宗教と国民性との深い関係
山口
橋爪先生は、ご著書の『世界は宗教で動いてる』の前書きで、「ビジネスマンなら宗教を学びなさい」とおっしゃっています。日本では、宗教と、経済・政治・法律・科学技術・文化芸術・社会生活は別ものと思われているけれど、日本以外の大抵の国ではそれら全部をひっくるめたものが宗教なんだと。ゆえに、宗教を踏まえずにグローバル社会でビジネスをしようなんて向こうみずだと指摘しておられますね。
私はもともと戦略コンサルティングの仕事をしていた関係で、組織の成り立ちについて興味を持ち、研究してきました。組織の性格を決める要素の一つに人と人の上下関係があります。オランダの社会心理学者、ヘールト・ホフステードは1967年から1973年にかけて大規模な調査を行い、世界40の国・地域における組織文化と国民性を定量的に測定、指数化しました。その指数の一つが権力格差(上下関係の強さ)です。これが高いと、部下が上司に反対を表明することに心理的な抵抗を感じる度合いが強いことになりますが、日本は平均値より少し高く、台湾や韓国と同じぐらい。平均より低い国はアメリカ、イギリス、ドイツ(旧西ドイツ)、フィンランド、スウェーデン、スイスなどが挙げられます。さらにぐんと低いのがイスラエルです。一方、日本よりも高い国にはフランスのほか、ブラジル、メキシコなどがあります。
これを普通に並べてみるだけだとあまり規則性は見えないのですが、宗教を軸に見てみると、ローマカトリック、もっと言うとギリシャ正教の影響の強い文化圏と、プロテスタントの影響の強い文化圏でグループ分けができるのです。こうした事例からも、先生がおっしゃるように、文化や国民性と宗教が切り離せないということが分かります。
ビジネスパーソン、ビジネスリーダーであれば、普通は経営学を学びなさいと言われるわけですが、宗教を学ぶことの重要性について、改めてお話しいただけますか。
橋爪
ビジネスリーダーの中にはMBA(経営学修士)を取得した方も多いと思いますが、MBAというのは大学院ですから学部を卒業した後に進むものですね。学部で学んだことは基礎として当然身についていて、それにプラスしてファイナンスやガバナンスなど、ビジネスに特化した専門的な勉強をするところです。つまり、MBAで学ぶファイナンスやガバナンスはビジネスリーダーに必要だけれども、ファイナンスやガバナンスを学んだだけではビジネスリーダーにはなれないということです。そこをまずよく理解しなければならない。建物に例えると、5階建ての5階に相当するのがMBAです。1階から4階までがあるから、5階があるのです。
牧師養成から始まったハーバード大学
橋爪
では、1階から4階は何なのか。アメリカ最初の大学、ハーバード大学の例をお話ししましょう。ハーバード大学が設立されたのは、今から400年近く前の1636年です。最初の100年ほどは牧師つまり聖職者を養成する機関で、その間の卒業生は百数十人から数百人と言われています。1年間に1人か2人、多くても数人ということは、今の一般的な学習塾よりずっと小規模ですね。
当時、専任教員はプレジデント(学長)しかおらず、1人で何でも教えました。牧師になるために必要なのは、まずギリシャ語。新約聖書が読める。ヘブライ語もできたほうがいい。旧約聖書が読める。ラテン語。神学書が読める。それから地理、哲学、歴史など、リベラルアーツの科目も教えました。
なぜ牧師にリベラルアーツが必要かというと、牧師は毎週、信徒に説教しなければならないでしょう。教会には、農民、商人、ビジネスマン、政府の職員、軍人、医者、音楽家など、ありとあらゆる人々が来ます。牧師はその全員の心に届くような説教をすることが理想です。的外れなことを言っていたら次から教会に来てもらえなくなる。そのためには世の中のことをよく知っている必要がある。だから役に立つことは何でも教えたのです。
さてその結果、どうなったかというと、卒業生は牧師になる以外に政治家、起業家、軍人や学者など、社会のリーダーになって活躍する人が増えてきた。それに伴って、だんだん牧師養成コース以外の分野が拡大していきました。そして、学部でリベラルアーツを勉強し、そのうえで医学、法学、神学などの専門分野を学ぶという大学の形がつくられたのです。
山口
学部を出てからディシプリン、専門分野に分かれるのですよね。
橋爪
ハーバード大学の場合、コースというのもあるけれど、基本的に学部は一つです。新入生はみなFAS(Faculty of Arts and Science)、直訳すると「文理学部」に入り、将来どの職業をめざすにせよ、まずはリベラルアーツを学ぶ。それが建物の1階から4階に相当するわけです。だから、MBAのような大学院ではリベラルアーツ教育は行いません。当然備わっているものだからです。ところが日本の大学は、入ると同時に学部に分かれるでしょう。一般教養科目はあるけれど、形ばかりだからリベラルアーツが身についていない。リベラルアーツの一つである宗教についても、よく分からないままになっている。
宗教は、先ほど挙げられた研究事例も示しているように、国民性と深く関係します。海外でビジネスを行うには、その国の国民性を知っておくことが大前提になります。そのためには宗教に関する知識が欠かせません。今日、経済のグローバル化が否応なしに進んでいるからこそ、ビジネスリーダーには、リベラルアーツとして宗教を勉強することが必要なのです。
橋爪 大三郎(はしづめ だいさぶろう)
社会学者・東京工業大学 名誉教授。1977年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、1989年東京工業大学助教授。1995~2013年同教授(社会学)。著書に『言語ゲームと社会理論』(勁草書房)、『仏教の言説戦略』(勁草書房)、『世界がわかる宗教社会学入門』(筑摩書房)、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)、『ゆかいな仏教』(サンガ新書)など多数。最新著は『4行でわかる世界の文明』(角川新書)。
山口 周(やまぐち しゅう)
独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。
シリーズ紹介
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