村上 陽一郎氏 東京大学名誉教授・国際基督教大学名誉教授/山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
この対談の大きなテーマである「教養」について山口氏が問いかけると、村上氏は教養とは「これでいいのか」と自分自身に問いかけ、考える機能であると答える。それは知識の量とは関わりなく、リベラルアーツとも似て非なるものであるという。

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自分自身に問いかけ、考える機能

山口
村上先生は2009年に上梓された『あらためて教養とは』の中で、よく「教養が邪魔をして……」などと揶揄して言われるけれども、教養が邪魔してくれなければ人間ではなくなってしまうと書かれていますね。教養というものは「規矩(きく)」や「慎み」と近接した概念で、その原点は「モラル」であると。教養があるかどうかは、知識の量とは関係なく、自分の中にきちんとした規矩を持っていて、そこからはみ出したことをしない生き方ができるかどうかだと説いておられます。

本をたくさん読んでいるとか、外国語ができるといったことだけではない「教養」というものは、社会が安定的で変化のない時代にはあまり目立たないのかもしれません。ところが今日のような不確実な時代、パンデミックという未曽有の状況を前に、何をすべきか、すべきではないかという判断を下さなければならないとき、専門知だけを拠り所にすると正しい判断ができない可能性があります。科学や技術の知識を踏まえつつも、取捨選択の判断は自分で行わなければならない。そうした時にこそ教養が求められるのではないかと思います。では、そうした「教養」はどうすれば身につけられるのでしょうか。

村上
教養の大事な要素の一つに「慎み」、英語でいうdecencyがあります。私がそう考える理由は、ヒトというのはそもそも欲望を抑える能力を欠いた生き物だと思うからです。放っておけば、欲望を満たすためには、大量に仲間を殺すことも辞しません。その自覚があったために「宗教」というものをつくり出し、超越者としての神の存在と戒律に欲望の抑止機能を求めたのだとも考えられます。

それに対し、神は人間がみずから理性をもって最高善へ向かうことを支えるために存在すると考え、人間の「理性」の働きというものに欲望の抑止機能を期待したのがカントですね。ところが宗教的な戒律も人間の内なる理性も、欲望を満たすことで生きているという人間の実態を大きく変えることはできていません。

ならば、理性だけではなく「教養」はどうか。「人間はこれでいいのか」という本質的な、魂からの問いかけはどうでしょうか。

新約聖書の「ヨハネによる福音書」に姦通の罪を犯した女の話がありますね。「姦通の罪を犯した者は石で打ち殺せとモーセは律法で命じているが、あなたはどう考えるか」とパリサイ人や律法学者に問われたとき、イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言った。すると、皮肉なことに年長者から去って行った。わが身を振り返っても、年寄りというのはそれだけ罪多き存在なのだと身につまされますが、全員が去ったのち、イエスも「私もあなたを罪に定めない」と言いますね。それは、人を裁くことができるのは神だけだからという解釈のほかに、イエスもまた過去に罪を犯した存在であるからだ、神の子であるイエスが人間のほうに傾いていたと解釈をする神学者もいるようです。

けれど私は、イエスが女性を罪に定めなかったのは、自分の心の底にある何かがそれをためらわせた、あるいはそれを行うことを猶予させたという見方もできるかもしれないと思います。その何かというのはネガティブケイパビリティと関わってきますが、心の余裕をもって「これでいいのか」と自分に問いかけ、考えていくということです。その機能を私は「教養」と呼びたいのです。

それは何で養われるかというと、答えは一つではないと思います。自分の仕事にひたすら専念する間に、自分に対する問いかけを繰り返す機能を養っていく人もいるでしょう。本を読んで、外国語を学んで、自分への問いかけを深める人もいるでしょう。どこであろうと、何を学ぼうと、自分自身に対する問いかけの連鎖を育てていくこと、そこで得られたものが「教養」なのではないかと私は思います。

画像: 自分自身に問いかけ、考える機能

みっともないふるまいをしない

山口
自分自身に問いかけて、自分の中にある規矩からはみ出した行動をしない。これは言い換えれば、先生も書かれていたように「みっともないふるまいをしない」ということですよね。それが実は、難しいのではないかとも思います。そもそも「みっともないふるまい」が人によって異なるでしょうし、世の中はみっともない人のほうが勝ってしまうこともある。この救いがたい現実とどう戦っていくのかというのは、永遠の課題なのではないかと思います。

そうした観点から言うと、私は福沢諭吉が好きなのですが、彼は勝海舟と榎本武揚に送った書簡「瘠我慢の説」の中で、幕臣であったのに新政府で地位を得た彼らを批判しています。「みっともないことをするな」と言っているわけですよね。江戸城明け渡しに関しても、武士道が失われたと批判している。西洋というものを熟知していた一方で、武士としての矜持も持ち続けていた人でした。

福沢自身は最終的には教育者として名を成し、やせ我慢をしながらも成功したわけですね。そうなれるといいのですが、誰しも世俗的な成功やある種の豊かさを求める中で、みっともないふるまいをする人が世の中をうまく渡っていくという現実がある。最近は、世俗的な成功のためのスキルとしてリベラルアーツや教養が必要だという風潮もあるぐらいです。そうした社会における教養の位置づけというのも難しい問題だと思うのですが。

村上
難しいですね。リベラルアーツの必要性というものを世俗的に解釈すれば、おっしゃったように、「専門知だけではうまくいきませんよ」ということになるでしょう。専門性を持つことは大切だけれど、特に経営者となれば経営学だけ修めればいいというわけにはいきませんね。専門外の領域や技術についての知識も必要でしょうし、グローバル化が進む中では、仕事上関わりのある国や地域の言葉、文化や価値観、その背景となる歴史も知っておかなければならないでしょう。そのためにリベラルアーツや教養が必要であるということを否定するつもりはありません。ただ、リベラルアーツと教養とは、やはり似て非なるものなのです。

画像1: 「教養」とは自分を形成していくこと
混迷の時代に求められるリーダーの規矩
【第3回】あらためて教養とは

村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)
科学史家、科学哲学者。1936年生まれ。東京大学教授、同大学先端科学技術研究センター教授・センター長、国際基督教大学教授、東京理科大学大学院教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。2018年より豊田工業大学次世代文明センター長。
著書に『ペスト大流行』(岩波新書)『安全学』、『文明のなかの科学』、『生と死への眼差し』(青土社)、『科学者とは何か』(新潮選書)、『安全と安心の科学』(集英社新書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)、『日本近代科学史』(講談社学術文庫)他多数。編書に『コロナ後の世界を生きる』(岩波新書)他。

画像2: 「教養」とは自分を形成していくこと
混迷の時代に求められるリーダーの規矩
【第3回】あらためて教養とは

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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破壊の先にある創造へ――。「グレート・リセット」後に求められる社会とビジネスのあり方を、各界の有識者の言葉から探ります。
※グレート・リセット:2021年夏に開催される予定の次回世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議におけるテーマ

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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