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プロ最終年となった6年目、高森勇旗氏は野球にどう向き合い、どう別れを告げたのか。その引退後の身の振り方からは、人生と仕事において決して自分のペースを乱さない高森氏のゆるぎない価値観が透けて見えた。

「第1回:野球嫌いの野球少年。」はこちら>
「第2回:史上最低の身体能力。」はこちら>
「第3回:野球よりも面白かったセカンドキャリア。」
「第4回:『ストレス不足」と、行動変容。』はこちら>
「第5回:具体と抽象の振れ幅。」はこちら>

※本記事は、2022年10月22日時点で書かれた内容となっています。

選手起用の力学

楠木
プロ野球選手の4、5年目でどん底を見たという高森君ですが、6年目はどのように野球に取り組んだのですか。

高森
6年目ともなると下に5学年も選手がいます。優先的にチャンスが与えられるのは彼らであり、今さらわたしが一軍で使われないことはだれの目にも明らかでした。だったら、文句を言っても状況は変わらない。後輩たちを支えていこうと、考えを変えました。

例えば、ボールボーイを買って出る(二軍の公式戦にはボールボーイがいない)。ベンチで積極的に声を出す。そんなことを率先してやるようになったら、「高森、最近頑張ってるよな。試合で使ってやろう」と風向きが変わって来たんです。「なんで俺を使わないんだ」と文句を言っていた頃は一向に使われなかったのに、現実を受け入れて取り組み方を変えたら起用されるという、不思議な力学が働きました。そこから試合で打つ、練習に励む、また試合で結果を残すという好循環が生まれたんです。

とは言ってもすでに24歳で、一軍で打ったヒットは通算1本だけ。その年のオフに戦力外となりました。

楠木
じゃあ、その通告は平常心で受け止めることができたのですね。

高森
納得していました。

楠木
そのあとのキャリアについてはどう考えていたんですか。

高森
何でもできるだろうなと思っていました。やりたいことがいろいろありましたし。

楠木
あ、そうなんですか。それは意外ですね。プロ野球選手って、子どもの頃から野球一本に懸けてきた人たちがほとんどだと思うんです。それが戦力外通告を受けたあと、次にどんな道に進めばいいかわからず、人生を狂わせてしまう――そんな人が少なくない印象があるのですが、高森君は違った。

高森
むしろ、クビになったことで視界がパーッと開けた感じすらしました。

画像: 高森勇旗氏

高森勇旗氏

「論理よりも感覚」の違和感

楠木
引退後にやりたいことがいろいろあったとのことですが、現役時代は野球以外にどんなことに興味がありましたか。

高森
オフの日には、よく神奈川大学やICUで、心理学などの講義を受けていました。同年代の人たちがどんな日々を過ごしているのか知りたかったんです。

楠木
偏見かもしれませんが、プロ野球選手でそういった知的な物事に興味のある人は少なかったんじゃないですか。

高森
あまりいなかったですし、野球の技術に関しても感覚的な表現をする人が多かったです。打席で凡退してベンチに帰ってきた先輩に、「さっきのフォークボール、どうでした?」と相手ピッチャーの投球について聞くと「ヤバい」。「どうヤバいんですか?」「エグい」「どうエグいんですか?」「スゴい」「そうすか……」。

わたしが相手投手のチェンジアップを「ストレートと同じような腕の振りで、一瞬ピッチャーが釣り糸でボールを引っ張ったかのような変化をします」と説明したら「わからん」。「……いや、とにかくエグいっす!」「わかった」。そんな世界でした。

「絶対悲観主義」の真逆を行く

楠木
具体的な仕事のオプションは何か考えていたんですか。

高森
まだ何もなかったです。

楠木
「とにかく仕事しなきゃ」って、慌てて地元の会社に就職するという選択肢も頭になかった?

高森
それだけはしないと思っていました。そもそも、いくつか共済金に加入していたり、持っていた車を売ったりしたおかげで、働かなくても2年間、一般的な生活をできるくらいの貯金ができたんです。現役の頃は、ガソリン代なり身体のケアの費用なりといろいろ引かれて、自由に使えるお金はほとんどありませんでした。引退してからのほうが、現役の頃よりも自由に使えるお金が増えました。

家でお昼までテレビでも見てゆっくりして、散歩して、半身浴して、夕方のニュースを見て、スーパーで買い物して、夕食を作ってという日々を過ごしていました。

楠木
それ、かなり心にゆとりがありますよね。

高森
小学校3年生からずっと野球漬けだったので、普通の生活に憧れていたんです。これは素晴らしい日々だなと。たまに「こんなんで俺、大丈夫かな」という気持ちも出てくるのですが、なぜかその後の人生に自信がありました。おそらく将来的に、自分は相当忙しくなるだろう。この穏やかな生活は、今しか享受できない。散歩しているときの美しい景色も心ゆくまで堪能しました。

楠木
それはすごい。僕は逆です。「何をやってもうまくいかないだろう」と、何もやらない前から思っていました。実際、仕事を始めてもとにかくうまくいかなかった。もうこのままだと自分には何も成し遂げられないんじゃないか。どうやって心の平和を得ようか――たどり着いたのが絶対悲観主義です。すべてはうまくいかない、それが普通なんだと。

画像: 楠木建氏

楠木建氏

「俺が天下を取ってやる」みたいな考え方は、おそらくプロ野球選手の典型だと思うんです。でも高森君のここまでの話を聞いていると、そういうタイプとも違う。だから、野球とはまったく異なるフィールドに移っても、穏やかに暮らしつつ、なんとかなると思っていた。

高森
そうですね。

一日22時間没頭できる仕事

楠木
最初に携わった仕事は何ですか。

高森
データアナリストです。オーストラリアで開発されたSportscodeというスポーツ専用の映像分析ソフトがあるんですが、それを野球用にカスタマイズして日本に広めたいという話が挙がりました。そこで、野球に詳しくてパソコンを触れる人材ということでわたしに白羽の矢が立ったんです。引退の翌年、2013年のことです。

実は現役時代に自分の全打席のデータを集計してバッティングの傾向と対策を練ったり、独学でプログラミングを身につけたりしていて、それが人づてに知られたようです。Sportscodeの販売代理店との業務委託契約が決まり、すぐ大手企業の社会人野球チームに専属アナリストとして派遣されました。

楠木
つまり、野球のデータを取って、分析して傾向を導き出し、選手に対策を提言する仕事。もしかしてプロ野球選手をやっているよりも面白かった?

高森
断然面白かったです。やり始めたら楽しくて、凝ってしまう。コードを書いて、試合の映像を見て、ソフトに手入力で情報をインプットして、バン! とエンターキーを押すと、得たいと思っていたアウトプットが一瞬で出てくる。ものすごい達成感でした。早くコードを完成させたい一心で、社会人野球の大会期間中は本当に寝る間も惜しんで一日22時間も作業に没頭していました。

楠木
あまりに面白くて。その仕事、どのくらい続いたんですか。

高森
実働は7カ月で、ほぼ1年間チームに帯同していました。(第4回へつづく)

「第4回:『ストレス不足」と、行動変容。』はこちら>

画像: 一日22時間没頭できる仕事
画像1: 新春対談 楠木建×高森勇旗 ニュートラル主義の仕事哲学―その3
野球よりも面白かったセカンドキャリア。

高森勇旗(たかもり ゆうき)
1988年、富山県高岡市生まれ。2006年、岐阜県の中京高校から横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に高校生ドラフト4巡目で指名され入団。2012年、戦力外通告を受けて引退。データアナリストやライターなどを経て、2016年、企業のエグゼクティブにコーチングを行う株式会社HERO MAKERS.を立ち上げ代表取締役に就任。著書に『俺たちの「戦力外通告」』(ウェッジ、2018年)。

画像2: 新春対談 楠木建×高森勇旗 ニュートラル主義の仕事哲学―その3
野球よりも面白かったセカンドキャリア。

楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

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新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

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マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

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さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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