Hitachi
お問い合わせお問い合わせ
大学卒業後、広告会社に就職した最相氏だが、たくさんの壁にぶつかり転職する。それを受けて山口氏は、逃げることも重要な能力だと説く。その後、編集者として経験を積む中で、最相氏は「自分は何者でもない」という思いを大切にするようになった。

「第1回:一人ひとりの『証し』を通じて宗教のリアルを書く」はこちら>
「第2回:『人生案内』名回答の秘訣とは」はこちら>
「第3回:優れたコンサルタントと共通するモチベーション」はこちら>
「第4回:『自分は何者でもない』から始まる仕事論」
「第5回:多くの人生に触れることで養われる美意識」はこちら>

壁にぶつかった会社員時代

山口
最相さんは「何になりたいか」ではなくて、「何をしたいか」に向き合ってこられた。だからルサンチマンも関係ないし、何年もかかる仕事でも腰を据えて粘り強く取り組めるということでしょうね。

最相
そうなんだと思います。今は小さい頃から「あなたは何になりたいの」と問われながら育って、高校生になるとほぼ職業と直結した路線が規定されるような教育が普通になっていますけれど、それで本当にいいのかな、と疑問に思います。そういう意味では子どもたちが心配ですね。やりたいことが見つかるまでは、いつまでも迷ったらいいのに。
私もよく「ライターにはどうやったらなれますか」と聞かれるので、質問してきた子に「何を書きたいのですか」と聞き返すと黙っちゃうんです。「書きたいものがないのに、どうしてライターになりたいんですか」と聞くと固まってしまう。

山口
「憧れる職業とやりたいことはだいたいずれている」というのが僕の持論です。憧れている職業をめざすと不幸になることも多いので、「やりたいこと、やっていて楽しいことをどうやったら職業化できるか」を考えたほうがいいと思うんです。それは、場合によっては肩書きや職業名がない可能性もありますよね。
最相さんのような考え方をされる方は少数派だと思うのですが、自然とそうなられたのですか。

最相
考え方の基本にあるのは、「自分は何者でもない」という思いですね。それは昔から感じていたことですけれど、社会人になって一流の方々を取材する機会や間近に見る機会が増えて、ますますその思いを強くしました。根底には、「私にはこういうことはできないし、なれないな」という、自分に対する諦めのようなものもあったと思います。

私はちょうど男女雇用機会均等法の第一世代でしたから、就職のときはまだ女性の採用枠自体が少なく、就職してからもたくさんの壁がありました。その中で自分が何をできるか考えたとき、「何かになる」というよりは、刹那的であったとしても自分の感覚、これはおもしろいとか、違和感があるとか、すばらしいと思ったことを大切に生きたいと思ったんです。

そのためには、自分の感覚や情緒を裏づけるもの、例えば書籍、映画、音楽などの、いわゆる「教養」につながるような物事に触れて、自分自身を豊かにしなければいけないということは意識してきました。土台がしっかりしていなければ、違和感や気づき自体が陳腐なものになってしまいますから。そうしたことが積み重なっているのかもしれないですね。

山口
女性にとっての壁というのは今でもあるわけですけれど、当時は今よりずっと酷かったですからね。

最相
当時はオフィスで普通にタバコを吸っていた時代で、灰皿を洗うのが女性の仕事でした(笑)。そんな時代に社会人になって、「もうやってられない」と。ここにいるのは時間の無駄遣いだと思って辞めた会社もありました。壁や足枷ができるだけ少ないところに自分を持っていかなければ、ということは考えていましたね。

画像: 壁にぶつかった会社員時代

逃げることも重要な能力

山口
「逃げる」ということはネガティブに言われますけれども、私はものすごく重要な能力じゃないかと思うんです。

最相
学生時代に浅田彰さんの『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』(ちくま文庫)を読みましたね。

山口
ですよね。私はいつも、組織やシステムをよくするには「オピニオン」と「エグジット」を武器にすべきだと言っているのですが、株主なら企業に対して株主総会でオピニオンを示し、それでもダメなら株を売ってエグジットできる。顧客も意見や不買によって意思表示できる。ところが、特に日本では従業員がおとなしくて、オピニオンも言わないしエグジットもしない。それがシステムの改善を妨げている面があると思います。流動性が高ければいいというわけでもありませんけれど、とにかく最相さんはエグジットされたわけですね。

最相
そうですね。辞めて東京に来て、自然科学系の小さな出版社に入ったのですが、そこも学閥があるような世界で、「こんな世界にいられるか!」と8か月で辞めました。そのあと、さきほどお話しした中原編集室に入ったことで、すごく勉強できたんです。

山口
中原編集室はご自分で見つけられたのですか。

最相
朝日新聞の求人欄に、「編集者募集。未経験OK。編集のことは僕たちが教えます。」とあったので面接に行ったら、「明日から来てください」と言われました。アートや建築について何も知らなかったのですが、それが却ってよかったのかもしれないですね。

山口
もの書きになりたいとは思っていなかったとのことですが、編集はやってみたかったのですか。

最相
編集という仕事への憧れはすごくありました。

山口
じゃあ、本をつくることにおいては、編集者としての感覚も。

最相
あると思いますね。読者の想定から、タイトルも、装幀も、私はほとんど自分で決めてきました。編集者にとってはやりにくいでしょうから、申し訳なく思いますけれど。でも年をとってからは、若い編集者の提案に耳を傾けるようにしています。

山口
最相さんの装幀って独特のトーンとマナーがありますよね。

最相
『絶対音感』のときから、書き下ろしノンフィクションの装幀はクラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんと吉田浩美さんにお願いしています。吉田さんたちは毎回必ず原稿を読んでから装幀を考えてくださるので、書評としてのデザインだと受け取めています。今回の『証し 日本のキリスト者』も、装丁があがってきたとき、「ああ、やっぱりお二人は本当に私の仕事を理解してくださっている」と心から思いました。もう同志のようなものです。(第5回へつづく)

「第5回:多くの人生に触れることで養われる美意識」はこちら>

画像1: ノンフィクションの原点は「知ってほしい」という思い
人の話を真摯に聴き、伝えることで磨かれるコモンセンス
【その4】「自分は何者でもない」から始まる仕事論

最相 葉月(さいしょう はづき)
1963年東京都生まれ、神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。大手広告会社、PR誌編集事務所などを経てノンフィクションライターとして科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(新潮文庫)(小学館ノンフィクション大賞)、『青いバラ』(岩波現代文庫)、『東京大学応援部物語』(新潮文庫)、『ビヨンド・エジソン』(ポプラ文庫)、『最相葉月 仕事の手帳』(日本経済新聞出版)、『ナグネ――中国朝鮮族の友と日本』(岩波新書)、『辛口サイショーの人生案内DX』(ミシマ社)など多数。『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)にて第34回大佛次郎賞、第29回講談社ノンフィクション賞、第28回日本SF大賞、第61回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、第39回星雲賞(ノンフィクション部門)を受賞。近著に『証し 日本のキリスト者』(KADOKAWA)。

画像2: ノンフィクションの原点は「知ってほしい」という思い
人の話を真摯に聴き、伝えることで磨かれるコモンセンス
【その4】「自分は何者でもない」から始まる仕事論

山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

This article is a sponsored article by
''.