「第1回:顕示的消費から、内発的充足へ。」はこちら>
「第2回:消費を閉じる消費。」はこちら>
「第3回:検索非連動型購買意思決定と、マニア消費。」はこちら>
「第4回:消費と時間。」

※本記事は、2022年4月27日時点で書かれた内容となっています。

僕は仕事でよく六本木ヒルズを利用しています。2003年の開業から19年が経った今思うのは、「だいぶイイ感じになったな」。開業したての頃は、当時ヒルズ族と呼ばれた人たちを中心にまるで毎日お祭りかのように賑わっていました。それから20年近くを経た今の六本木ヒルズには、毎日同じように淡々と時間が流れている。まあまあ「イイ感じ」に落ち着いてきました。こういう変化は時間をかけないと生まれません。

その近くにあるアークヒルズは開業して36年になりますが、かなり「イイ感じ」に仕上がっています。バブル景気後の1994年にオープンした新宿のパークハイアット東京は、夜景のきれいな高級レストランがイケていると当初話題になりましたが、こちらも30年近くが経過して「イイ感じ」です。時間の経過でデトックスされて、初期の雑味がすっかり取れました。

時間をかけることで自然と良くなっていくものがある。そこに価値を見出すのが、成熟した消費です。メルカリに代表されるリサイクルのインフラが整い、好んで古着を身につける人が増えてきているのも、成熟社会のいいところです。

そういう視点で考えると、長く続いている飲食店は信用できます。いいお客さんがつくには、どうしても時間がかかる。どんなにお金をかけても、時間は買えません。

経済が成熟してきてファストフードからスローフードへの転換が起きたように、「とにかくスピード重視」の成長期に対して、成熟期には「スローダウン」が価値を持ちます。最近面白いなと思ったのは、メルカリが「ゆっくり宅配」に乗り出すというニュースです。数日遅い配達を選べば送料が安くなるというもので、利用者アンケートによると約9割が「数日遅れてもよい」と回答したそうです。別に急いでいません、と。確かにAmazonで買う日用品に比べると、メルカリで買う書籍や衣類は急いで届けてもらう必要がない。裏を返せば、「今すぐ欲しいものはメルカリでは買わない」とも言える。

これまでのEコマースの配達はとにかく「速く安く」だったのが、消費者としてはむしろ「もうちょっとゆっくりでいいんじゃない」と。こういう動きが出てくるのはとてもいいことだと思います。スローダウンが価値を持つというのは成熟のイイところです。

メルカリの「ゆっくり宅配」の場合、送料の値引きがスローダウンのインセンティブになるわけですが、さらに何年か経つと、値引きされなくてもスローダウンを選択する消費者が増えてくるかもしれない。そうなれば成熟社会も本物です。

もう1つ僕がなるほどと思ったのが、Netflixの株価が1週間で約7兆円も下落したというニュースです。会員数が初めて減少に転じたという業績速報が株主にショックを与え、それまで将来の期待を織り込んで高く付けられていた企業価値が一気に下落しました。

これは経験財を売る「コト」づくり競争のダークサイドの現われです。競争は消費者の財布の奪い合いですが、Netflixのように典型的な経験財を売るビジネスの場合、時間の奪い合いが熾烈になります。消費者のだれもが一日24時間しか持っていない。今2万円しか懐にない人も、2,000億円も貯蓄がある人も、持っている時間は一緒。それを競合他社と奪い合うわけですから、財布の奪い合いよりもよっぽどキツイ。

お金だけでなく、時間を何のために消費するのか。そこに成熟の特質が表れます。みなさんが普段どのように時間を過ごされているか、振り返ってみてください。Netflixに代表されるサブスクリプションサービス下でさまざまな経験財が供給され、一見豊かに時間を過ごせるようになりましたが、かえって生活の質が劣化しているケースも少なくありません。

先日地下鉄に乗ったら、左右に僕と同じくらいの年格好の男性が立っていました。片方は、つり革につかまって指1本でスマホゲーム『パズル&ドラゴンズ』に興じている。時折り列車に体勢を崩されながらも絶対にやめなかったので、よっぽど好きなんでしょう。で、もう片方はと言うと、まったく同じような見た目の男性なのですが、この人はハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』(※)を読んでいました。

※ ナチス・ドイツにおけるユダヤ人虐殺の責任者アドルフ・アイヒマンに付された裁判の傍聴記録と、アイヒマンの行動に対する考察が、ドイツ出身の哲学者・思想家である著者によって書かれている。

この違い、時間の消費の仕方として結構大きいと思うんです。パズドラに夢中になっている男性にとっては、今供給されている経験財の質が単なる暇つぶしになってしまっている。当たり前ですが、みんなに平等に与えられた24時間を何に消費するかによって、個人個人に大きな差がついていきます。しかも毎日繰り返されることなので、その差がどんどん蓄積されボディブローのように効いてくる。

時間消費の質が豊かかどうか。そこに成熟した社会の消費の基準があると思います。

画像: 消費と成熟―その4
消費と時間。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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※グレート・リセット:2021年夏に開催される予定の次回世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議におけるテーマ

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山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

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八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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