「第1回:野球嫌いの野球少年。」はこちら>
「第2回:史上最低の身体能力。」はこちら>
「第3回:野球よりも面白かったセカンドキャリア。」はこちら>
「第4回:『ストレス不足』と、行動変容。」
「第5回:具体と抽象の振れ幅。」はこちら>
※本記事は、2022年10月22日時点で書かれた内容となっています。
4足のわらじを履く
楠木
データアナリストのほかにはどんな仕事をしたのですか。
高森
引退した翌年の2013年に、並行してライターの仕事を始めました。野球に関する記事の企画を集英社に直接売り込みに行ったんです。「web Sportiva」に掲載していただいた1本目の記事が160万PVに跳ね上がって、そこから編集部に企画を出しては取材して、書いて、公開して、PVが跳ねてというサイクルが続きました。
楠木
データアナリストとライターの仕事で、生活できるくらいの収入は得られましたか。
高森
そうですね。データアナリストの仕事にライターの収入も上乗せされたので、生活に不便はありませんでした。むしろ、現役時代に比べたらえらい裕福だなと思いながら生活していました。
楠木
そのときにはもう、プロ野球に対する恨みも未練もまったくなかった?
高森
はい。
楠木
2014年はどんな仕事をしていたのですか。
高森
ライターの仕事は継続していますが、データアナリストの仕事はチームに付きっきりですし、わたしが凝りすぎてずっと作業してしまうので、さすがに身が持たないだろうと判断して辞めました。ただ、先ほどお話ししたSportcodeの販売代理店と交わした業務委託契約はまだ残っていたので、その使い方や「スポーツにおけるアナリストとは何ぞや」という講義を大学でしました。
ほかには、アスリートを講師に招いて行うキッズキャンプなどのイベントの台本も書いていました。元マラソン選手の有森裕子さんとご縁があり、お仕事を手伝うことになったんです。イベント当日はわたし自らトランシーバーを着けて、ディレクターとしてアルバイトの大学生20人を動かしていました。
あとは、たまに単発で入る子ども向けの野球教室の講師をしたりと、そんな1年でした。
コピーライティングのロジック
高森
その年に、物書きの仕事をもっと本格的にやってみたいと思い、宣伝会議という会社が主催しているコピーライター養成講座を受けました。これがあまりにも面白かったんです。広告の第一線で活躍しているコピーライターの方々がキャッチコピーを考える過程を教えてくださるんですが、「言葉で人々の行動変容を促す」というロジックにすごく感銘を受けました。これ、広告だけでなく経営にも活かせるんじゃないか。言葉次第で組織にも行動変容を起こせるんじゃないかと、講義を受けながら想像を膨らませていました。何かコミュニケーションに関わる仕事で、自分にできそうなことはないか――行き着いた先が、ビジネスコーチという仕事でした。
楠木
言葉の力で、ビジネスの組織に行動変容を促すということですね。
高森
そうです。基本的には事業計画や目標設定をマネジメントし、達成していくための構造をつくって、ビジネスパーソンの行動変容を支援していく。究極的にめざしているのは、彼らが仕事でつかっている言葉を変えることで、組織の文化を変えることです。しっかりとした企業文化が根づけば、極端な話、経営戦略は要らなくなる。そこでは言語がかなり重要な役割を占めるという考え方です。
楠木
言語じゃないと考えられないし、伝わらない。
高森
ええ。例えば、「難しい」「忙しい」という言葉を禁句にするだけで、3年で企業文化が変わった事例があります。忙しいなと思ったら、「今日は大人気だね」と言いましょう。難しいなと思ったら、「面白い」と言いましょう。「この仕事、明日までにやってくれませんか」「いや、それちょっと……面白いですね」という感じです。すると組織の文化がどんどん前向きな方向に変わっていったんです。
「ストレスがない」という不安
高森
楠木先生は驚かれるかもしれませんが――プロ野球を引退して1、2年目のわたしにはまったくストレスがなくて、その状態が実はちょっと嫌だったんです。何のコミットメントも課されない。何の締め切りもない。何の責任もない。
楠木
でも生活は問題なく回っている。
高森
そうなんです。でも、どの仕事も色物なので定期的な収入とは言えません。過去の財産を活かしてなんとか稼いだようなものなので、何かスキルが身についたわけでもない。で、毎朝何時に起きてもかまわない。こんなにストレスのない26歳で、このあとの人生大丈夫かと。ろくな30代にならないんじゃないかという危機感がありました。
だから、過度なストレスを受けたかったんです。ものすごく重い責任を負う仕事がしたい。となると、やっぱり経営だろうと。ただ、自分で経営をするほどやりたい事業があったわけでもないので、経営に近いポジションで動けて、自分にできる仕事がないか。そういう思いもあって、ビジネスコーチにたどり着いたんです。
筒香選手との不思議な関係
楠木
ビジネスコーチの仕事を始めたのはいつですか。
高森
本格的に稼働し始めたのは2015年です。2016年に独立して、株式会社HERO MAKERS.を立ち上げました。
楠木
ということは今、8年目。ライターとしても活動しつつ、メインはビジネスコーチ。
高森
そうです。
楠木
コーチングの対象は企業ですか。
高森
今は企業だけです。初めの頃は個人向けにもやっていて、2017年までは、先ほどのお話にも出てきた筒香嘉智選手のコーチングもしていました。
ビジネスコーチの仕事を本格的に始める前の2014年、言葉で行動変容を促すという話を彼にしたら「それ、面白そうですね」と。プロ野球選手には珍しいんですが、彼は言語感覚が鋭い。要するに、プレイを表現する際のボキャブラリーが豊富なんです。もちろんわたしだけの手腕ではないのですが、コーチングを始めて1年で打撃成績が跳ね上がり、2016年に大ブレイクして三冠王に近いところまで行きました。
楠木
それは野球の技術そのものではなく、野球に対する構え方や考え方をコーチングしたということですか。
高森
もちろんそれもありますし、わたしは選手の物まねが得意なので、身体の動きがよく見えるんです。例えば、「最近ちょっと左肩の可動域が落ちているな」と気づく。一日たった数ミリずつのズレなので、毎日選手のバッティングフォームを見ているコーチには気づかないくらいの変化です。わたしはたまにしか見ないので、そのズレがわかる。
左肩の可動域が落ちているということは、おそらく胸郭回りの筋肉が硬くなっている。となると股関節も硬くなる。左の殿筋の出力も落ちているんじゃないか。「ゴウ、左の殿筋のトレーニングをしてみたら?」「じゃあ、やってみます」。翌日ホームラン。そんな不思議な関係が続きました。
楠木
自分を戦力外通告に追い込んだ選手をコーチする――面白い巡り合わせですよね。(第5回へつづく)
高森勇旗(たかもり ゆうき)
1988年、富山県高岡市生まれ。2006年、岐阜県の中京高校から横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に高校生ドラフト4巡目で指名され入団。2012年、戦力外通告を受けて引退。データアナリストやライターなどを経て、2016年、企業のエグゼクティブにコーチングを行う株式会社HERO MAKERS.を立ち上げ代表取締役に就任。著書に『俺たちの「戦力外通告」』(ウェッジ、2018年)。
楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。