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長期戦略として株主を選別する企業
――前回のお話で、社会の動きをいち早くとらえ、CSV戦略を実践している企業が収益を上げているということでしたが、従来のパラダイムに縛られている企業がマインドや行動を変えるのは容易ではないように感じます。
岡田
いくつかの企業は能動的戦略転換を成し遂げ、残りの企業は容易に変われない、それが現実だと思います。戦略理論の視点から言えば、行動や発想を転換できなければ、あとは市場の競争が判断を下す、ということに尽きます。
前回紹介したユニリーバは、2009年にポール・ポールマンがCEOに就任すると、四半期決算の発表をやめて、長期視点の経営をめざすと宣言しました。このとき、短期的利益を求める株主が離脱したため、株価が一気に8%ほど下落したそうです。しかし下落は一時的なもので、その後は上がり続けています。結果として、長期的な視点を持つ株主に自社の株を買ってもらうという狙い通りになりました。
そうした意味では、中長期的な視点を持って、環境・社会のニーズを掘り起こしていく作業は、企業価値の持続的な拡大にとって決してマイナスになるとは限りません。ただし、単に長期視点で考えれば株価が上がるということではなく、ユニリーバの場合は、それと同時に進行する市場における機を見た取り組みがうまくマッチした事例と言えます。すなわち、長期的視点に立って独自の方法で顧客ニーズ、世の中のニーズを満たしていくという戦略構造と、刻々と変動する市場環境に迅速に対応する超短期のアジリティ(機敏さ)を両方持つことは、まさに両利きの経営(ambidexterity)として競争優位を持続させると考えられます。
企業が株主を選別するという意味では、トヨタが2015年に発行したAA型種類株式も話題になりました。これは、トヨタが社会と地球環境に貢献する最先端の次世代技術を産み続けることが中長期的な企業価値向上に不可欠であるという考えから発行したもので、5年間は売買できない条件が付与されていました。残念ながらすでに発行は終了しましたが、企業側が株主を選別するという意味で、インパクトのある取り組みでした。
いずれにせよ、トヨタのWoven Cityに注目と期待が集まっているように、2050年などの超長期をターゲットに戦略を組みつつ、時々刻々と変化する市場ニーズにも敏捷に反応できるアジリティを併せ持つ企業が世の中から評価されるようになってきているのは間違いないでしょう。
環境・社会へのインパクトの定量化
――2016年の岡田先生のインタビューでは、これまで満たされてこなかったニーズの例として途上国のBOP市場などを挙げていらっしゃいました。しかし現在では、グリーンプレミアムが注目されているように、先進国においても満たされないニーズがまだまだ存在するということですね。
岡田
それは大変重要な指摘で、ポーターは2011年のCSVの論文のときから、これまで企業が参入できなかった「市場の失敗」ゾーンというのは、途上国に限らず先進国にもある、と指摘していました。私も経済発展段階にとらわれずにすべての業界や市場で社会ニーズをとらえるべきだと思います。
その点で大変参考になるのが、ハーバード・ビジネス・スクールのジョージ・セラフェイム教授の研究プロジェクトです。同教授は現在、環境や社会へのプラスとマイナス両方の影響(インパクト)を測定し、金銭価値に置き換え、財務諸表に反映させるための「インパクト加重会計イニシアティブ(IWA:Impact-Weighted Accounts)」という大規模プロジェクトを推進しています。このプロジェクトのなかで、環境・社会に関する多様な市場ニーズ(E・S課題)を業界別に列挙し、測定手法を示しているのです。
実は同教授は、2012〜2014年にかけて米国のサステナビリティ会計基準審議会(SASB:Sustainability Accounting Standards Board)のメンバーを務めているんですね。SASBは、企業の会計原則を担う規制団体である米国財務会計基準審議会(FASB:Financial Accounting Standards Board)と並ぶ存在として2014年頃に台頭してきた組織で、いまやSASBの基準に基づいて財務会計を開示する日本企業(大和証券、NTT、三菱地所など)も出てきています。
そして同教授は、インパクト加重会計イニシアティブプロジェクトのなかで、SASBのプラットフォームを使って、業界ごとに製品・サービスの環境上・社会上のインパクトを定量的に測定するための計算手法を公表しています。これは、CO2の削減や産業廃棄物の削減といった、企業の内部プロセスにおけるカーボン会計にとどまらず、その企業の製品やサービスが環境や社会にどれくらいインパクトを与えるのか、その価値を測定するというものです。各業界の特殊性を考慮しながら、非財務価値の定量化によって企業間の競争に役立てるという意味で、非常に興味深い取り組みと言えます。
業界ごとのE・S課題に独自の方法で取り組む
――業界ごとに、考慮すべき社会や環境上のインパクトが違うのですね。
岡田
例えばアパレルなら製造過程において児童労働に加担していないか、繊維などの原材料の生産過程でどれくらい環境負荷がかかるのかといったことが指標になります。電力エネルギー業界なら、「グリーンハウス・ガス・エミッション & エナジー・リソース・プランニング」「エア・クオリティ」「ウォーター・マネージメント」、食品業界なら、1キロカロリーあたりいくらで供給できるのか、といった具合です。計測すべき項目は業界特性に応じて変わります。これらの項目は、先述のSASBが77業界の特徴的な課題リストとして列挙しています。
私自身、研究のなかで社会・環境上のインパクトの指標化にチャレンジし、業種・業界を超えて横断的に社会的インパクトを比較したいといろいろ考えてきました。しかし、横並びで比較しようとすれば指標が標準化しすぎて個々の業種固有の特徴を捕捉できないし、業界特殊な項目を細かく設定しすぎると業界横断的な比較になじまないというトレードオフが存在して、これはなかなか困難です。セラフェイム教授は、製品・サービスの受け手・買い手へのインパクトを、膨大な労力をかけて業界ごとに示し、金銭的評価に落とし込んで比較可能にしている点で、非常に重要な成果を出されたと思います。
もっとも、この測定を自社で取り組むのは大変なので、コンサルなどにお願いすることになるのかもしれませんが、個々の企業単位でインパクトを定量化でき、他社より秀でているかどうかを示すことができる、というのは画期的でしょう。
なお、同教授は、ハーバード・ビジネス・レビューに「Social-Impact Efforts That Create Real Value」と題する論文を発表しています(英語論文は2020年9月-10月号、日本語版「投資家の期待に応える5つのアプローチ ESG戦略で競争優位を築く方法」はDHBR2021年1月号)。同論文において、この指標を使った実証研究の結果を公表しており、SASBが挙げた業界固有のESGに取り組む企業が大きく業績を伸ばしていると指摘しています。一方、事業との適合性が低いESG項目で他社をしのぐ成果を上げた企業の場合は、業績では競合にわずかに劣っていた、としています。
したがって、まずは業界固有のE・S課題を認識し、その中にまだ顧客も競合も発見できていない個別具体的なニーズを見出すことができれば競争優位につながる、ということになります。なおかつ、そのニーズを満たす方法が、他社の真似できない独自性を備えていれば、大きな強み(持続的競争優位の源泉)になる可能性は極めて高いでしょう。
(取材・文=田井中麻都佳/写真・秋山由樹)
岡田正大(おかだ・まさひろ)
慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。1985年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。(株)本田技研工業を経て、1993年修士(経営学)(慶應義塾大学)取得。Arthur D. Little(Japan)を経て、米国Muse Associates社フェロー。1999年Ph.D.(経営学)(オハイオ州立大学)取得、慶應義塾大学大学院経営管理研究科専任講師に。助教授、准教授を経て現職。専門は企業戦略論。
最近の著書・論文に、“Asahi Kasei: Building an Inclusive Value Chain in India”(Savita Shankar氏との共著、2018年)、“An emerging interpretation of CSR by Japanese corporations: An ecosystem approach to the simultaneous pursuit of social and economic values through core businesses”( “Japanese Management in Evolution: New Directions, Breaks, and Emerging Practices”所収、2017年)、「CSVは企業の競争優位につながるか」(『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2015年1月号所収)などがある。訳書にジェイ・B・バーニー著『企業戦略論——競争優位の構築と持続(上・中・下)』。
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