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漫画家・文筆家 ヤマザキマリ氏 / 株式会社 日立製作所 執行役副社長 德永俊昭
人類はこれまで幾度も新型コロナウイルスと同様、いや、それ以上のパンデミックと闘ってきた。そこから得られる教訓は何なのか。盲目的に人を信じたばかりに起きた悲劇とは何なのか。キーワードとして出てきたのは、批判精神や猜疑心を持つことだという。その一方、分断から協調に行くためには、相手をおもんばかる気持ちが重要であり、日本人はそれを落語から学ぶことができるという。そして最後はユーモラスな表現が社会を良くするきっかけになる!といった提言がなされます。

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「第2回:コロナ禍で見えた現実とお国柄」はこちら>

過去のパンデミックから学ぶこと

德永
ポストコロナの社会を考える上で、過去の事例は大変参考になるはずです。たとえば100年前のスペイン風邪から得られた教訓は、どのようなものだとお考えですか。

ヤマザキ
第一次世界大戦と時期を重ねた悪運のパンデミックでした。スペイン風邪による死者数は5千万とも1億とも言われていますが、戦死者として数えられている人もいるので実態は不明確です。それに加えて敗戦国ドイツは多額の負債によって国力自体が脆弱化し、人々は生きる気力も失われていたような状態でした。そんなところに、巧みな話術とカリスマを兼ね添えた一人の男が現れた。それがヒトラーという人ですが、その時は彼がどんな思想の持ち主であれ、この人にさえ付いて行けば生き延びられると思わせられる存在感に人々は心を奪われてしまった。そしてその後の顛末は世界中の人々の知る通りです。

コロナ禍で弱っている今は、そういう意味でもとても気をつける必要がある。去年の今頃は、マスクなんか必要ないと言い切っていたトランプ元大統領やブラジルのボルソナロ大統領などを見ていて、そんなことを感じていました。

德永
不安だと思いつつも、盲目的にマスクなんかする必要がないとか、これは風邪と一緒だとか、消毒液を打てば治るとか。そう言われて熱狂してしまう人も確かにいました。

ヤマザキ
どんなに心もとない時であっても、気持ちが弱っていても、権力者の言葉に対しては常に猜疑心や批判精神は持ち続けているべきなんです。なんだか凄いことを言うやつが現れたけど、大丈夫なんだろうかと、疑いのスイッチを入れる。疑いというとどこか残念な言葉に聞こえますが、疑わない人は騙されるだけです。オレオレ詐欺はその良い例ですね。逆に信じるという清らかに聞こえる言葉のほうが、実は怠惰なのです。丸投げして裏切られても、こんなに信じていたのに酷いと、その人のせいにすればいいじゃないですか。でも、イタリアなどヨーロッパであれば、それは信じたお前が悪いと返されるだけです。アメリカもそういうところはないですか。

德永
ありますよ。基本的に、日本人ってまず信じるところから入るじゃないですか。言葉を発言しないと始まらないアメリカの社会だと、みんないろんなことを言います。例えば採用面接では素晴らしい経験や実績をアピールしていたのに、実はまるで違っていた。でも、辞めて行くときに彼は何を言うかというと、「ちゃんと調べず信じた貴方が悪いんでしょ」とね。日本人の価値観からすると嘘をついたほうが悪いけど、そこは全然違う感じがします。

しかも、SNSがこれだけ発達すると、そこに出ていることをみんな信じたほうが楽だからと、丸飲みするじゃないですか。で、実際うまく運ばないと騙されたと騒ぎだす。その状態を見ていると、考える力が試されているように思います。

落語から学ぶ日本の寛容性

画像1: 落語から学ぶ日本の寛容性

ヤマザキ
考える力を育む上で実は歴史を知るのはものすごく大事なことだと思っています。歴史をたどれば人間がいかに不安定な生き物なのかということがわかる。歴史を知れば知るほど、人間というのは自分たちが思っているほど特別な生き物でもなんでもないと思うようにもなってくる。そういう疑念で自分たちの自負を自覚し、謙虚になることは大切だと思います。そして、その疑念というのもまた想像力によって芽生えてくるものです。

德永
想像力も猜疑心も必要です。でもそのベースに知がないと想像の幅も広がらないし、猜疑心の持ちようもない。日本人には難しいのでしょうか。

ヤマザキ
例えば私が17歳から暮らしているイタリアはカトリック教国ですから、人々にとっての倫理は慈愛や寛容を基軸においたキリスト教の教典に根付いています。母が敬虔なカトリック信者だったので私自身も日本人でありながら幼児洗礼を受けていますが、いざイタリアへ行ってみると、社会の実情というのはそれまで教会やミッション・スクールで教わってきた寛容や慈愛といった綺麗事だけでは済まされないことが解ってきた。何よりもまず、イタリアという社会では猜疑心や狡猾さがなければ踏みにじられていくということを痛感しました。そんな話を日本ですると、既成のイタリアのイメージと違うようで皆さんがっかりされますね。おおらかで陽気な人たちの明るい国という印象が強いですから。

でも、日本でも古典落語なんか聴いてみるとかつての日本のおおらかさには驚かされます。騙し騙され、虚栄に奢りに、みっともなさや失敗談だらけ。愚かでおバカなのに、どこか憎めない。酷い目にあっても人情と洒落できちんと丸め込んでいる。失敗を許されるようなのりしろもゆとりもなく、世間体に縛られて生きていかねばならない現代の日本とは別世界です。

画像2: 落語から学ぶ日本の寛容性

德永
確かに今の日本は、とても窮屈な感じがしますね。社会のなかでうまくやっていくには、おっしゃるような人間力とでも言ったものが重要になってくると思いますね。ここにきて、分断から協調へということが言われますが、これは恰好いい言葉でいえば利他ですけど、相手をおもんばかって許すということが大切なのかもしれません。

ヤマザキ
今の人はとにかく自分を分かってもらうことばかりに必死だという印象を受けます。頑張って生きていることを周りに承認してもらいたいのでしょう。社会というジャングルに生息していく上では仕方のないことですが、同じ様に相手を分かろうと思う気持ちも稼働させるべきなのです。自分のことを理解してほしい、理解してもらわないと納得がいかない、という意固地と執着は戦争のきっかけにすらなります。倫理も価値観も統一されていないこの世界で生きていくのに必要なのは、寛容な客観性と相互理解なのではないでしょうか。

德永
相互理解というのは言うは易く行うは難しで、本当に気力・体力の限界が試される。それなのに、結局は分かり合えないことさえある。ヤマザキさんは価値観の異なるいろんな国で暮らされ、人々や社会に溶け込んでいるように思えます。どうしてそこまでできているのですか。

ヤマザキ
それはおそらく、色んな角度から俯瞰で人間社会を観察するのを面白いと感じているからでしょう。私は、意思の疎通がうまくいかない国でたくさん暮らしてきました。中東のエジプトやシリアでも暮らしましたが、イスラム圏の人たちには我々日本人や欧州の人間には馴染めない価値観や倫理がある。だから昔からキリスト教と対立し続けてきたわけです。でも、そこで生きていくのであれば、マジョリティであるイスラム圏の人々や社会を敬い、受け入れていくことは必須です。

私が苦労したのは、世界における笑いの要素です。国民性によってそれぞれ笑いのツボが違うから、周りの人は大笑いしているのに自分にとってはおかしくもなんともなかったりする。でも、その土地に馴染んで行けば行くほど笑いのツボも共有できるようになる。その土地色に染まらなくても、プラスで様々な感受性を増やしていけばいいのです。

人財育成の鍵は伝え方にあり

德永
日立もグローバルにビジネスを広げようと、たくさんのお客さまと接して、ドメインナレッジというか、さまざまな領域の知識を貯めこもうという、フロント人財の育成をしています。けれど、その人に知の渇望があり、それを楽しめるかが重要ですよね。楽しいと思っていないと絶対にできない部分があります。

ヤマザキ
そうです。さらに、育成を担当する人たちが、どんなにそれを面白そうに伝えられるかも重要です。有識者と呼ばれている専門的な人たちにしても、自分はこれだけのことを知っているんだという知識のひけらかしにこそなってはいても、それを多くの人へ魅力的に伝えようとする演出の意欲に欠けていたりする。とても勿体ないことです。

たとえば日本では世界史が不得手だという人がたくさんいますが、「テルマエ・ロマエ」という漫画を描いたのは日本の人にとって敷居が高いと思われがちな古代ローマ世界を、お風呂というわかりやすいツールを使って、もっと身近に感じ取ってもらいたかったからでもあります。

そういう変則的な応用が、学問でも生かされたら生徒たちももっと知識への積極性が稼働するのではないでしょうか。

德永
最終的には共感を呼ぶことが重要ですね。ただ、共感を呼ぶためにまず共通するポイントを見つけなければいけない。見つけるためには幅広い知識ベースがないと、そこに繋がることはできないと思います。あえて言うなら何が一番重要なこととお考えですか。

ヤマザキ
どのような分野においても、ユーモラス性というのは重要だと感じています。なぜなら、洒落やユーモラスというのは、人間の知性におけるゆとりや余裕をあらわしているからです。笑いはどんな強固で複雑な扉も開くことができる魔法の鍵です。先ほどの落語ではありませんが、どんなに切迫した状況の中にあっても、しかたがねえなと笑っている人がいれば、取り敢えず何とかなるはずだと思えるものです。難しい学業もユーモラスを交えながら教えてくれる先生がいたら、生徒だって面白そうだなと思うはずです。パンデミック後の社会だって、そんな気持ちがあるのとないのとでは全然違ってくると思いますよ。

画像1: <対談>ポストコロナの社会とビジネス
【第3回】パンデミック後の社会を良くするために

ヤマザキマリ Mari Yamazaki

1967年、東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞。第14回手塚治虫文化賞短編賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ授章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。

画像2: <対談>ポストコロナの社会とビジネス
【第3回】パンデミック後の社会を良くするために

德永俊昭 Toshiaki Tokunaga

1990年、株式会社 日立製作所入社、 2021年4月より、日立製作所 代表執行役 執行役副社長 社長補佐(システム&サービス事業、ディフェンス事業担当)、システム&サービスビジネス統括責任者兼システム&サービスビジネス統括本部長兼社会イノベーション事業統括責任者/日立グローバルデジタルホールディングス社取締役会長兼CEO。
2021年4月からは米国駐在から帰国し、国内拠点からグローバルビジネスを指揮している。

「第4回:デジタルへの期待、その根底にあるもの」はこちら>

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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