芸術は人と人とのコミュニケーション
――千住さんは『芸術とは何か』(祥伝社新書)など数々の著作で芸術・美術の魅力について書かれています。でもそこに至るまでは、若いころからの苦悶も大きかったのではないでしょうか。
千住
昨年還暦を迎えましたが、むしろ悩みはどんどん増えてきています。そういう意味では今も模索時代の真っ只中かもしれません。これまでにおびただしい数の“芸術とは何か”というテーマを扱った本が出版されています。しかし現代に至るまで、誰も芸術とは何かという決定打を出せずにきました。ところが、現代という時代が、芸術とは何か、果たすべき役割とは、という問いに明確な答えを浮かび上がらせたんです。
――具体的にはどのようなことでしょうか。
千住
かつて絵画にはお金持ちが自分の邸宅を飾るためとか、教会が宗教説話を説明するためといった機能や役割があり、それで事足りていた時代や地域があったことは事実です。しかし、現代における芸術はそこに留まっているわけにはいかなくなってきた。大変皮肉なことですが、現代社会、つまり産業革命以降の、機械文明が発達した時代が、それに対するバランス感覚として芸術の役割を浮かび上がらせました。産業革命以降、人間のコミュニケーションがどんどん希薄になり、こんなことをしたらどうなるかという想像力が欠如し、非人間的な犯罪や事故も増えていった。
かつては当たり前にあったイマジネイティブでコミュニケーション豊かな人間の生活が失われた時に初めて、何が芸術の役割だったのか、人々はわかったのです。芸術とは人と人とのコミュニケーションそのものであり、人間が共生していくための知恵であると私たちは気づいたのです。
――現代という時代が、芸術・美術を以前よりもっと必要とする時代になっていると。
千住
人間というのは「人の間(あいだ)」と書くでしょう、その文字のごとく、人と人の間で互いにコミュニケーションすることで人間は人間らしく生きられる。実はそれこそが、芸術の意味だと僕は考えています。芸術的発想がなければ人間は、人間らしく生きていけないということです。昔、岡本太郎が「あなたの職業は何ですか」と聞かれて「人間だ」と答えていますが、芸術とはイコール人間そのものなのです。
時々、「私は芸術に縁がない」とか「私は美のことが全然わからない」とおっしゃる方がおられます。そんな時は、「あなたは、今日のスーツに合わせるネクタイをご自分で選んだのではないですか?」と申し上げる。人に会うから、礼儀正しく、華やかに見せたいなど、相手のことを考え、スーツとの調和を考えて、ネクタイを選んできたわけでしょう。実は身近なこんなことこそが芸術的行為なのです。
料理だって立派な芸術です。作り手が、自分のイマジネーションを広げ、「私はこれが美味しいと思う。みなさんどうでしょう」と差し出すのですから。特別な料理でなくても、ビールを飲んで焼き鳥を食べて「美味しい」と思う、これも美的感動と言えます。すべての人たちが生きている限り必ず美と共に生き、芸術と共に生きているのです。美というものがわからなくなったら、「美味しい」という感動を思い出せばいい。これを食べて元気になり、活力をもらい、明日も頑張れるという気持ちになれる。そんな生きている実感を人は美と呼びます。そして、これが美的感動なんです。
――私たちは日頃からもっと、そうした美的感動に気づくべきなのでしょうか?
千住
気づく必要はないんです。昔から、人間は、美を意識して何かを作ってきたのではありません。後に、学者や評論家が「これは美である」と評することはあるかもしれませんが。
ビールをいただいて、美味しいというだけで、美的感動なのですから、それで十分です。こうした美的感動に包まれて生きているということを頭の片隅に置くだけで、生活はもっと豊かになります。
でも、もう少し芸術に興味がある人ならば、絵や音楽など触れることで、わかりやすい形で美的感動を心に受け止めることができます。
芸術家の役割は、混沌に秩序を与えること
――現代に生きる芸術家として千住さんは、どのようなところに目を向け、創作活動に挑んでいるのでしょうか。また、芸術家の役割をどのように考えていますか。
千住
僕たちの時代は、非常に混沌としている。その混沌を示すことが、現代の芸術のひとつの役割だと考えています。ただし、ただ示すのではなく、その混沌に、秩序を与えるのが、画家や音楽家の仕事です。絵画で言うと色彩の三原色というのがある。その3つの色に強弱を与え、そのバランスを見つけ出す。オーケストラも、そのままでは音の混沌です。そこに絶妙な秩序や調和を与え、伝わるようにするのです。ハーモニーの成立を示す。どんな違和感でも必ず調和できる、ということを示すのですから、芸術の目的はピースメイキングプロセスということだったのです。
――千住さんの考える、「優れた芸術作品」とはどのようなものでしょうか?
千住
「私たちはこんな混沌とした矛盾に満ちた世界に生きているけれども、折り合いを見つけてハーモニーも奏でられ、こんなにすばらしい部分もありますよ」といったことも人間という立場、つまり「私たちは」という視点を示すものですね。つまり「あなたは一人ではないですよ」ということを示すのも、コミュニケーションとしての芸術の役割です。芸術というのは「私は」ではありません。「私たちは」という発想こそが芸術家の発想なのです。逆に、徹底的に一人の世界に入り込んでしまったものは、誰にもつながってはいかない。こういうオレはオレはという発想は芸術でもコミュニケーションでもありません。
一人で孤独に打ち震えている人たちにこそ、芸術は必要です。そういう人にこそ、ぜひ絵を見てほしい。また音楽を聴いてほしい。その人たちのために、私たちはこんな世界に生きている、ということを示している芸術はあるし、僕たちは存在し描いているのです。
千住 博(せんじゅ・ひろし)
1958年、東京都生まれ。87年、東京藝術大学大学院博士課程を単位取得満期退学。数々の展覧会を重ねながら、95年には第46回ヴェネチア・ビエンナ—レに参加、絵画として東洋人初の名誉賞を受賞。その後、ニュ—ヨ—クにアトリエを構え、各国・各地で作品を発表。それらは、メトロポリタン美術館、ロサンジェルス現代美術館、国立故宮博物院南院など、国内外の美術館に収蔵されている。また2007年~2013年3月まで京都造形芸術大学学長を務め、現在は教授として後進の教育に携わる。パブリックアートや数々の舞台美術も手がけ、幅広い分野で、現代ア—トの世界をリ—ドし続けている。
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