「第1回:婚活に見る獣性。」はこちら>
「第2回:スペックの誤謬。」はこちら>
「第3回:獣性の対極にある『品』。」はこちら>
「第4回:欲望に対する速度。」
「第5回:潔さ(いさぎよさ)。」はこちら>
※本記事は、2021年9月1日時点で書かれた内容となっています。
「品の良さ」の最上の定義だと思っているのは、「欲望に対する速度が遅い」――『純情ババァになりました』という加賀まりこさんの本で知りました。この定義が秀逸なのは、欲望の存在を否定していないことです。つまり、品があるというのは、お釈迦様のように世俗的な欲望から解脱してしまうことではない。普通に欲はある。ただそれをなりふり構わず慌てて取りに行かない。あくまでも、欲望に対する速度が「遅い」ということです。期待がすぐに実現するとは思っていない。自然な流れの中でうまくいくことも、いかないこともあるわけで、それをじたばたせずに待っている。これが上品な人だと思います。
わかりやすい例で言うと、カラオケに行った時にカラオケのルームに入るやいなや、もう端末をいじって選曲をはじめている人っていますよね。その一方で「何か歌ってよ」と言われても、「いやいや、いいよ、僕は聞いているから」とか言っている人がいて、みんなから「もうそろそろ歌ってよ」と言われたときに「それじゃ、一曲だけ」と言って歌う人の方が妙に聞かせる。そういう感じです。
もう少し抽象化すると、品がいいということは、時代とか状況とか相手に応じて自分を変えないということです。欲望に対する速度が速い人は、それを満たすために状況によってなりふりかまわずアプローチを変えてしまう。しかし品がいい人というのは、むしろ相手が近づいてくるのを待っている。ゴルゴ13というキャラクターもまた品格を感じさせるのですが、あの人にしても自分からは動かずに、クライアントの依頼が来るのを待っています。
僕が知っている人の中でも、自分ひとりで企業や事業のブランド戦略をつくっているKさんは、最も品格がある人です。いろいろ成功した大きな仕事があるのですが、とにかく表に一切自分の名前や顔を出さないんです。評判を知った人が、調べて仕事を頼みに来ても、ほとんど受けずに自分に合う仕事だけをやっている。ブランド界のゴルゴ13のような人です。
Kさんは、自宅とは別に逗子マリーナのいい感じの古いマンションを一部屋持っていて、週末はそこで過ごすことが多いそうです。そのマンションを買う前に、彼は1年間その逗子マリーナに部屋を借りて住んでみた。実際に生活してみて、どういうところが良くてどういうところに問題があるのかを体験した上で、購入を決めたそうです。普通だと、ここを買いたいとなると、もうジタバタしてしまいますが、こういう人はたぶんそのチャンスを逃しても、それほど悔しがらない。また次の機会だな、と。こういう欲望がインスタントでないところが、品を感じさせるのです。プロセスを楽しんでいるから、急がない。むしろプロセスを楽しんだ上で手に入れられたとしたら、そっちのほうが喜びが大きいことをわかっているのだと思います。
その2で触れた創薬ベンチャーの所さんは、若い頃に軽井沢のゴルフ場でアルバイトをしていたそうです。それが今になって、軽井沢に別荘が欲しくなった。いろいろと物件を見てみたそうですが、納得がいかず長い間購入しませんでした。ある時に、突然これはという物件が出てきて、それはもう実物を見ずに決めたというのです。Kさんの話とは逆のように見えますが、共通点は買おうかなと思っても全然急がない。そしてこれはと決めたら、即断即決。どちらもやっぱり偶然性を楽しむという非計画的なところが共通しています。
所さんと一緒にいると、僕まで欲望に対する速度が落ちてくるんです。彼は薬を開発するベンチャーが仕事ですから、非常にハイリスクなビジネスです。そこに、昔から僕もごく少額ながら投資をしているのですが、所さんは僕に会うと「おまえ、金持ちになる準備しとけよ」と必ず言うんです。「そのうち、おまえ大変なことになるから、準備しておけよ」「いきなり金持ちになると、体壊すから」と言い続けてかれこれ20年。もちろん一度も入金はありません。でも、むしろそのほうがなんか楽しいと思わせるんです。もうこの所さんの会社に投資した金は、全部失ってもいいやと思わせる。所さんの欲に対するスタンスが感染してきます。最近では、むしろ全部パーになったほうが嬉しくなるのではないかという気すらしています。
こういう話と比較すると、やっぱり婚活というのはシステム上、人をせっかちにしてしまいます。最低の努力で最高のリターンを最も早く手に入れよう。このシステムの性格からして、絶対に計画的にならざるを得ないのです。活動を開始してからクロージングまでの時間をなるべく短くしたいということで、欲望に対する速度を極限まで上げていくことになります。すぐ役に立つ物が、すぐに役に立たなくなるというのは、人間社会の鉄則です。慌てず騒がず「なり」や「ふり」を大切にする、それが品格だと思います。(第5回へつづく)
楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
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シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。