山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/泉谷閑示氏 精神科医・思想家・作曲家
薬を使わない精神療法を行う泉谷氏。クリニックにある本やCDは、クライアントの自己探求の手助けとなり、救いとなるものだと話す。山口氏も生きづらさを抱えていた当時、音楽と本が救いになったという。

「第1回:物質的充足がもたらす実存的な問い」はこちら>
「第2回:生きづらさから救ってくれたもの」
「第3回:『生きている音楽』とは何か」はこちら>
「第4回:『量』に負けず『質』を追求する」はこちら>
「第5回:経済システムから人間性を解放できるか」はこちら>

自己探求を支援する

山口
こちらの診察室に入った時、図書館のようにたくさんの本があって驚きましたが、治療にお使いになるのですね。

泉谷
はい。ですからご覧いただいて分かるように精神医学の本はそれほど多くありません。セッション(診察)というのは即興的に行うため、いろいろなことに対応できるように文学だったり、哲学だったり、さまざま用意しています。ある人にはロマン・ロランを、ある人にはヘルマン・ヘッセを紹介してみたり、絵に関心がありそうなら画集を引っ張り出してきてみたり、音楽ならCDをかけてみたり。

実存的な問い、空虚さという問題には、こう言っては言い過ぎかもしれませんが、心理学や精神医学はあまり役に立ちません。大切なのは、クライアント自身の自己探求をいかに支援できるか。そのためには人間というものを全体的に捉える必要があり、芸術が必要なのです。クライアントの中には、自分でつくった曲や自分で書いた絵を持ってくる方もいらっしゃって、セッションは私にとっても刺激的なものになることが多いですね。

山口
クライアントの皆さんは、文学作品なり美術作品なりを、自分の中で起きていることを把握するきっかけにしたり、ゼロ地点から先へ進むための力にしたりするということですね。

私が先生のご著書の中で最初に読んだのは『「普通がいい」という病』でした。まえがきに、自分らしさの象徴としての「角」と、それを切除して主体性を奪うことがはびこっている社会への問題提起をされていますね。私自身が「角を矯めて牛を殺す」というような教育を大人から受けたことで生きづらさを感じてきましたので、先生があのような本を書いてくださって、わが意を得た思いでした。

私の場合、生きづらさを感じていた当時に救いになったのは、やはり音楽、そして本でした。クラシックもロックもジャズも聴きましたし、本も中学・高校の頃はニーチェに傾倒したりしていましたが、どちらもポーズとか教養を学ぶためではなく、心の危機に瀕してすがりつく思いで手に取っていました。そうやって切実に求めると、渇いた喉を潤すように心に浸透してくるものがあり、ずいぶん助けられました。ですから先生のクライアントが本や音楽や絵に救われるという感覚はよく分かります。

そうした意味では音楽療法というものも効果がありそうですが、先生は音楽学校にも通われて、音楽に対する深い知識をお持ちなのに、それを生かして音楽療法をやろうとしたら馴染めなかったそうですね。

泉谷
そうなんです。音楽療法の論文も書きましたけれど、精神医学よりもはるかに長い歴史の中で人々を癒やしたり鼓舞したりしてきた音楽というものを、後から来た心理学や精神医学が都合よく療法に利用することに対する居心地の悪さのようなものを感じてしまって。治療は治療、音楽は音楽として、それぞれを深めていったほうが自分としては納得がいくと感じました。そうやって一歩引いて見ると、結果的には奥の方でつながっているのですよね、音楽と精神医学は。

山口
「地下水脈」でつながっていたと表現されていましたね。どちらも人間の精神に関係しているものだと。

画像: 自己探求を支援する

音楽は習うものではない

山口
実は私もピアノを弾くのですが、小さい頃は音大のピアノ科出身の母から教わっていました。ただ母の教え方が嫌で、一時はピアノから離れていたのです。その後、先生と同じように音楽をつくるほうに興味が出て、母の紹介で作曲を習いましたけれど、それも振り返ってみるとよかったのか悪かったのか……。作曲に限らず、何かを行ううえで理論や技術は大切ですが、あまり理論と技術に偏り過ぎると、精神の部分、人間性の解放や心を動かすことにつながらないという危うさがありますよね。

泉谷
そうですね。なのに、日本の音楽界は理論や技術の方向に偏っている傾向があるように感じます。

山口
そこは教育の問題とも関係がありそうです。先生はパリのエコールノルマル音楽院のピアノ科に留学されていた時、「音楽は習うものではない」と感じたそうですね。

泉谷
ええ、技術的な面では参考になることも多くありました。ただ、押しつけのように感じることもあり、表現に関しては学ぶものではなく、自分の内から出るものだということを再認識するきっかけにもなりました。

一方でフランスの音楽教育には学ぶべき面もあります。『反教育論』の中で触れたように、私は教官の技術的な指導に従わなかったことがありましたが、教官は怒ったものの根に持つようなことはなく、最後まで温かく見守ってくれました。また、昇級試験の試験官を指導教官以外が務めるというのも優れたシステムです。もし指導教官との相性が悪くても、公平にジャッジされるというのは素晴らしいことです。旧態依然とした音楽教育への批判からそうした改革がなされたようですが、日本ではどうでしょう。いまだに師弟関係でその後の運命が決まってしまうケースも少なくないようです。

山口
そう考えると、習うことも、教えることも、軽く考えてはいけませんね。

泉谷
音楽でも茶道や書道でも、皆さんすぐ習いに行きたがりますが、人に習うというのは、実はかなり危険なことだと思います。私自身、作曲のレッスンで学んだことが、その後10年間くらい自分が作曲をするうえでの足枷になっていました。

茶道だって最初の千利休は誰かに習ったわけではないでしょう。ピアノという楽器だって、できたときにはピアノ教師などいなかったのですから、勝手に弾いたって構わなかったはずです。せっかく音楽が好きなのに、習うことで嫌いになってしまったのでは本末転倒です。

山口
習うことで基本的な技術やノウハウが身につきやすいというメリットはあると思いますが、一方でジャズやロックのギタリストなどには独学で始めて大成する人も多いですよね。習わなければできないという思い込みも捨てたほうがいいのかもしれません。(第3回へつづく)

「第3回:『生きている音楽』とは何か」はこちら>

画像1: 芸術に「質」を取り戻す 生きる力を支えるのは本物の感動
【その2】生きづらさから救ってくれたもの

泉谷 閑示(いずみや・かんじ)
東北大学医学部卒業。東京医科歯科大学神経精神医学教室、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務の後、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。帰国後、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京/広尾)院長。大学・企業・学会・地方自治体・カルチャーセンター等で講義や講演を行うなど、精力的に活動中。TV、ラジオではニュース番組、教養番組に多数出演。舞台演出や作曲家としての活動も行なっており、CD『忘れられし歌 Ariettes Oubliées』(KING RECORDS)等の作品がある。
著書に、『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)、『反教育論』(講談社現代新書)、『仕事なんか生きがいにするな』(幻冬舎新書)、『本物の思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)他多数。

画像2: 芸術に「質」を取り戻す 生きる力を支えるのは本物の感動
【その2】生きづらさから救ってくれたもの

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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