「第1回:共同書店という発想。」
「第2回:メモの取り方。」はこちら>
「第3回:書評家という仕事。」はこちら>
「第4回:思考の技術。」
※本記事は、2023年5月31日時点で書かれた内容となっています。
全共闘時代の原体験
楠木
今日は、以前この連載でもご紹介した神保町の「PASSAGE」にお邪魔しています。店内の一つひとつの本棚に“棚主”がいて、新刊・古書を問わず棚主がセレクトした本を置く、共同書店というスタイルの本屋さんです。僕も棚主として、読み終わった本を中心に置かせてもらっています。今回は、このPASSAGEをプロデュースされたフランス文学者・書評家の鹿島茂さんにお話を伺います。鹿島さん、よろしくお願いします。
鹿島
よろしくお願いします。
楠木
PASSAGEがオープンしてどのくらいになりますか。
鹿島
2022年の3月からなので、1年以上経ちました。
楠木
どういう狙いでPASSAGEを始められたのでしょうか。
鹿島
PASSAGEの母体になった書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」を2017年に立ち上げたのですが、商業化の面でオンラインの限界を感じていました。実際に売るモノがあるか、ないかの違いは非常に大きいな、と。
この考えを持つに至った原体験は、全共闘(※1)に参加していた学生時代にあります。東大の安田講堂が陥落したその日の夜に、新宿の街頭で救対(※2)資金へのカンパを募ったのです。
※1 全学共闘会議。1968年から1969年にかけ、当時新左翼と呼ばれた学生らによって日本の各大学で組織された、学生運動の連合体。
※2 救援(救護)対策の略。あるいは救援対策を行う組織。デモなどで逮捕された学生に差し入れをしたり、弁護士を差し向けたりした。
楠木
いきなり面白い話です(笑)。
鹿島
ところが、興味を示してくれる人はいても、お金はなかなか集まらない。そのときにふと思いついたのが、「何かを売って救対資金に充てればいいんだ」と。
ちょうど駒場寮に、東大全共闘のメンバーだった柏崎千枝子さんという人の『ゲバルト・ローザ闘争の手記』という本が大量にありました。出版元のノーベル書房が倒産してしまい、その担保として取っておいた在庫の本たちです。これを売ればいいじゃん、と。
それを持って再び新宿に行ったら、もう飛ぶように売れました。モノがあれば必ず買う人が現れる。あるとないとはえらい違いだと、このとき学びました。
楠木
モノを買いたくなるのは人間の本性なので、その後インターネットが登場しても全然変わっていない。
鹿島
変わっていません。商行為の基本は、対価に見合った商品を消費者と交換できるかどうかにある。その中でも、モノの持つプレゼンスは非常に大きいのです。
ガラス天井のアーケード街
楠木
共同書店というアイデアはどのようにして生まれたのですか。
鹿島
「自分にとってこういうものがあったらいいな」が起点にあります。
おそらくほとんどの物書きが感じることだと思うのですが、大型書店に行くと、自分の書いた本があまり置いてない。「なんで俺の本が1冊しかないんだ!」――思わずそう叫びたくなる状況が結構あるのです。
楠木
読んでもらうために書いているのに。
鹿島
ええ。それは出版社も同じで、取次に頼んでもなかなかお店に置いてくれない。読み手としては、自分が好きな傾向の本を並べてくれている書店があれば贔屓(ひいき)にするのに、なかなかそういうところがない。それぞれにジレンマを抱えているのです。
だったら、自分で書店をやるにしても、棚を人にまた貸しして、それぞれの棚主に自由に本を置いてもらったら、面白いお店になるのでは――と思ったのです。ただし、商売として成り立つには、本が「売れる」ことが絶対条件。であれば、本を求めて人が集まる土地でないといけない。となると、やっぱり神保町だと。空き物件を探していたときに、ちょうどこの場所が見つかったのです。
ご覧のとおり、うなぎの寝床みたいに非常に細長い店舗なので、一般の商店には向いていない。でも、それが我々にとっては幸いしました。
楠木
壁や天井を見てわかるとおり、単に元からあった空間を使うのでなく、内装に相当お金をかけてらっしゃいますよね。
鹿島
パリのパサージュというアーケード街がモチーフになっています。
パリという街は、中心にあるシャルル・ド・ゴール広場から12本の大通りが放射状に伸びています。ある大通りに一度入ってしまうと、隣の大通りに行けないというジレンマがずっとありました。ところが、フランス革命が起きたときにパリからいなくなった貴族の土地を、国家が没収して民間に売り出したのです。それを買い取った人が、大通りから大通りへ通り抜けられるように、新たに路地を設けました。
単に通り抜けにしただけでは人を呼べないので、路地の両側に商店を並べ、さらに、当時新しいテクノロジーだった鉄とガラスを使って、ガラス天井のアーケード街にしたわけです。これがフランス語で「通り抜け」を意味するパサージュで、多くは19世紀前半につくられました。
パサージュはかなり賑わったのですが、19世紀後半、デパートの登場で寂れてしまいます。ところが、なくなりそうで、なかなかなくならなかった。たくさんの店子が入っていたために、新橋の雑居ビルのように連綿と20世紀を生き延びたのです。そして1980年代に入ると、風向きが変わります。モードの最先端を走るファッションデザイナーから生まれた「古いものこそ新しい」とするモードレトロの潮流に乗り、パサージュは見事に復活を遂げます。そして現在も、大人気スポットとして愛されています。
僕はそのパサージュをイメージして天井や壁のデザインを設計者に依頼しました。
“provenance”に古本の価値を見る
楠木
今、PASSAGEにはどのくらいの棚主がいらっしゃるのですか。
鹿島
今日の時点(2023年5月31日)で362です。
楠木
すごい数ですね。とにかく、商品構成が一般の書店とはまったく違う。棚主が「面白いから、だれかに読んでもらいたい」と思う本が並んでいる。それが362通りある。
線や字を書き込んだ古本をブックオフに持って行っても、当然、値段は付きません。PASSAGEではむしろ、そういう本がよく売れる。直近で言うと、5月は僕の棚から50冊以上もお買い上げいただいています。これって、非常に新しい本の売れ方だと思うんです。僕みたいに大量に本を読み、大量に処分する人間にとって、PASSAGEはありがたい販売チャネル。かなり頻繁に納品に伺っています(笑)。
鹿島
「商品の価値って何だろう?」と考えたときに1つ言えることは、新刊本は大量生産なので、だれが購入しても価値は同じ。一方で、古本というものは1冊しかない。かつてだれが所有していたのか――フランス語で言うprovenance(出どころ)がそれぞれ異なる。そこに価値がある。どんな経歴をたどってきたかによって、価値の付け方はさまざまなのです。
意図していなかった、棚主の喜び
楠木
PASSAGEに置いている本が売れると、棚主のスマートフォンやパソコンにリアルタイムで通知が来る。これが非常にうれしいんです。
鹿島
支払いをキャッシュレス決済に統一したからできることです。家族経営の小規模な書店は、3人以上の人件費がかかるとなかなか成立しません。キャッシュレスにすることで、一部のお客さまには不便が生じるかもしれない。でも、店側の手間は減る。結局のところ、面倒なシステムでは商売は成立しません。
一方で、今おっしゃっていただいたようなメリットも生まれています。棚主の中には有名作家もいらっしゃいますが、そういう方でも1冊売れるとすごく喜んでくださるのです。
商売において、儲かることは確かに大切。ただ、それだけでは続かない。「この商売をやることで、だれかのためになっているんだ」という、ある種の承認欲求を満たしてこそ、商売を続けられるのです。
相反する2つの欲求
鹿島
人間は「自分1人でやりたい」「みんなと一緒にやりたい」という正反対の欲求を併せ持っています。いろいろな商売を見て思うに、この両方を満たしていないとあまり上手く行かない。
昔、イラストレーターの故・和田誠さんが、1人で無人島に行ったと仮定して、理想の過ごし方をこう語っています。「そこには、自分の好みの作品ばかり上映する映画館が建っている。で、入っていくと、なぜか観客でいっぱいになっている」。
楠木
無人島なのに(笑)。
鹿島
映画を1人で観たい。でも、みんなと一緒に観たい。明らかに矛盾しています。ところがPASSAGEでは今、それに近い現象が起きています。思い思いの本を置いている棚主同士が、「え、こんな本があったの?」とお互いの棚の本を買い合っているのです。オープン前は、あくまでも「専門性を持った古本屋の集合体」くらいのイメージしか持っていなかった僕にとって、驚きの現象です。
まったく予想しなかった出会いというものは、インターネットの世界よりもリアルな世界にこそ起こり得るものだと、あらためて実感しました。(第2回へつづく)
鹿島 茂(かしま しげる)
1949年、横浜市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。元・明治大学国際日本学部教授。専門は19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、1996年『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、1999年『愛書狂』(平凡社)でゲスナー賞、2000年『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞、2004年『成功する読書日記』(文藝春秋)で毎日書評賞を受賞。近著に『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)、『この1冊、ここまで読むか!』『多様性の時代を生きるための哲学』(ともに祥伝社)など
楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
PASSAGE by ALL REVIEWS(東京都千代田区・神保町)
今回取材にご協力いただいたPASSAGE(パサージュ)は、地下鉄神保町駅のA7出口から徒歩1分、すずらん通りという古書街にある共同書店。店内の本棚には、300を超える「棚主」が思い思いにセレクトした古書や新刊が並ぶ。プロデュースした鹿島茂氏が主宰する書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」に登録している書評家をはじめ、出版社、特定のジャンルの古書を集めている個人など、棚主は実にさまざまだ。まずは、棚ごとにコンセプトが異なる店内をじっくりと見て回り、お気に入りの棚主を見つけてほしい。ちなみに、古書の価格設定もそれぞれの棚主が自由に行っている。お支払いはキャッシュレス決済(電子マネー、クレジットカード)のみ対応なのでご注意を。購入した本は、同じビルの3階にあるカフェ「PASSAGE bis!」に持ち込んでお読みいただくことも可能だ。古本の街に現れた新しいスタイルの書店、PASSAGE。ここに来れば、あなたが予期しなかった本との出会いがあるかもしれない。
PASSAGE by ALL REVIEWS
東京都千代田区神田神保町1-15−3 サンサイド神保町ビル1F
都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線の神保町駅 A7出口徒歩1分
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
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新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
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私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
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