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※本記事は、2021年3月5日時点で書かれた内容となっています。

以前に「しびれる戦略」という話をしましたが、今回はその「無敗の男」篇です。

常井健一さんというジャーナリストの『無敗の男』という本を非常に面白く読みました。「無敗の男」というのは、衆議院議員の中村喜四郎氏(以下、敬称略)のことです。1976年に初当選して以来、当選を重ねること14回。選挙で負けなしの圧倒的強さです。それは一体なぜなのか。中村喜四郎という不死身にして不思議な人物の実像を探るノンフィクションです。あまりの面白さに、自分が仕事をしている競争戦略の面からもいろいろと考えさせられるところがありました。

前提としてお断りしておきたいのですが、ビジネスと政治や選挙は根本的に異なります。選挙というのは、スポーツに近い面があります。まずそれがイベントであるということ。スポーツの競技大会と同じように、競争がある一時点でのイベントとして起こります。この点で、継続して長期利益を追求するビジネスとは大きく異なります。

何より選挙やスポーツは、誰かが勝てば誰かが負けるというゼロサム・ゲームです。例えば陸上競技であれば、1位から最下位まで一次元上に優劣を付けますが、選挙も同様に一次元上に得票という基準で順位を決めます。誰かが当選すれば、だれかが押し出されて落選する。

それに対してビジネスというのは、ひとつの業界でも同時に複数の勝者が存在します。サムスンもアップルも、スマートフォンのビジネスにおいては勝者です。なぜかといえば、それぞれに違うターゲットやポジショニングを取るからです。

根本的に選挙とビジネスは異なりますから、中村喜四郎という政治家の戦略がビジネスにそのまま有効かといえば必ずしもそうではありません。しかし彼の選挙戦略は僕の考える優れた戦略の条件をことごとく満たしている。その卓越した戦略が無敗という結果をもたらしていることは間違いなく、ビジネスの世界でも大いに学ぶべき点があると考えます。

優れた戦略の起点には明快なコンセプトがあります。それが何をやって何をやらないかというトレードオフを決定する戦略の基盤になります。トレードオフが競争相手との「違い」をつくります。しかも、一つ一つの打ち手がシンプルなロジックで首尾一貫してつながっている。これが「ストーリーとしての競争戦略」です。

優れた戦略は好循環を起こします。ひとつの戦略ストーリーを継続して回していくことで、競争を優位にする強みがダイナミックに蓄積されていく。やればやるほど強くなる。単に一時点で他者がやれない・やらないというだけではなく、時間の経過とともに競合との「違い」がどんどん大きくなっていく。時間を味方に付けた累積的競争優位をもたらすのが優れた戦略の特徴であり、その結果として以前にお話した「ブランデッド」な状態が生まれます。

中村喜四郎という人は、これらの優れた戦略の条件をことごとく満たしている稀有な政治家です。「無敗の男」のほかにも「最強の無所属」とか、「沈黙の政治家」とか、「日本一選挙に強い男」という通り名が彼にはあるそうですが、常井さんの本を読むとまったくその通りだと思います。

ご存知ない方が多いと思いますので、はじめにバックグラウンドを紹介しておきます。中村喜四郎は1949年茨城県生まれ。喜四郎という名は、襲名した名前なんです。歌舞伎役者みたいですが、お父さまである先代の喜四郎さんは参議院議員でした。「無敗の男」の中村喜四郎は2代目ということになります。先代が61歳でお亡くなりになったあとは、お母さまが参議院議員を継ぎました。ただしこれはあくまで中継ぎで、1976年の総選挙で2代目喜四郎は初当選します。

当時はまだ中選挙区制で、選挙区は茨城3区。保守がもともと強い選挙区で、5人区のうちの4人が自民党代議士でした。こういう地区において自民党としては、新人に枠など与えません。喜四郎は党の公認をもらえず、最初は無所属で出馬して当選しています。

議員になる以前の彼は、田中角栄の秘書の一人でした。しかし、田中角栄から薫陶を受けたというほどのことはなくて、田中門下生のスターは同時期に秘書をやっていた鳩山邦夫でした。鳩山邦夫は名家の生まれで、東大法学部首席。極めつけのエリートです。一方の喜四郎は地方の代議士の子ども。秘書としてはあまり重用されていませんでした。下働きの雑用係で、親分の田中角栄と面と向かって話したことはほとんどなかったといいます。そんな男が初めての選挙をどう戦ったのか。そこに、「無敗の男」の戦略の原型があります。

画像: しびれる戦略 無敗の男篇-その1
「無敗の男」中村喜四郎

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第2回:ピラミッドvsフルフラット。」はこちら>

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