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山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/泉谷閑示氏 精神科医・思想家・作曲家
泉谷氏は、「頭」と「心=身体」がつながっていない人々が増えているという現代社会の問題点を指摘する。問題を克服するために必要なのは、評価軸の「量」から「質」への転換であるという。

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「第4回:『量』に負けず『質』を追求する」
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「頭」と「心=身体」がつながっていない人が評価される社会

山口
「頭」と「心=身体」がつながっていない人にはどのような特徴があるのでしょうか。

泉谷
物事をほぼ「頭」だけで処理します。「頭」というコンピューターによる損得計算、比較検討、シミュレーションなどが行動決定の基本原理であるため、冷徹に、人を蹴落としてでも勝ち抜くこと、何が何でも儲けるといったことを平気で行えます。また、自身を他者からの観点で見ることができず、独善的になりやすい傾向があります。

山口
「頭」と「心=身体」がつながっていないということは、心因性の病気にもならないのですか。

泉谷
うつ病を発症することもありますが、あるとき突然、「身体」だけが壊れる感じになります。普通の人のうつ病は、悩んで悩んで自分を責め続けた結果、「身体」が動かなくなるものですが、「頭」と「心=身体」がつながっていない人は、例えばあるとき突然に会社に行けなくなるという現象だけが起きるのです。だから本人もどこが悪いのか分からないし、同じうつ病でも通常ならば生ずるような自己否定の苦悩が、一切生じないのです。

そうした自閉的な人が音楽をやると、練習を苦にせず機械のようにこなせるため、難易度の高い演奏もやってのけます。本番だからといって緊張もしないので、高い評価を得やすくコンクールでも上位に入選します。政治・経済ならまだしも、芸術の世界がそうした人に席巻されると、価値判断の軸が変わってしまうのです。

山口
普通の人が同じことをやろうとしても真似できませんよね。

泉谷
できません。壊れてしまいます。

山口
それで自分はダメだと思って音楽を諦めてしまう。

泉谷
そこが怖いところです。「頭」と「心=身体」がつながっていない人が親だと、その子どもは一方的な強制や愛情不全が原因で自己愛や自信が持てずに悩むことになりますし、上司だったりするとまさにクラッシャー上司となって部下をつぶしてしまう。国の指導者だと、自国さえよければいいという考え方になり、国際的な軋轢を生んでしまう。そうしたことに私は危機感をおぼえます。

山口
ただ過去を振り返ると、学術でも芸術でも技術でも、天才や鬼才と言われたような人々、大きな成果を上げた人はそうした傾向を持っているケースが多いのではないでしょうか。

泉谷
もちろんそのような方々の才能や業績を否定するつもりはありませんが、「頭」と「心=身体」がつながっていない人が増える中で、周辺の犠牲者も増えています。それらを総称してカサンドラ症候群と呼びます。「頭」と「心=身体」がつながっていない人は昔から一定数いるのですが、問題は、今の社会がそうした人たちを優秀だとして無批判に持ち上げて、権力を与えてしまう構造になっていることです。成績がよければそれでいい、業績が上がれば何をしてもいいという風潮は社会のあちこちで見られます。以前なら、成績だけが評価軸ではないと考える人間的な人たちも同等の権力を持っていたため、バランスが保てていたのですが。

画像: 「頭」と「心=身体」がつながっていない人が評価される社会

身も蓋もなさに対応するために

山口
確かにそうですね。極端に言うと、今の社会で評価されるのは経済的価値を生み出している人です。そのため、経済的価値につながる学歴、業績さえよければ、人格や佇まいの美しさといったものは問われなくなり、身も蓋もないことをやっても稼いだ人が勝ちだという風潮に傾きつつあります。

アントン・チェーホフの『桜の園』や、それに影響された太宰治の『斜陽』には、時代の大きなうねりの中で、身も蓋もなさに覆い尽くされていく社会と、その変化になすすべもなく翻弄される人々の姿が描かれています。国は違えども、そうした社会の変化のプロセスとそれに対する悲哀は共通しているのでしょうね。生物学では環境変化に適応できない遺伝的性質を持つ生物は滅びていくという自然淘汰の考え方がありますけれど、悲観的に考えると、社会環境が「頭」と「心=身体」がつながっていない人々に有利に傾けば、それに心の痛みを感じてしまう人は……。

泉谷
不適応者になりますね。

山口
恐ろしい時代ですよね。

泉谷
ええ。実際にそうした現実が迫ってきています。その歯止めになるのが音楽をはじめとする芸術であるはずで、芸術が「生きたもの」として機能していることが、人間が人間であり続けるための大切なポイントになるはずです。

山口
そのためには何が必要と思われますか。

泉谷
キーワードとして挙げられるのは「質」でしょう。「頭」と「心=身体」がつながっていない人々は基本的に「量」を追いかけるものです。目に見えるもの、すなわち偏差値、学歴、年収、地位といった、頭で判断でき、量的に測れるものに執着します。一方、「質」は心でしか感知できませんから、彼らにはよく理解できません。問題は、人間的感性を持ち、質が分かるはずの人が、量的な競争や圧力に負けて質を軽視するようになっていることです。したがって、芸術は質の追求にウエイトを移し、技術的な「感心」ではなく、心が揺さぶられる「感動」の方を重視しなければなりません。コンクールで順位をつけたり、点数をつけたりすることはそろそろおやめになってはどうかと、私は言いたいですね。「生きている音楽」とは、質を重視した音楽と言うこともできます。それをどこまで取り戻せるかが重要です。(第5回へつづく)

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画像1: 芸術に「質」を取り戻す 生きる力を支えるのは本物の感動
【その4】「量」に負けず「質」を追求する

泉谷 閑示(いずみや・かんじ)
東北大学医学部卒業。東京医科歯科大学神経精神医学教室、財団法人神経研究所附属晴和病院等に勤務の後、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。帰国後、精神療法を専門とする泉谷クリニック(東京/広尾)院長。大学・企業・学会・地方自治体・カルチャーセンター等で講義や講演を行うなど、精力的に活動中。TV、ラジオではニュース番組、教養番組に多数出演。舞台演出や作曲家としての活動も行なっており、CD『忘れられし歌 Ariettes Oubliées』(KING RECORDS)等の作品がある。
著書に、『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)、『反教育論』(講談社現代新書)、『仕事なんか生きがいにするな』(幻冬舎新書)、『本物の思考力を磨くための音楽学』(yamaha music media)他多数。

画像2: 芸術に「質」を取り戻す 生きる力を支えるのは本物の感動
【その4】「量」に負けず「質」を追求する

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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