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泉谷閑示氏 精神科医・思想家・作曲家/山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
「生きている音楽」には生命システムに通じる要素があると説く泉谷氏。これまで社会を動かしてきたのも生物としての人間の深い感情であると話す山口氏に、泉谷氏は感情の本体は「愛」だと応じる。

「第1回:物質的充足がもたらす実存的な問い」はこちら>
「第2回:生きづらさから救ってくれたもの」はこちら>
「第3回:『生きている音楽』とは何か」
「第4回:『量』に負けず『質』を追求する」はこちら>
「第5回:経済システムから人間性を解放できるか」はこちら>

規則性と偶発性の止揚

山口
先生はご著書の中で茨木のり子さんの「生きているもの・死んでいるもの」という詩になぞらえて「生きている音楽」と「死んだ音楽」という表現をされていますね。私は音楽を聴くことで自分がチューニングされる、心が整うような感覚があるのですが、それができる音楽とできない音楽があるのは、やはりおっしゃるようなことに関係しているのではないかと思います。両者の違いはどこにあるのでしょうか。

泉谷
生きている音楽とは、まず機械的ではないもの、生物的な「絶えざる変化」が感じられる曲あるいは演奏と言えるでしょう。「生きた秩序」、あるいは「自由」とか「即興性」と言うこともできますが、規則性と偶発性が止揚して生まれるもの、これは秩序とカオスの縁で成立する生命システムのあり方と通底します。文字どおり生命感があるかどうかということが、生きている音楽と死んだ音楽の違いであると私は考えています。

山口
優れた芸術作品には、どこかに「自然」というものに通ずる要素があると思います。人類はもともと自然の中で生きてきた生物ですから、人間にとって自然は癒やしであったり、力を与えてくれるものであったりします。それを人間が再現しようとすることが、芸術という行為の本質なのではないでしょうか。考えてみれば、自然は野放図なものではなく、ある種の形式、定則の中での無限の変化があるもの、おっしゃるような生きた秩序や自由といった要素を持つものですから、それがあるかないかが、芸術作品が生命感を持つかどうかの違いであるということは腑に落ちます。完全に形式に寄ってしまえば人為的でつまらないものになり、形式を逸脱しすぎると違和感がある。その間に奇跡的に成立するものが「生きている音楽」ということですね。

泉谷
そうですね。人間は自然なものとそこからの逸脱を敏感に嗅ぎ分けるセンサーを備えているように思います。音楽についても、「こうしたら上手いとほめられるだろう」といった外連味(けれんみ)の感じられる演奏は、本来その音楽が持っている自然から逸脱しています。曲づくりにおいても、頭でひねり出したようなものは、あまりよいものになりません。何かが降りてきて手を動かされたというような感覚で生み出したものには、おっしゃるような自然のエッセンスが息づいていると感じます。文学でも絵画でもそうでしょう。受け手の側にもそのあたりを見極める力がないと、芸術と名乗っていても芸術ではないものに騙されてしまうことになりかねません。

画像: 規則性と偶発性の止揚

感情が社会を前に進める

山口
そう考えると、生きている音楽を生み出すことにも、見分けることにも、頭ではなく心、人間としての深い感情が関係していると言えそうですね。

経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、主著の『雇用・利子および貨幣の一般理論』の中で、経済活動を駆動しているのは合理的な判断や損得計算ではなく「アニマル・スピリッツ」、つまり「人間性に根ざした衝動」であると言っています。それは言い換えると「喜怒哀楽」だと私は思います。「これは許せない」とか、「放っておけない」とか、「楽しくてしょうがない」といった人間的な深い感情に突き動かされて行うことが、世の中を前に進めるエネルギー、イノベーションにつながり、さらには音楽をはじめとする芸術を生み出し、生というものを彩り、豊かなものにしてきたのではないでしょうか。

ところが最近、ビジネスパーソン、特に大企業の高いポジションにいる方々に、過去10年ぐらいの間に感じた喜怒哀楽を思い出して書いてくださいと言うと、ほとんど出てこない方が多いのです。企業で意思決定権を持つ人が感情に乏しいと、世の中を動かす力も弱まっていくのではないかと危惧しています。

泉谷
喜怒哀楽というのは様相としてはそれぞれ違いますが、実はその本体は一つ、「愛」だと私は思っています。心の奥底にある愛に邪(よこしま)なるものが近づいてきたとき、防御のために出てくるのが「怒」で、悲惨なものや気の毒なものと遭遇したときに対応するのが「哀」、楽しいもの、素晴らしいものに対しては「楽」と「喜」が対応するというふうに、同じ愛でも感情としての表出の仕方が異なるということです。ですから世の中を動かす原動力が「合理的判断=頭」ではなく「感情=愛=心」であるということは、まったくそうであろうと思います。

そうした感情、つまり心があまり動いていない経営リーダーが多いということはとても気になりますが、実は最初にお話しした人々の悩みが温度の高いものから低いものへと変わってきたのと同時に自閉的な方たちが増えてきているのです。

通常の場合は、人間の構造を「頭」/「心=身体」の図式(Figure 1参照)で理解することができます。そして「頭」と「心=身体」の間にある蓋が閉まってしまうことが、問題の原因になるのが常なのです。しかし自閉の場合には、蓋が閉まっているうんぬんではなく、そもそも「頭」と「心=身体」がつながっていないのです。これは生まれつきのことなので病気ではなく一種の障害、つまりそうした特性を持っているということです。近年、そうした人々は社会の中枢部でも顕著に増加しているようです。

山口
社会的な影響力を持っているということですか。

泉谷
はい。政治や経済の世界もそうですし、音楽などの芸術分野でも、「頭」と「心=身体」がつながっていない人々が権力を握る構造が日本だけでなく世界的に広がっています。(第4回へつづく)

画像: 感情が社会を前に進める

「第4回:『量』に負けず『質』を追求する」はこちら>

画像1: 芸術に「質」を取り戻す 生きる力を支えるのは本物の感動
【その3】「生きている音楽」とは何か

泉谷 閑示(いずみや・かんじ)
東北大学医学部卒業。東京医科歯科大学神経精神医学教室、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務の後、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。帰国後、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京/広尾)院長。大学・企業・学会・地方自治体・カルチャーセンター等で講義や講演を行うなど、精力的に活動中。TV、ラジオではニュース番組、教養番組に多数出演。舞台演出や作曲家としての活動も行なっており、CD『忘れられし歌 Ariettes Oubliées』(KING RECORDS)等の作品がある。
著書に、『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)、『反教育論』(講談社現代新書)、『仕事なんか生きがいにするな』(幻冬舎新書)、『本物の思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)他多数。

画像2: 芸術に「質」を取り戻す 生きる力を支えるのは本物の感動
【その3】「生きている音楽」とは何か

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

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マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

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私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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