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「第5回:パーパスに必要なクリティシズム」
広がるソーシャルベネフィットへの共感
楠木
周さんは、次の本のテーマは考えておられるのですか。
山口
これは時流に反するかもしれないんですが、「パーパスでいいのか」と問い直してみたいとは思っています。クリティカル(批判的)であることが大切じゃないのかと。
最近、オランダのアムステルダムに拠点を置くスタートアップ「Fairphone」のスマートフォンがヨーロッパでシェアを伸ばしています。モジュール式で、ユーザーが自分でパーツを交換できる設計になっているんです。彼らは、毎年のように新製品を出して古いモデルを陳腐化させるビジネスモデルでは電子機器の廃棄物が増える一方だ、本体をできるだけ長く使い、古くなったパーツだけ交換するシステムにすれば、環境負荷を減らせると言っています。そして、そのような端末でも収益化が可能なことを示し、スマートフォンのビジネスモデルを変革するというビジョンを掲げています。
普通、コンシューマ向け製品では、カメラがきれいに撮れるとか、バッテリーが長持ちするといったユーザー個人への提供価値を訴求するものです。Fairphoneの長期使用可能な点も個人にとって嬉しいことではありますが、それよりも社会的な意義を訴えてビジネスを営み、そこに共感する人が多くいるんです。
考えてみれば、テスラは「化石燃料への依存に終止符を打つ」、パタゴニアは「地球を救うためにビジネスを営む」、グーグルは「世界中の情報を整理し、人々がアクセスして使えるようにする」というように、パーソナルベネフィットではなくソーシャルベネフィットにつながるビジョンやミッションを掲げ、支持される企業が増えていますよね。
1960年代の終わりから70年代の前半にかけて世界中で学生運動が盛り上がりましたけど、近年、社会的利益を掲げるスタートアップやソーシャルビジネスが支持されるのは、そのかつての学生運動のような位置づけ、「現状に対する異議申し立て」なのだろうと思います。ただ学生運動は他者を変えようとして失敗しましたが、現代の成長企業は自分たちも含めて思考・行動様式を変えようとしている。
楠木
なるほど。
山口
1930年代に活躍したドイツの哲学者、ヴァルター・ベンヤミンが歴史の概念についての文章の中で、次のようなことを言っています。「歴史の天使は顔を過去に向けていて、破壊されたものを拾い集めようとしている。けれども過去から未来に向けて吹く嵐が強すぎて、天使は背中を向けている未来の方へ押しやられてしまう。われわれが進歩と呼んでいるものは、この嵐なのである」と。
当時の社会を覆っていた、戦争の犠牲者や弱者を置き去りにして進歩を礼讃する空気に彼は異議を唱えたのだと思います。進歩というものに対する姿勢を問い直しているわけです。
私たちは、未来というものは前方にあるもの、前方に見いだすものだと思いがちですが、もしかしたら違うんじゃないか。今、見つめている足元にあるものや、これまでの進歩に対する問題意識、批判的なエネルギーから生まれるものが実は大切で、ビジョンもパーパスもあっていいのですが、その根っこにはクリティシズムが必要なのではないかと思うんです。
基本的に世の中はよい方向に向かっている
楠木
やはり文明の終わりが文化の始まりなのであって、物質的に充足して文明化が終わりに近づいている今は、単に進歩をめざすのではなくその是非が問われているということですね。「衣食足りて礼節を知る」と言われますが、これは裏返すと「足らないと知れない」ということです。
その意味で、僕はポジティブに考えています。おっしゃるように企業が個人の便益にあまり言及しないのは、物質的な充足よりも社会的な課題解決のほうが多くの個人にとっての価値になりつつあることが背景にあると思うんです。
山口
アメリカの哲学者ケイト・ソパーが、エシカル消費やミニマル消費は自己利益の抑制ではなく、社会や環境に対する利益、配慮が積極的に自己利益に内部化されていることであり、それをよしとする世代がマジョリティになりつつあることを見誤らないように、と指摘しているのですが、先生がおっしゃっているのもまさにそういうことですよね。
楠木
ええ、そうです。その傾向は消費財だけでなく産業財やBtoBの世界にも広がり始めていると思います。
ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーション理論で知られた経済学者ですが、僕がすごいと思うのは、彼は今から100年以上前に資本主義が成熟すると限界を迎え、社会主義になると言っていることです。資本主義に内在されているロジックから必然的に社会主義になるんだと。実際、今の資本主義にはどんどん社会主義的な修正がかかっていますよね。ただし、シュンペーターは問題が一つあると言っている。やることがなくて退屈な世の中になってしまうんだと、ある種の人にとっては。
山口
そうでしょうね。資本主義が成熟した高原社会でのビジネスあるいは生き方というのは、高原でフェスをやっているイメージなんです。一見楽しそうですが、それはそれでけっこうキツいものがある。なぜなら、肉を焼くのが上手いとか、どんな曲でもギターで伴奏できるとか、ダンスで盛り上げられるとか、ヒューマニティに根差した喜びや豊かさといったものに貢献できないと、そのフェスには参加しづらいからです。
楠木
フェスにもいろいろな種類があると思いますが、僕はやっぱり物理的な住居に関わるもの、地域が重要じゃないかと思います。つまりどこに住むか、どの地域コミュニティを選ぶかということが、これからの社会では大きな意味を持つようになるでしょう。結局、衣、食、住のような人間にとっての基礎的なところにどんどん回帰していきますよね。だから僕は高原社会に対してポジティブですし、楽しみにしています。それには世界の平和が大前提になりますが、いろいろなもめごと、フリクションを起こしながらも、基本的に世の中はよい方向に向かっていると僕は思っています。
今の時代を嘆く人は多いのですが、端的な質問として「じゃあ、過去の時代に戻りたいのか」と考えてみるといい。高度成長期は今の基準でいえば、生きるのがとんでもなく苦しい時代でした。戻りたいか、と言われたら、僕はまっぴらごめんですね。戦国時代や縄文時代はなおさらです。それと同じことだと思います。100年後の人に「100年前に戻りたいか」と聞けば、「いや、それはちょっと勘弁してほしい」ということになっているのではないでしょうか。
山口
そう信じたいですね。あらためて、含蓄の深いお話をありがとうございました。
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「第5回:パーパスに必要なクリティシズム」
楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。