「第1回:今だからこそ必要なネガティブケイパビリティ」はこちら>
「第2回:仮想空間は断絶を拡大する危険をはらむ」
「第3回:あらためて教養とは」はこちら>
「第4回:リベラルアーツと教養の違い」はこちら>
拙速に判断し批判が広がる社会
村上
拙速に答えを求めないということは、COVID-19に対する各国政府の対応策にも当てはまると思います。当初はウイルスの性質などもよく分かっていませんでしたし、遺伝子変異したデルタ株などは、SARS-CoV-2のバリエーションというよりも、もはや異種なのではないかとも言われていますね。ウイルスそのものが科学的に不確定である中では、対策法を見いだしたと思っても、それがずっと通用するとは限りません。
日本の対策についても、人口当たりの感染者数や死者数といった指標を見ると、今のところ世界の中で特に悪いわけではありませんね。ですから、その時点での感染者数だけを見て成功だ、失敗だと拙速に判断して誰かを批判するのではなく、ちょっと立ち止まって考えることが大切ではないでしょうか。
この件に限らず、最近の社会全体の傾向として、ソーシャルメディアなどで誰かの意見をじっくり考えもせずに否定することや、批判が瞬く間に拡散されるといったことが頻繁に起きています。これはやはり少し困ったことだと思うのですけれど、山口さんはどう思われますか。
山口
まったく同感です。以前、この連載で日立製作所フェローの矢野和男さんと対談したのですが、矢野さんの研究テーマは人間の幸福度の定量化で、その成果を職場の活性化や生産性向上に応用されています。
矢野さんによると、コロナ禍で広がったオンラインでのコミュニケーションは、対面よりも幸福度が低い傾向にあるそうです。人間は対面でのコミュニケーションを前提として進化してきたため、ボディランゲージや無意識の体の動きなどで共感を表したり、親近感を抱いたりするものです。それらの情報が乏しい仮想空間では、意思の疎通が難しく、幸せを感じにくいということは感覚的にも理解できます。
そう考えると、コロナ禍で1年半以上にわたって物理空間での人との接触が少ない状態が続いている中で、幸福度が下がり攻撃的な気持ちになる人が増えるのも致し方ないのかもしれません。また、仮想空間ではアイデンティティも曖昧になりますから、普段の自分とは別の人格、抽象化された人格を使い分けて誰かを攻撃することも平気で行えます。
生物本来のあり方を取り戻す
山口
米国の法学者、キャス・サンスティーンは、2001年に書いた『インターネットは民主主義の敵か』において、大量の情報の中で自分の見たいものだけフィルタリングしてしまうインターネット空間は、過度の分裂や自由への犠牲を強いるということを指摘しています。彼は、合衆国最高裁判所判事を務めたルイス・ブランダイスの、言論の自由と集会が民主主義の核心であるという言葉を引用していました。新聞などでさまざまな情報を得て、集会のような公共の場で議論を行うことは、自分とは経済的な立場が違う人や、政治的な立場が違う人の考えに触れ、理解するための大切な機会になっていたということですね。
私たちも物理空間に出れば意見の異なる人、自分とは違う仕事や生活を送る人と出会う機会が嫌でもあり、その中でさまざまなことを感じ、考えることができます。一方、コロナ禍でコミュニケーションの仮想空間シフトが進むと、見たいものしか見なくなり、悪い意味で物事が予定調和的になってしまう。これはよほど注意しないと、断絶を拡大する危険をはらんでいると思います。
村上
仮想空間には仮想空間の良いところがあって、例えばこうして家に居ながら山口さんとお話ししたり、ときには海外の方と空間を超越してミーティングしたり、バーチャルではあるけれどもお互いに顔を見合わせることができるのは素晴らしいと思います。ただそれはやはりバーチャルであり、おっしゃるように生き物としての人間のあり方からは外れているわけですよね。その中では極論が形成されやすいという可能性はあるでしょう。
人間同士はもちろん、人間と犬などでもまなざしを交わし合うと幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンが分泌される、などと言われます。シンプルなことですが、そうした生物本来のあり方を取り戻すことも、アフターコロナの社会における課題になるかもしれません。
山口
人間は外界を認識するのに五感を用いていますけれど、情報の取得では視覚や聴覚に頼る割合が大きい一方で、本能や感情などの内面的なものへ思った以上に強く働きかけるのが嗅覚だそうです。フェロモンのような匂いとして認識していないような物質に脳が反応するということもありますし、私たちは非自覚的に環境からさまざまな影響を受けて生きているわけですよね。それが制限されることの影響というのは、予想以上に大きいのかもしれません。
ただ今後、テクノロジーの進歩によって仮想空間でもリアリティを感じられたり、自動同時通訳技術で言語の壁を越えたコミュニケーションが可能になったりすると、なかなか面白い時代になるのではという期待もあります。それまでの過渡期における仮想空間との付き合い方については、やはり少し立ち止まって考える必要がありそうです。
村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)
科学史家、科学哲学者。1936年生まれ。東京大学教授、同大学先端科学技術研究センター教授・センター長、国際基督教大学教授、東京理科大学大学院教授、東洋英和女学院大学学長などを歴任。2018年より豊田工業大学次世代文明センター長。
著書に『ペスト大流行』(岩波新書)『安全学』、『文明のなかの科学』、『生と死への眼差し』(青土社)、『科学者とは何か』(新潮選書)、『安全と安心の科学』(集英社新書)、『死ねない時代の哲学』(文春新書)、『日本近代科学史』(講談社学術文庫)他多数。編書に『コロナ後の世界を生きる』(岩波新書)他。
山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
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新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
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日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
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マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。