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デジタル革新とリベラルアーツの発想
――アートの世界でもデジタル技術の活用はめまぐるしい進歩を遂げています。
千住
デジタル技術は、現代社会の私たちの生活から切り離せないものとなりました。僕も大きな作品を収める時に、設置する空港の吹き抜けやビルのロビーなどの空間をコンピュータグラフィックスで表してクライアントと共有したりします。立体的な構図を把握するのには役立つし、よくできているなと感心します。
軽井沢千住博美術館にある「ザ・フォール・ルーム」という空間では、縦3.4m、横13.6mの巨大な画面に描かれた滝がプロジェクションマッピングにより、動き出します。最初から動かす意図で制作したアニメーションではありません。高度なコンピュータ処理をするチームとのコラボレーションで、描かれた絵画が動くかのごとく見えます。これも、コンピュータによって可能になったことで、非常に面白い試みだと思います。
――デジタル技術が発達する一方で、気をつけなければならないこともあるのではないでしょうか?
千住
まさにその通りで、特にインターネットで伝えられるものは、極めて限定された世界だということを知っておく必要があります。
絵画作品を例にとりましょう。絵を観るということは、作者が試行錯誤して絵具を塗ったり剥がしたり、どんな質感や大きさにするか悩み、その苦しみぬいた末に完成した作品を前に、観る人がいろいろなことを感じとる。つまり作品とコミュニケーションをとる行為と言えます。ですから、絵画作品をインターネットで観て、観た気になってしまうのはもったいない。なぜならインターネットでは、その肝心の苦労や人間味が全く伝わらないのです。インターネットだから、当然なのですが。
現実の世界でも、私たちはいろいろ折り合いをつけて生きていかなければいけない。それが人間であり、日々の営みです。しかしインターネットの中では、いやな人は簡単に消去し、人間性というものを排除できてしまう。こんなことで実生活はやっていけない。気に入らなければ安易に殺してしまう、ということにもつながりかねません。これはとても怖いことです。
インターネットは単に道具として、本当にわずかな情報しか伝えられないということを意識しておかなければなりません。広い世界が開かれているようで、大人も子どもも狭い世界にどんどんのめり込んでいく危険性もあります。一見コミュニケーションしているようで、実際は誰ともつながっていないこともある。そういう時代に、人間の閉ざされた心をオープンにしてくれる美的感動やコミュニケーションを旨とする芸術の存在は欠かせないものになってきています。そこで浮かび上がってきたのが芸術、とも言えます。
――インターネットで情報が得られる時代だからこそ、判断軸や指針を持つことがますます重要になっており、最近ようやく日本の大学でも、少しずつリベラルアーツという言葉が聞かれるようになってきました。教育者の立場から、改めてこのリベラルアーツの必要性をどのように捉えていますか。
千住
アメリカの大学などでは昔からリベラルアーツを中心に据えて教えています。それが日本の大学にいちばん足りないところだと思います。技術を教えるだけなら大学である必要はありません。
リベラルアーツとは、まさに人間とは何かを考えるということです。人間の行うことすべては芸術行為で、それはコミュニケーションであり、イマジネーションであり、ハーモニーであるということ。「私は」ではなく「私たちは」という発想であること。それらを学ぶのがリベラルアーツです。混沌とした時代、固定観念から解き放たれ、これから人生を切り拓いていく若い人たちにとって、大切な発想であり学びの指針となります。
固定観念に縛られない、新たな挑戦
――軽井沢千住博美術館では千住さんの多くの作品に触れることができます。美術館は、高原の自然にとけこみ、自然光がガラス窓からさしこむとてもユニークな設計で、多くの人に愛されてきました。
千住
21世紀の新しい時代の美術館は、自然の中で木を見るように絵を見る、そして絵を見るように木を見るようにしたかった。それが新しい時代の人間の自然観だと思ったので、軽井沢の美術館は壁が全部ガラスなんです。
今はたくさん陽が差し込んでいますが、あと何年かすると樹木が育ってきてやがて森になります。館内の壁は、同じ向きをしたものは一枚もありません。自然界には、基本的に直線というものは存在しません。より自然の側に身を置く意識で、この美術館は設計されています。
――3月1日からは千住さんが新しく挑戦した水墨画作品が多数展示されています。なぜいま水墨画の世界なのでしょうか。
千住
墨というのは、今まで人間が生み出したすべての道具の中で最もエレガントなものだと思っています。40代、50代の時は、そのエレガントさに手が出なかったですね。いま還暦を過ぎて61歳になりましたが、エレガントさを生かしながらも、墨を使って雲のような作品をつくってみたい、と思い始めたのです。
現在、美術館で展示されている水墨画の雲のシリーズは、作品はどれも小さいサイズのものばかりです。最初に描いたシリーズということもありますし、縦1m、横2mくらいの大きい紙に水墨でサーッと描いて、ここが面白いという部分だけをギリギリに小さくトリミングしています。そうすると画面は小さくてもスケール感が出ます。
これまでの固定観念を捨て、小さい絵でもこれだけの大きさを感じられる絵があることを伝えたかった。制作過程で雑誌くらいの大きさまで切り取って、周りを全部捨ててしまっています。今回は最もエッセンシャルな部分だけを残しておくというチャレンジをしています。
水墨というのは水と墨が織りなす一回性、即興性の偶然の世界です。やり直しのきかない人生のようなものです。今回の創作を通して、水墨画の原点というものの「再発見」にまた一歩近づいた気がしています。
軽井沢千住博美術館information
住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉815
開館時間:9時30分~17時
休館日:火曜日(ただし、GWと7月~9月は開館)
http://www.senju-museum.jp/
※軽井沢駅下車、タクシー約10分
千住 博(せんじゅ・ひろし)
1958年、東京都生まれ。87年、東京藝術大学大学院博士課程を単位取得満期退学。数々の展覧会を重ねながら、95年には第46回ヴェネチア・ビエンナ—レに参加、絵画として東洋人初の名誉賞を受賞。その後、ニュ—ヨ—クにアトリエを構え、各国・各地で作品を発表。それらは、メトロポリタン美術館、ロサンジェルス現代美術館、国立故宮博物院南院など、国内外の美術館に収蔵されている。また2007年~2013年3月まで京都造形芸術大学学長を務め、現在は教授として後進の教育に携わる。パブリックアートや数々の舞台美術も手がけ、幅広い分野で、現代ア—トの世界をリ—ドし続けている。
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
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社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
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