変化する
山口
ここ20年ほどの間に存在感を増している企業のビジネスについて概観すると、社会運動のような側面を持つケースが多いことに私は注目しています。儲かりそうだから、ではなく、脱炭素や環境保全といった社会的なコンセンサスのとれていなかった問題を提起し、事業を通じてその解決をめざす企業が成長しているのです。
おっしゃったように、最初は少数派であっても「これはおかしい」と言い出す人がいるからこそ、問題に気づく人が現れ、社会が変化していくのだと思います。チクリと刺すアブのような人の存在がその社会の活力につながるわけですね。
アメリカの政治学者、エリカ・チェノウェスは、世界では21世紀に入ってからの20年間だけでも20世紀の100年に起こったよりも多くの社会運動が起こり、かなりの程度それが成功していることから、「人口の3.5%が非暴力で立ち上がれば社会は変わる」と言っています。インターネットなどで一般市民が情報や意見を発信できる力を持てるようになったことで、個人が社会変革を起こす力は高まっていると言えます。
ところが日本では、社会変革に対する無力感が増しているようです。NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに行っている「日本人の意識」調査の項目の1つに「政治的有効性感覚」があります。社会運動や選挙での意思表示が政治に影響を及ぼしていると感じるかどうかを調べた項目ですが、影響を及ぼしていると感じる人の割合が回を追うごとに減少しているのです。
一方で、日本の犯罪率を調べてみると、刑法犯の認知件数は戦後最多となった2002年をピークに減少を続け、現在はピーク時の半分以下になっています。2002年にかけて件数が増加したのも、犯罪自体が増えたというより警察の対応が変化したためと見られ、青少年の重大犯罪も減少しています。治安がよいのは歓迎すべきことですが、それが社会変革に対する無力感とも関係している可能性があります。
フランスの社会学者、エミール・デュルケームは、犯罪がある社会は正常な状態で、犯罪は道徳意識の進化に有益なものであると説いています。犯罪だから非難されるのではなく、われわれが非難するから犯罪と呼ばれるのだ、と。そのデュルケームの言説を基に、社会心理学者の小坂井敏晶氏は『社会心理学講義』の中で「犯罪と創造は多様性の同義語である」と書いています。正常な社会では、社会を維持するために規範というものが成立するために、それに対する逸脱がある。逸脱の中でポジティブに評価されるものは創造として受け入れられ、否定的にとらえられるものは非常識、場合によっては悪として排除されるけれど、それは後付けの整理でしかないわけです。
逸脱=犯罪が起きないということは多様性が低く、創造や変化も起きにくい。逸脱があるからこそ社会、組織、システムが変化する。そう考えると治安のよさと社会の閉塞感は矛盾しないことになりますが、社会の秩序と、逸脱の許容、つまり規範や常識だからと思考停止せずと自分で考えて行動することの両立は可能だと思われますか。
一人の力は計り知れないほどに大きい
岸見
逸脱というのは、別の言い方をすればエキセントリックということです。「常軌を逸した」というようなネガティブな意味もありますが、三木清はその名詞形「エキセントリシティ」を「離心性」と訳しています。中心から離れる性質です。中心というのは常識的な価値観で、人間はそこから離れたがるもの、だからこそ昔から中庸ということ、「ほどほどに」ということが日常性の道徳として力説されなければならなかったのだと三木は書いています。山口さんが「大人」と表現されたことを、三木は「世なれた利口な人達」と言いました。そういう人たちはエキセントリックに生きたいけれどできなかったから、あきらめて「大人」になったわけです。
エキセントリックな人のことを、エーリッヒ・フロムは「よそ者」と表現しました。少数派、異端者ですね。そういう人が創造し、世の中を変えていく。そして、逸脱が犯罪でなく創造であるためには、フロムの言葉を借りれば、「理性」と「愛」を発達させることが大切だと思います。
ですから私たちは、本来持っているはずのエキセントリシティを発揮することを恐れてはいけない。問題なのは、エキセントリックに生きようとすると、必ずといっていいほど「孤立」することです。けれど、たとえ孤立したとしても「孤独」にはならないと私は考えます。なぜなら、さきほども言ったように声を上げた人を支持する人は必ずいるからです。
孤立しても孤独にはならないことを信じて、正しいことを恐れずに主張する人が社会には必要です。さらに言えば「それを行うのはあなた」です。ほかの人が声を上げるのを待っていてはいけない、ということを強く言いたいと思います。
山口
先生の『嫌われる勇気』の問題意識の核心はそのことにあると思います。あの作品が日本のみならず世界中で広く支持されているのも、「孤立する勇気が持てない」閉塞感が全世界を覆っていることの証左かもしれないですね。
岸見
そうですね。『幸せになる勇気』との二部作が世界合計1200万部以上売れているというのは自分としてもとんでもない数字だと思いますけれど、ベースとしているアドラー心理学が、誰もが感じている問題点を指摘するものだからではないでしょうか。
山口
とはいえ、孤立を選ぶのはやはり勇気が要ることです。
岸見
わかっていても難しいことだろうと思います。でも、一人の力というものは思った以上に大きいものです。『嫌われる勇気』の中で哲人に語らせたように、「わたしの力は計り知れないほどに大きい」と信じる人が増えてほしい。世界を変えるのは「わたし」以外にないのだということです。組織であれば、自分が入った途端に、もはや自分が入る前の組織ではなくなるのだ、というぐらいの気持ちで向き合うことが大切だと思っています。
岸見 一郎(きしみ いちろう)
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。奈良女子大学文学部非常勤講師などを歴任。
著書に『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『生きづらさの克服』(筑摩書房)、『叱らない、ほめない、命じない。』(日経BP)、『三木清 人生論ノート』(NHK出版)、『エーリッヒ・フロム』(講談社)、『つながらない覚悟』(PHP研究所)、訳書にアドラー『人生の意味の心理学』(アルテ)、プラトン『ティマイオス/クリティアス』(白澤社)『ソクラテスの弁明』(KADOKAWA)など多数。
山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。