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「第2回:『グローバルのベンチャー・エコシステム』とは」はこちら>
「第3回:北欧の奇跡」
「第4回:グローバルから見た、日本のガバナンス問題」はこちら>
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ベンチャー・エコシステムの潮目を変えた、CreandumとSpotify
楠木
スタートアップ不毛の地だった北欧に、ある時期から急速にメガビジネスのスタートアップが次々と生まれています。現地ではどんなことが起きていたのでしょうか。
中村
始まりは2000年代中頃のスウェーデンです。ある大学の年金機関が国内のベンチャーキャピタル(以下、VC)に何度か投資を試みたのですが、どうも上手く行かない。まったく違うやり方に変える必要があると気づきました。そこでアメリカの事例を調べるうちに、カウフマン・フェローズ・プログラムの存在を知り、代表だったフィル・ウィックハムさんに連絡をしたのです。「これからスウェーデンにVCをつくろうとしている。General Partner(無限責任出資家)の若手をそちらで学ばせて、まったく新しい投資のノウハウを身につけさせたい」。
その人選が面白い。VCの経験がまったくない、アメリカの大学を出てコンサルで働いていた人、MITを出た人、ハーバードのビジネススクール帰りの人などを選抜して、カウフマン・フェローズに派遣したのです。
そのうちの1人がわたしと同期で、彼はカウフマン・フェローズに通いながらCreandum(クランダム)というファンドを立ち上げました。で、フィルさんにアドバイザーとなってもらって、プログラムの生徒としても2年間学びながら、ファンド運営のノウハウを身につけていきました。
わたしがカウフマン・フェローズに在籍して2年目の2008年、Creandumのメンバーから「スウェーデンのスタートアップに投資した」という話を聞きました。これが、2006年に創業したばかりのSpotify(スポティファイ) だったのです。今でもよく覚えているのですが、彼はSpotifyが手掛けようとしていた音楽配信サービスの無料のテストアカウントを生徒たちに配布していました。すると、1期下のクラスに在籍していたFounders Fund(ファウンダーズ・ファンド※)のメンバーがSpotifyに興味を示し、共同投資することになったのです。そして2011年、Spotifyはアメリカ市場に進出します。本当にあっという間の出来事でした。
※. アメリカのトップVCの1つ。
CreandumはいきなりシリーズA(※)で、Spotifyに2000万ドル超(約25億円)を投じていました。それ以前は1億円や5000万円をみんなで投資する“ミジンコ投資”をしていたのですが、カウフマン・フェローズで学んだアメリカ方式のシンプルな投資契約書で巨額の投資を実行したのです。これが、Founders Fundとの共同投資を呼び込んだのです。
※ スタートアップ企業がVCから初めて資金調達するラウンドで発行する優先株。
Spotifyのアメリカ市場進出は、ヨーロッパのベンチャー・エコシステムにおいてまさに歴史的な出来事でした。しかもそれを、2010年前後にアメリカの名だたるスタートアップが挑戦してことごとく上手く行かなかった、音楽業界でやってのけたのです。
グローバルベンチャーをめざすなら、まずはCreandumへ
中村
その出自ゆえに、Creandumのメンバーはヨーロッパ方式のクローズドな投資カスタムや投資契約をそもそも知りませんでした。だからアメリカン方式のシンプルな投資契約ができて、企業価値を高め、どんどん拡大していきました。
その後、ヨーロッパ各地でフィンテックのスタートアップが次々に創業するのですが、それらがこぞってCreandumに投資を要請するという事態が起きました。「Creandum はFounders Fundなどのトップファンドを紹介してくれるから、アメリカ市場に進出できる」と考えたからです。結果、「グローバルベンチャーをめざすなら、まずはCreandumから資金調達を」という潮流ができました。Spotifyのアメリカ進出からわずか4~5年後のことです。
楠木
当初のSpotifyはCDを売るビジネスでしたが、そこからストリーミングサービスにシフトしました。VCの示唆や関与があったのでしょうか。
中村
サブスクリプションサービスを行うにあたって、ラジオと同じような著作権の扱いでのライセンス契約を主要音楽レーベルと結ばなくてはいけないのですが、それを後押ししたのがVCでした。その後、ヨーロッパの一部でつくった実績をさらに拡張していく段階では、VCがいろいろなミュージックレーベルをSpotifyに紹介しました。
チャレンジ精神ではなく、プロフェッショナリズム
中村
Creandumの創業者は、先ほどお話ししたようにVC未経験でカウフマン・フェローズに入ってきました。それでも、高度な専門知識を身につけさせることで優れたキャピタリストに変身できるという好例です。
冨山
むしろそのほうがよいと思います。変に業界のことを知っていると、慣習や文化に引っ張られてしまうから。
楠木
もちろん、何から何までアメリカンスタンダードでやるべきだということではない。例えばテクノロジーなり市場なりに対する洞察は、スタートアップ自身がそれぞれの国でできる。ただし、企業として成長する資金を獲得するフェーズでは、グローバルで共通の言語とフォーマットに乗らないといけない。
中村
で、そこに至るために必要なことは、チャレンジ精神ではなく、プロフェッショナリズムなのです。
冨山
わたしたちが北欧にNordicNinja(※)を立ち上げたのは、かなり綿密にいろいろな地域の市場を調べあげた上で、北欧が事業機会のチャンスが多いとわかったからです。
※ 北欧・バルト地域のスタートアップを対象としたVC。国際協力銀行(JBIC)と経営共創基盤(IGPI)による合弁企業、JBIC IG Partnersが設立した。
実際に現地に行ってみると、VCのプロフェッショナルばかりで驚きました。しかも、みんなベンチャーキャピタリストのグローバルネットワークにつながっている。特に専門性の高さという点において、日本のVCの体制とは随分と違う。で、実際にNordicNinjaとして投資を始めてみると、コロナ禍でもユニコーン企業が次々に生まれてくる。あとからわかったのですが、現地で採用したNordicNinjaのメンバーには、中村さんと同じカウフマン・フェローズの出身者も複数いました。だからこんなに専門性が高い人材が北欧には多いのかと、納得しました。裏を返せば、北欧で起きているようなことが、なぜ日本で起きないのだろう――こういう疑問が自然と湧いてきたんです。
中村
今、Creandumは運用残高1000億円超の巨大ファンドに成長しています。
冨山
まさにグローバルクラスのVCです。
楠木
日本にもまずは1社、Creandumのように高度なプロフェッショナリズムを持った人たちで構成されたVCをつくる。同時に、これからキャピタリストになる人に対しても、教育や啓蒙活動を行う。これが大切だと思うんです。
中村
さらに、Spotifyのようなグローバルベンチャーの成功事例を、まずは1つつくる。すると、日本のベンチャー・エコシステムを構成する人たちの意識が変わる。そうなれば、北欧で起きたような大きなうねりが日本でも起こるはずです。
一般社団法人日本取締役協会による提言書
「我が国のベンチャー・エコシステムの高度化に向けた提言」
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楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授
専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。 著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
冨山 和彦(とやま かずひこ)
株式会社経営共創基盤 IGPIグループ会長
株式会社日本共創プラットフォーム(JPiX) 代表取締役社長
ボストンコンサルティンググループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年 産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、2007年 経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。2020年10月よりIGPIグループ会長。同年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長に就任。パナソニック社外取締役。経済同友会政策審議会委員長、日本取締役協会会長。内閣府税制調査会特別委員、金融庁スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードのフォローアップ会議委員、国土交通省インフラメンテナンス国民会議会長、内閣官房新しい資本主義実現会議有識者構成員ほか、政府関連委員多数。主著に『コーポレート・トランスフォーメーション 日本の会社をつくり変える』『コロナショック・サバイバル 日本経済復興計画』(ともに文藝春秋)、『「不連続な変化の時代」を生き抜く リーダーの「挫折力」』『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』(ともにPHP研究所)ほか。東京大学法学部卒、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。
中村 幸一郎(なかむら こういちろう)
Sozo Ventures 共同創業者/マネージングディレクター
大学在学中、日本のヤフー創業に孫泰蔵氏とともに関わる。その後、三菱商事で通信キャリアや投資の事業に従事し、インキュベーション・ファンドの事業などを担当した。米国のベンチャー・キャピタリスト育成機関であるカウフマン・フェローズ・プログラムを2009年に首席で修了(ジェフティモンズ賞受賞)。同年にSozo Venturesを創業した。ベンチャー・キャピタリストのグローバル・ランキングであるマイダス・リスト100の2021年版に日本人として初めてランクインし(72位)、2022年(63位)、2023年(55位)と3年連続で順位を上げた。シカゴ大学起業家教育センター(Polsky Center for Entrepreneurship and Innovation)のアドバイザー(Council Member)、東京工業大学 経営協議会委員。早稲田大学法学部卒、シカゴ大学MBA修了。著書に『スタートアップ投資のセオリー 米国のベンチャー・キャピタリストは何を見ているのか』(ダイヤモンド社)。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。