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一橋ビジネススクール教授 楠木建氏/元プロ野球選手 高森勇旗氏
高校生でドラフト指名され、念願のプロ野球選手となった高森勇旗氏。想像を絶する鍛錬と厳しい競争にさらされるなかで、若き高森氏が日々感じていたこと、そして人生で初めて陥った事態とは。

「第1回:野球嫌いの野球少年。」はこちら>
「第2回:史上最低の身体能力。」
「第3回:野球よりも面白かったセカンドキャリア。」はこちら>
「第4回:『ストレス不足」と、行動変容。』はこちら>
「第5回:具体と抽象の振れ幅。」はこちら>

※本記事は、2022年10月22日時点で書かれた内容となっています。

見たことのない軌道

楠木
ドラフト指名されたときは当然、プロ野球選手としてバリバリ活躍してやろうと思っていたんですか。

高森
もちろん思っていました。

楠木
実際に入ってみてどうでしたか。

高森
忘れもしないのは、高3の2月から参加した二軍の春季キャンプ初日のことです。シートノックで、キャッチャー前に転がされたゴロを捕って二塁に投げる練習がありました。

初めて間近で見るプロ野球です。「プロってどんなもんかな」くらいの気持ちで見ていたんですが、ある先輩キャッチャーがビュッと投げたボールが、それまで見たことのない軌道だったんです。誇張でなく、地を這うようなボールが二塁に到達しました。「これ、俺の順番回ってくるの……?」。本気で投げたくないと思いました。恥ずかしくて。ヤバいところに来ちゃったなと。次のキャッチャーが二塁に投げたとき、ベースカバーに入ったのが当時ショートを守っていた同期の梶谷隆幸だったんですが、そのボールを手首に当ててしまったんです。ルーキーとはいえプロに入れるくらい野球が上手いとされていた選手が、38メートルも先から投げられたボールを捕れなかった。そのくらい伸びてくるんです。

そうこうするうちにわたしの番です。頑張ってヒュッと二塁に投げる。はいはい、高校生入ってきたね――グラウンドにそんな空気が流れたのを感じました。少なからず肩に自信を持ってやってきたのに、入団したらチームで一番肩の弱いキャッチャーでした。

その代わりバッティングの評価は高かったので、1年目はとにかくそちらを伸ばすという育成方針になりました。ところがトレーニングコーチに「プロ野球史上最低」と言わしめるほどの身体能力だったので、二軍の試合にも連れていってもらえず、横須賀の二軍グラウンドに1人残って練習していました。

アマチュアからプロになるということ

楠木
高校までずっと中心選手だったのにそんなに厳しい環境に入って、毎日どんな気持ちで過ごしていたんですか。

高森
プロのレベルの高さに早々に完全降伏していたので、「好きにしてください」という感じでした。あまりにも周りについていけなかったので。

画像: 高森勇旗氏

高森勇旗氏

入団当時のコーチ、高木由一さんとの会話で印象的だったことがあります。昼ごはんのあと、グラウンドで高木さんにこう言われました――おまえからは、この世界で飯を食っていく覚悟が見えない。とりあえず今日から猛練習だ。今から1,000回バットを振ろう――。その日は4月1日だったので、てっきりエイプリルフールだと思ったんです。「またまたぁ」なんて軽口叩いたら、200球入ったカゴが6個積み上がっていて。「これ、全部打ってもらうから」「またまたぁ」。

楠木
じゃあ初めは結構気楽な感じでいたんですね。

高森
まだ部活の延長のような気でいました。その日から本当に地獄の日々が始まったんです。1,200球打って手のひらは血だらけ。そこから1時間走りっぱなし。ずっと心拍数190。もう泣きながらです。それが終わると動けなくて、30分くらい外野で寝る。起きたら、懸垂とロープ登り。もう疲労で足が動かないので、コーチが足を支えてくれて「なんでもいいからもがけ!」「うわー!」。終わったら30分後に筋力トレーニングを2時間。夕食を食べて19時半になったら、室内練習場で夜間練習。これが毎日続きました。

プロとアマチュアの違いは何かというと、同じ出力をずっと続けられるかどうかなんです。高校野球にしても大学、社会人にしても、本番は年に合計2週間くらいしかありません。でもプロはシーズンを通して8割くらいの出力をずっとキープしなくてはならないんです。

キャンプで先輩の石井琢朗さんと内川聖一さんのバッティング練習を見たことがあるんですが、2人ともホームランしか打たない。何回振っても同じ軌道の打球が同じところに飛んでいく。ずっとリプレイを見ている感じでした。要するにスイングがずっと同じ。アマチュアはスイングが安定していないので、あるときはホームラン、あるときはセカンドゴロと結果がバラバラになるんです。

ところが1年目の夏になると、わたしもバッティング練習でゴロを打たなくなりました。全部ホームラン。我ながら、これはすごい、プロ野球選手っぽくなってきたかなという感触がありました。

楠木
そのあと、二軍ではどんどん試合に出ていったのですか。

高森
1年目のシーズンは21打数2安打でしたが、10月のフェニックス・リーグ(※)で全試合出させてもらって、3割ちょっと打ちました。これで「来年こそは」となって、2年目の春季キャンプ初日にバッティング練習でホームランを連発していたら、当時の二軍監督の田代富雄さんに呼ばれて、キャッチャーからファーストにコンバートされました。その年は二軍のほぼ全試合に出て打率は2割7分4厘、史上最年少サイクル安打の記録も作りました。3年目には二軍で最多安打のタイトルを獲って、2試合だけですが一軍に出てヒットも打ちました。

※ 毎年10月に宮崎県で開催されるプロ野球の教育リーグ。公式戦で出番が少なかった若手選手を積極的に起用し、試合を通じて若い選手を育てることを目的としている。

次は4年目、いよいよこれからというところで、わたしと同じファーストで左バッターの筒香嘉智選手が入ってきます。

部屋から出られない

画像: 楠木建氏

楠木建氏

楠木
後年メジャーリーグに進んだ強打者の筒香選手。やっぱりルーキーの頃からすごかったですか。

高森
春季キャンプで最初の1スイングを見た瞬間に「かなわない」と思いました。人間の関節ってこんなに滑らかに動くんだなと。彼は高卒新人の二軍のホームラン記録を塗り替えて、2年目の後半から一軍に定着しました。

わたし自身はその4年目に成績がガクンと下がり、5年目にはさらに低下しました。よくクビにならなかったと思います。

楠木
その頃はどんな気持ちでしたか。「まあそうだろうな……」という感じですか。

高森
俺は悪くない、俺を使わない監督が悪い、プロ野球に入ったタイミングが悪い……。不満ばかり漏らしていました。

楠木
プロ入りしたての頃も厳しい環境だったとはいえ、猛練習したらすぐ成果として返ってきた。野球人生でそこまで沈んだことはなかったんですか。

高森
人生で初めてでした。特に5年目がきつかったです。鬱状態で、マンションの部屋から出られなくなる日もありました。

ただ、もし4年目や5年目でクビになっていたら、野球への恨みを抱えたまま「俺は不遇だった」って言い続けて生きていたと思います。どん底まで落ち込んだことでいろいろなことに諦めがついて、かえって6年目は地に足つけて野球に取り組むことができました。(第3回へつづく)

「第3回:野球よりも面白かったセカンドキャリア。」はこちら>

画像1: 新春対談 楠木建×高森勇旗 ニュートラル主義の仕事哲学―その2
史上最低の身体能力。

高森勇旗(たかもり ゆうき)
1988年、富山県高岡市生まれ。2006年、岐阜県の中京高校から横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に高校生ドラフト4巡目で指名され入団。2012年、戦力外通告を受けて引退。データアナリストやライターなどを経て、2016年、企業のエグゼクティブにコーチングを行う株式会社HERO MAKERS.を立ち上げ代表取締役に就任。著書に『俺たちの「戦力外通告」』(ウェッジ、2018年)。

画像2: 新春対談 楠木建×高森勇旗 ニュートラル主義の仕事哲学―その2
史上最低の身体能力。

楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

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新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

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私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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