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「第4回:『ふつう』。」
※本記事は、2023年2月3日時点で書かれた内容となっています。
僕が捨てられなかった本の3冊目は、『ふつう』。プロダクトデザイナーの深澤直人さんがお書きになった本です。ご存じのように、深澤さんのデザインはシンプルに徹したもので、MUJIでのお仕事でもよく知られている当代一流のデザイナーです。
この本を手放せない理由は、内容の素晴らしさはもちろん、さすがデザインのプロである深澤さんだけに装丁が素晴らしい。字の大きさ、紙質、手に持ったときにしっくり来る特別なサイズ、布張りのソフトカバー、その色合い。すべてが素敵です。モノとしても取っておきたくなります。
布張りの本は僕の好物です。原体験は、小学生の頃に祖父が買ってくれた漫画『のらくろ』の復刻版。箱入りで昔ながらの布張りの装丁の本でした。布張りの本を読んでいるときの手ざわりがたまらなくイイんですね。
『ふつう』は、表題どおり「ふつう」という概念についてありとあらゆる面からしつこく考察しています。深澤さんのデザインをご存じの方はおわかりだと思いますが、「ふつう」は深澤さんのお仕事の核にある概念です。「ふつう」とは現象だ、と深澤さんは喝破します。それを「ちょっとよくする」のがデザインの役割である。まずは「ふつう」とわれわれが無意識に呼んでいる現象を理解することが、デザインという仕事の鍵になる――。
モノやサービスを選ぶ際の「これでいい」が、「これがいい」になる。「ふつう」とはそういうことなんじゃないか――これが深澤さんの根底にある考え方です。例えば、日常生活に長く浸透しているモノに、「なんてふつうなんだ」と驚きを覚えることがある。そこに新しさを期待するよりも、今まで我々がずっと持ってきたそれとのいい関係――そこに気づく瞬間の感動を深澤さんは「スーパーノーマル」と呼んでいます。
あるとき、深澤さんは「スーパーノーマル展」という展示会を開きました。そこに、柳宗理さんのデザインしたステンレスのボウルを、これぞスーパーノーマルだということで展示した。すると、柳さんご本人が会場にいらして「これはだれの作品ですか」とお尋ねになったそうです。このとき深澤さんは確信を得たと言います。「ふつう」をデザインするということは、作家の自己表現ではない。
最近は、人々がデザインにしらけてきている。でも、生活にこだわらなくなったわけではまったくない。むしろ、生活の機微にこだわり、モノを吟味して選択するようになっている。それはまさに、「ふつう」がデザインとして必要とされてきていることを意味する。まったく新しい製品だけではなく、今までずっと存在していたモノから自分にしっくりくるもの選ぶという姿勢。「ふつう」という概念が、世の中にとってより重要な意味を持つようになってきているのではないか――僕もまったく同感です。それが成熟した社会の一面だと思います。昨今の環境問題に対する正面からの回答でもあると思うんです。
毎日のちょっとした生活ルーティンも「ふつう」と密接につながっていると深澤さんは指摘します。ちょっと手間がかかることを毎日丁寧にやる。それは遅いのではなく、充実しているということです。この「回転を下げる」感覚を深澤さんは重視します。焦って次から次にたくさんやっても、何もやり遂げていない感じがする。そうならないよう、回転を落とす時間を意図的につくる必要がある――。
ことほど左様に、本書はありとあらゆる切り口から「ふつう」の正体を論じています。僕が一番ぐっときたのはこのくだりです。――単純な形の部屋にデザインのいい椅子を置いただけのインテリアは、簡単だ。“住む人がつくる雰囲気の極み”こそ、いいインテリアデザインなのだ。それはもはやデザインではなく、「いい雰囲気」。住む人のセンスがいいと、その人がつくる雰囲気にインテリアデザインなんてものは太刀打ちできない。だれかが住んで、暮らしていないと、いいインテリアデザインはできない。
雰囲気がいい店だと、そこでモノを買いたくなります。そこで食事をしたくなります。雰囲気がいいホテルだと、そこにまた泊まりたくなります。いつも行く焼き鳥屋、確かに味はいいのだけど、それだけではなく、やっぱり雰囲気がいい。どこに座りたいかも自ずと決まってくる。そこがいいかどうかを決める最も重要な要素は、美しさではなく、雰囲気のよさ。雰囲気を醸し出すものでなければ、いいデザインとは言えない。だから、椅子や家具のデザインにしても、デザイナーの自己表現ではない。モノとモノとの間にある空気こそがデザインの本当の対象だ――。
この視点は、これからの商売、特にサービス業において非常に大切になってくると思います。究極的な競争優位であり、最も模倣が難しいのは「気がいい」という状態をつくることです。それは要素に還元できない。いろいろなものが合わさり、混ざり合い、溶け合ってできている。一見抽象的ですが、お客からすると「このお店は、気がいいな」とすぐにわかる。
人間にも同じことが言えます。会った瞬間、「この人は気がいいな」とわかる。逆に、すごく美しく装飾されて、どんなに見た目が良くても、気が悪い空間、サービス、人というのはある。「気がいい」をどうやって創るかがこれからの商売の重要な基準になっていくと思います。
読み終わって、あらためてこの本の装丁の手ざわりを確かめてみると、物理的実体としての本書が「ふつう」という概念を身を持って証明しているのがわかります。そこに凄味を感じます。どうしても捨てられません。
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楠木 建
一橋ビジネススクール特任教授(PDS寄付講座・競争戦略)。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
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シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
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経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。