「第1回:レジェンドとの対面」はこちら>
「第2回:ウェルビーイングという気づき」
「第3回:Z世代のマネジメント」はこちら>
「第4回:VUCAの時代のデジタルの役割」はこちら>
「第5回:アウトローの自己改革」はこちら>
コロナ禍で知ったウェルビーイングの重要性
谷口
帝京大学は、2009年度から全国ラグビーフットボール選手権大会で9連覇を達成されます。その間の先生のチームマネジメントはご著書で勉強させていただきました。そこもお聞きしたいのですが、今日は10連覇を逃した後のことを中心にお聞きしたいと思います。岩出先生はコロナ禍の中でチームを立て直すということを監督として行わなければならなかったわけで、その時の状況や打ち手、心境などに大変興味があります。ぜひこの機会に詳しく伺わせてください。
岩出
連覇が途切れると、当然チームは揺れます。マスコミも、帝京大学の時代の終焉といったストーリーを書き立てます。そんな2019年、日本でラグビーのワールドカップのあった年末に新型コロナウイルス感染症がニュースになり、その翌年には緊急事態宣言が出されます。毎年勝ち続けているときには、下級生は上級生から優勝するためのカルチャーを自然に吸収しますが、勝てない上級生を見てきた下級生の場合、そのカルチャーは継承されず、チームのモチベーションも低下します。
谷口
そこが社会人ラグビーと大学ラグビーの違いですね。
岩出
そうなんです。そこにコロナ禍という部や学校の活動を停止しなければいけない事態が襲いました。さまざまな壁に突き当たっていた私たちは「緊急事態宣言は現実を見直し組織を立て直す絶好の機会」、そう考えることにしたのです。
揺らいだりとらわれたりしている不安定なチームをどう立て直すのか。その最大のポイントは、チームの不安を取り除いて安定させることでした。すぐに成長を求めないで、まずは安心・安全にラグビーと取り組める環境をつくること。ひとことでいうと、「ウェルビーイング」です。安心な環境で健全に切磋琢磨し、新しい挑戦をしていくことが選手の成長につながる。このシンプルな気づきが、コロナ禍や敗戦で揺らいでいたチームを切り替える最大のポイントでした。
緊急事態宣言が出されると、学校に来ること自体が悪になりかねないので、すべての活動は停止せざるを得ません。私たちは、学生も親も職員もみんなが納得して学校に行けるようにするためのプロトコルづくり、安全に学校生活を送るための規約をつくることからはじめました。私たちがやらなければならないことは、安心して学校へ行くことができる丁寧な準備だということに思い至ったのです。学生が学校生活を通じて成長していくためには、心の安全を確保する「ウェルビーイング」が何より重要でした。
「勝ちたい」より「勝たせたい」
谷口
私たち日立にとっても、「ウェルビーイング」は取り組むべき大きなテーマとなっていまして、先生の実体験からたどりついた「ウェルビーイング」のお話は大変参考になります。先生は帝京大学のラグビー部監督に就任されたときから、そのような安心してラグビーに取り組む環境が健全なチャレンジとなり、成長につながるという考えをお持ちだったのですか?リーダーの中には、ともすると勝つこと第一主義で押し通そうとする人もいると思うのですが。
岩出
お恥ずかしい話ですが、帝京大学の監督に就任した38歳の私はもう一気にトップを獲るんだという野心だらけのリーダーでした。でも、自分の野心で「勝ちたい」と思っているときには、勝てませんでした。それが「勝たせたい」と思えるようになって、少しずつ良くなっていきました。勝利ではなくもっと先を見すえたうえで、選手たちを「幸せ」にしてやりたい。未来の「幸せ」に向かっていく、そのために目の前の今を充実させていくという考え方を私自身が持てるようになってから、一気に勝てるようになりました。
谷口
ぜひ、もう少し詳しく教えてください。
岩出
「勝ちたい」と思っている指導者は、当然基準を高く求めます。それがはまる選手もいると思いますが、大学生というのは大人でもあり子どもでもある。子どもが大人に成長していくには段階があります。幼いときには、やっぱり他人を道具として見るような自分中心の発想をします。それから、依存性の高い考え方を持つ。ちょっと成長して自分自身の考え方を主張しだすと、自分のやり方にこだわり過ぎる融通がきかない青年になってくる。そして、やっと他者との関係性を受け入れる力を持ってくる。青年期の学生は、本能的な段階は別としてその4段階で成長していきます。
そのときに、家には頑固親父がいて、学校の先生も怖くて、集合型の授業でという団塊の世代からのやり方は通用しません。大きな災害、さまざまな社会問題、一人の教師がコントロールできないことがどんどん起きている不安な世界で生きている今の学生たちは、人からの命令でモチベーションは上がりません。その代わり自分がしっかりやっている納得感が得られること。目的がしっかり理解できていること。それを達成する可能性があること。この3つがあると、自律的なチームになろうとするのです。
自分から没頭していく、ゾーンに入っていくような環境設定というのは、納得できる目的があって、そのために自律的に取り組みたくなる課題があるということです。そこのところが、就任当初の「勝ちたい」という野心に満ちているときの自分には見えていませんでした。
でも、優勝したから「幸せ」なのかといった疑問を僕自身もやっと持てるようになり、向かうべきは「幸せ」だと思えるようになってから、ベスト4、準優勝、9連覇なんです。だから指導者というのは、強制的なトップダウンで頑張らせることではなく、本人がその気になるように伴走すること。それが一番のボトムアップになる。そのときに、ただ「君たちに任せた」ではなく、一人ではできないことを周りが補完していく。周りができないことをチームが補完していく。チームができないことをクラブ全体が補完していく。やがて補完がなくても自律して挑戦できるようになれば、離れていく。そんな「自転車の補助輪」のような役割が監督なのだと思います。
谷口
「勝ちたい」ではなく、「勝たせたい」「幸せにしたい」という思いが自律的なチームをつくる。おっしゃる通りだと思います。(第3回へつづく)
岩出 雅之(Masayuki Iwade)
1958年、和歌山県新宮市生まれ。和歌山県立新宮高等学校卒業後、日本体育大学在学中に1978年全国大学ラグビーフットボール選手権大会優勝に貢献。4年時には主将を務める。卒業後、滋賀県教育委員会、滋賀県公立中学校、滋賀県立高等学校教員を務める。県立八幡工業高等学校教員時にラグビー部監督として、同校を7年連続花園出場に導く。ラグビー高校日本代表監督。1996年帝京大学ラグビー部監督就任。2009年度~2017年度全国大学ラグビーフットボール選手権大会において史上初の9連覇を達成。2015年第52回日本ラグビーフットボール選手権大会では、トップリーグチームに勝利を収めた。2022年1月全国大学ラグビーフットボール選手権大会において10度目の優勝を果たし、監督を退任。現在帝京大学スポーツ局局長、スポーツ医科学センター教授。
谷口 潤(Jun Taniguchi)
1995年、株式会社 日立製作所入社。2019年4月、日立グローバルライフソリューションズ社長。2022年4月、日立製作所 執行役常務 サービス&プラットフォーム ビジネスユニット COO /日立デジタル社CEO。
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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