経営者の教養について、小林一三氏と渋沢栄一氏、ブルネロ・クチネリ氏を例に考察を深めていく。リベラルアーツを活かした経営は、普遍的価値を生み出すだけでなく、変化への強さも備えると楠木氏は言う。

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みずからの価値基準を普遍的価値に

山口
経営者の教養ということで言えば、先日あらためて調べてみたのです、小林一三について。

楠木
すごい方でしたね。

山口
ええ、分析すればするほどすごい経営者だと感じます。阪急グループの創始者として知られていますが、彼の経営戦略は鉄道事業と不動産事業や小売事業を同時に展開することで相乗的に需要を創出していくというもので、今日の私鉄経営モデルの原型となりました。

鉄道事業で利益を上げようとしたときに、普通の発想なら運賃改定と付帯サービス向上を中心とした戦略を立てると思います。ところが彼は沿線住民を増やすことで利用者を増やせばよいと考え、延伸予定地の周辺をどんどん買収して宅地を造成し、さらに金融機関と組んで住宅ローンでの分譲というビジネスモデルもつくりました。それによって中産階級の人々が家を買えるようになり、沿線の人口が爆発的に増えていったのです。

さらに、平日だけでなく、休日の鉄道利用者も増やそうと動物園や宝塚歌劇団をつくり、ターミナルビルに百貨店をつくり、ホテル事業、野球場建設、球団設立、果ては夏休みの旅客需要を増やそうと、甲子園大会の前身となる高校野球の全国大会まで始めました。

インフラとライフスタイルを含む系(システム)を最初からつくってしまおうという自由な発想は、普通の人にはなかなかできないと思います。そうした壮大な構想を持てたのは、「こういうライフスタイルをつくっていきたい」というビジョンがあったからでしょう。美術にも造詣が深い粋人、教養人でしたから、郊外の緑に囲まれた田園都市にゆったりと暮らし、週末には家族で買い物や観劇を楽しむような生活文化のイメージをつくり上げていたのだと思います。

楠木
すごいのは、彼の言う「大衆」にはそうした文化のイメージさえなかった時代に、これから社会や産業構造が変わり、余暇の時間が増えていく中での理想の暮らしというビジョンを持っていらしたことですよね。しかも、そのビジョンに忠実に、ぶれずに意思決定をしていった。

山口
整合性があるわけですね。

楠木
そうです。まず自分の価値基準があったから、そのプロポーザルとして普遍的価値を持つようなモデルを生み出せたのです。

同じ経営者で言うと、山口さんがおっしゃった明治維新後の発展は学問の足腰がしっかりしていたからではないかという、その代表例が渋沢栄一ですね。彼の基本的な価値基準は「最も道徳的であることが最も経済的である」というもので、トレードオフだと思われていた2つの要素をトレードオンだと位置づけ、実際にそのような系をつくってしまいました。このことがさきほどの間主観、要するに「だよね」という共感を生み出し、現在に至るまで日本の資本主義の父として尊敬されているわけです。

彼と同時代には、よく対比される岩崎弥太郎をはじめ、大倉財閥をつくった大蔵喜八郎、浅野財閥の浅野総一郎、東武鉄道をつくった根津嘉一郎といった、野心にあふれた起業家たちがわんさかいました。渋沢栄一は、彼自身は極めて道徳的な人でありながら、そうした野心家の面々も可愛がり、その意欲を買って支援しました。彼は自分自身の判断基準がはっきりしているだけでなく、それに乗ってくる人に対する度量も広い。こういう人が本物の教養人なのだろうと思います。

画像: みずからの価値基準を普遍的価値に

教養は「変化への強さ」を生み出す

山口
事業とお金との距離のようなものってありますよね。小林一三も渋沢栄一も、はるか遠くのお金が見えたのではないかと思います。だからこそ目先のお金にとらわれず、それまでの商売の常識、戦略の常識から自由になれたのではないでしょうか。

楠木
おっしゃるとおりですね。系が最初から見えていたから、リスクも取れたのでしょう。彼らのように、遠いところにあるお金、儲けに対する態度には、教養が強く現れると思います。
これは最近読んで感動した本で、ご紹介しようと思って持ってきたのですが、ブルネロ・クチネリの回顧録『人間主義的経営』です。彼は上質なカシミア製品を主力とするイタリアのファッションブランドの創立者で、「人間の尊厳」がクリエイティブにつながるという経営哲学を持つ、ものすごいリベラルアーツな経営者です。業界トップの世界的大企業というわけでありませんが、きちんと収益も上げています。

山口
今、ブランド評価ではエルメスと同等のランクにあるそうですね。

楠木
私にはちょっと手が出しにくい価格帯の商品ですけれどね。この本を読んでリベラルアーツが何に役に立つかという問いに対して、「変化への強さ」が挙げられることにあらためて気づきました。

自分の外にある基準に価値判断を委ねている人は、社会の大きな変化があると当惑してしまいます。一方、クチネリさんは、あのリーマンショックが起きたとき、重要な会議で次のような内容の話をしたそうです。「正直なところ今何が起きているか私にはわかりませんが、この会社には500人の従業員が危機を耐え抜くお金が2年分あります。だから心配することはありません。明日から一人ひとりが今日よりもさらに秩序正しく、愛想良く、創造的で、魅力的であるよう努めてください。それが我々にできるただ1つのことです。それ以外のことは外部で起きていることで、心配することは無意味なのです」と。

続いてトーマス・モアの言葉を引用しながら、「変えることができないものを受け入れ、その中でよりよく生きるように努めた」ということを書いています。人間に対する尊厳を大切にするという基準が確固としてあるからこそ、不確実性に直面しても動じない。

今回のコロナ騒動も、ほんとうの意味での教養、その人の中に確固たる基準があるかどうかを露呈させましたよね。

画像1: 現代の呪縛からリーダーを解き放つリベラルアーツ
―日本経済の礎を築いたイノベーターに学ぶ―
その4 リベラルアーツを成功につなげた経営者たち

楠木 建

1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)をはじめ、著書多数。最新著は『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)。

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山口 周

1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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[特集]ポストコロナの社会とビジネス

破壊の先にある創造へ――。「グレート・リセット」後に求められる社会とビジネスのあり方を、各界の有識者の言葉から探ります。
※グレート・リセット:2021年夏に開催される予定の次回世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議におけるテーマ

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

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