カスタマーに「成功」を届ける
渡辺薫(以下、渡辺)
本日、アメリカのシリコンバレーから参加していただいている弘子ラザヴィさんは、日本にカスタマーサクセスという概念を持ち込んだ第一人者です。弘子さん自身はどこでカスタマーサクセスに出会ったのですか。
弘子ラザヴィ(以下、弘子)
2017年、スタンフォード経営大学院の起業家養成プログラムでこの概念を知りました。そのとき、カスタマーサクセスについての議論ができている日本企業は皆無だと感じました。そして、この議論なくしてDX戦略を策定しようとしても意味がないと気づき、経営コンサルタントの仕事を通じて交流のあった日本企業の経営者の方々に、一刻も早くカスタマーサクセスについてお伝えしなくては、と思ったのです。
ところが、日本にもどって実際にお話をしたところ、まったく理解されないどころか、怒られることすらありました(笑)。「またカタカナ? もうやめてよ」と。
そこで、まずは基本テキストを読んで理解してもらおうと、『カスタマーサクセス』(ニック・メータ、ダン・スタインマン他著、日本語版は英治出版、通称「青本」)の翻訳を企画し、出版社に打診したのですが、門前払いが続きました。苦戦していたら、旧知の知人に「せっかくなら弘子さんが書いたら?」と言われ、それで執筆したのが『カスタマーサクセスとは何か』(英治出版、2019年7月刊)です。
渡辺
赤いカバーの書籍なので、私たちは「赤本」と呼んでいます。その赤本には、カスタマーサクセスとは何であるかはもちろん、どのように取り組むべきかも丁寧に書かれています。帯にある「デジタル時代の『お得意さま』戦略」という言葉は、カスタマーサクセスというものを端的に示していると感じます。
弘子
書籍でも記したように、カスタマーサクセスとは、お客さまとの継続的な関係を大事にする、日本の伝統的な商慣習の進化形でもあります。つまり、「買ってもらったら終わり」ではなく、「商いは買っていただいた後が大切」という精神で、「カスタマーに成功を届ける」のがカスタマーサクセスの本質です。
Photo by 雨森希紀(Maran.Don)
大澤郁恵(以下、大澤)
「モノの売り切りモデル」から、「リテンションモデル」へと変わる中で、カスタマーサクセスは、リテンションモデルと表裏一体だとも指摘されていますね。そのリテンションモデルについても赤本の第1章で明快な定義をされています。
弘子
少し長くなりますが、引用しましょう。
① 利用者が、日常的・継続的にそのプロダクトを利用し、モノの所有に対してではなく成果に対して対価を払う
② 利用者が、いつでも利用を止める選択権を持ち、かつ初期費用が非常に少なくてすむ
③ 利用者が、それ無しでは生活や仕事ができない・使い続けたいと断言できるほど明らかにプロダクトが常に最新状態に更新・最適化され続ける
④ 利用者が、自分にとって嬉しい成果を得られるならば、自分の個人データをプロバイダーが取得することを許す
つまり、リテンションモデルとは、お客さまを虜(とりこ)にするモデルなのです。
おっしゃったとおり、リテンションモデルはモノの売り切りモデルの対極に存在するものです。そして、売り切りモデルはすでに行き詰まっており、デジタル化の中で、リテンションモデルへのシフトが進んでいるのはみなさんが感じているはずです。
ですから、詳しくは第2章に書きましたが、企業はワンタイムバリューよりライフタイムバリュー(※1)を重視し、勝負は買ってもらうまでではなく買ってもらってからにあると知る必要があります。また、企業が最も知るべきは売り方ではなくお客さまのこと、それもデータに基づいて知ることです。つまり、求められているのはヒットするプロダクトをつくることよりも、お客さまに長く使い続けてもらい、お客さまの自助・お客さま同士の互助が推進される基盤をつくることです。
売り切りのビジネスは長続きしない
渡辺
まさに、視線はプロダクトよりお客さまに向けなくてはならないわけですね。私は2017年夏にカリフォルニア州サンディエゴで開催されたカンファレンス「Technology Service World」(TSW)でカスタマーサクセスを初めて知りました。TSWは、集まるのはテック企業ばかりなのに、話題は技術ではなくビジネスというユニークなカンファレンスです。1000人ほどが集まったそのカンファレンスでは、「これからはプロダクトを販売するのではなくサービスを提供する会社にトランスフォームしなくてはならない」と意見が一致していて、そのために取り組んでいるのがカスタマーサクセスだということでした。
まず、そうした話がされていること自体に衝撃を受けました。話を聞いていると、当たり前のことを言っているようでいて、今までとは全く異なることをしているようにも聞こえます。これはしっかり勉強して、日立でも真剣に取り組まなくてはならないなと感じました。
ショックだったことはもうひとつあります。そのカンファレンスには、私と同行者の計2名しか、日本人がいなかったことです。
Photo by 秋山由樹
弘子
確かにTSWは日本人参加者が少ないですね。
渡辺
参加者が積極的に情報を開示し、発信して学び合う姿にも感銘を受けました。それを機に、弘子さんとの縁ができて、2019年11月には「日立 Social Innovation Forum 2019」で弘子さんに登壇していただきました。
大澤
私は、弘子さんが主催した、カスタマーサクセスの実践計画を議論し、立案するプログラムに参加したときのことがとても印象に残っています。会社の垣根を超えて、「みんなで学び合おう」という空気を感じましたし、出席者はみな、情熱を持って取り組んでいました。私はそうした方たちからもエネルギーをもらって、社内での実践に活かそうとしているところです。
Photo by 秋山由樹
弘子
社内の反響はどうですか?
大澤
おかげさまで、とても好評です。特に若い人たちには響いています。
弘子
私の実感でも、若い人たちにはこの概念をよく理解していただいています。モノを所有するよりシェアすることに共感する若い方たちは、売り切りのビジネスは長続きしない、一刻も早くリテンションモデルへシフトするためカスタマーサクセスに取り組まなくてはならない、という危機感を持っているからでしょう。
(※1)ライフタイムバリュー(Life Time Value):カスタマー(顧客)生涯価値。カスタマーが特定期間に商品やサービスを購入した金額の合計。
弘子 ラザヴィ(ひろこ・ラザヴィ)
経営コンサルタント/サクセスラボ株式会社代表取締役
一橋大学経営大学院修士課程修了。公認会計士として数多くの企業実務に触れたのち、経営コンサルタントに転じる。ボストンコンサルティンググループでは全社変革・企業再生プロジェクトを、シグマクシスではデジタル戦略プロジェクトなどを牽引。2017年、スタンフォード経営大学院の起業家養成プログラム参加時にカスタマーサクセスに出会い、帰国後にサクセスラボ株式会社を設立。シリコンバレーのネットワークを活かし、カスタマーサクセスに本気で取り組む日本企業を支援している。情報サイト「サクセスジャパン」の運営を通して、カスタマーサクセスに関する情報の普及に努めている。著書に『カスタマーサクセスとは何か 日本企業にこそ必要な「これからの顧客との付き合い方」』(英治出版、2019年7月)。
渡辺薫(わたなべ・かおる)
株式会社日立製作所 社会イノベーション事業推進本部 エグゼクティブSIBストラテジスト
ハイテク企業で経営企画&マーケティングを経験したのち、90年代のデジタルマーケティングの黎明期にはエバンジェリスト&コンサルタントとして活動。その後、外資系ITサービス企業等でITサービスのマーケティング、コンサルティング等に従事し、2010年日立製作所に入社。超上流工程のコンサルティング手法の開発と指導にあたる。現在は、日立グループのデジタルトランスフォーメーションの戦略策定・実行のサポートと人財育成に注力している。
大澤郁恵(おおさわ・いくえ)
日立製作所 社会イノベーション事業推進本部 戦略本部第一部主任
日本学術振興会特別研究員としてオントロジー工学の観点からコミュニティ機能の研究に携わり博士号を取得(知識科学)。2016年日立製作所に入社し、社会イノベーション事業の社内推進業務に従事。現在、カスタマーサクセス活動の加速を目的とした社内コミュニティを立ち上げ、普及・推進活動に取り組んでいる。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
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マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
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