早稲田大学ビジネススクール准教授 入山章栄氏/株式会社日立製作所 システム&サービスビジネス統括本部 人事総務本部 担当本部長 髙本真樹
人間の行動は、理屈だけでは変化しない。どうすれば社員に「腹落ち」させ、その行動を変えることができるのか? 日立の髙本真樹が呈した疑問に対して経営学者の入山章栄氏が紹介したのが、ある雪山で遭難した軍隊のエピソードだ。入山氏が指摘するところによれば、そもそも日本企業には「腹落ち」が足りないという。

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隊員が手にしていた地図の正体

髙本
入山先生にぜひお伺いしたいことがあります。

これまでご紹介しましたように、我々はHRテックで社員の状態を可視化して、「こんなことに取り組んでみたらいかがですか」というレコメンドを一人ひとりにしているのですが、それを実際の行動変容につなげるのはなかなか簡単なことではないなと感じていまして。「こうしたほうがいい」と理解するのと、実際の行動に移すことの間にはかなり大きなギャップがあると思うのです。結局のところ、社員自身が「腹落ち」して、意思を持って変わろうとしない限り行動は変わらない。ではどうすれば腹落ちさせることができるか……。何かそのヒントをいただければと思うのですが。

入山
ヒントと言えるほど立派なものではないのですが、わたしが講演でいつも最後に申し上げるようにしている逸話をご紹介します。

何十年か前の話ですが、ハンガリーの軍隊の一部隊がアルプスの雪山で訓練をしていました。そうしたら急に猛吹雪になって遭難してしまったのです。慌ててテントを張って避難したものの、暖もとれない。外はいつかやむか分からない猛吹雪。しかも運の悪いことに、地図も持っていなかった。隊員みんなぶるぶる震えて、もはや絶望的な状況です。

すると隊員の1人のポケットから偶然、地図が出てきたのです。「隊長、地図がありました!」「おおー!」と。そこで隊長は全員を集めて「このままだと俺たち死ぬしかない。いちかばちか、下山しよう」と。みんな意を決してテントを飛び出し、下山を始めました。

ただよく考えると……猛吹雪だから地図なんかちゃんと見えないのですが。それでも彼らは、山の傾斜や風の向きを頼りにしながら何時間もかけて全員無事に下山することができました。「ああ、助かった」と。みんなほっとしました。そのあと隊長は、部下が握りしめていた地図を見て血の気が引いたそうです。

それは、遭難したアルプス山脈ではなく、ピレネー山脈の地図だったのですよ。

髙本
えっ! 全然違うじゃないですか。

画像: 隊員が手にしていた地図の正体

入山
これは、「センスメイキング理論」の説明でよく紹介される実話です。センスメイキング、つまり「腹落ち」。このセンスメイキング理論が主張するのは、これからの時代に一番やってはいけないことは、正確な分析に基づいた将来分析“だけ”に頼ること。むしろ大切なのは、正確性ではなく納得性なのです。一見、HRテックとは矛盾するかもしれませんが。

髙本
納得性。つまり、腹落ちですね。なるほど。

入山
この雪山の例では、ピレネー山脈の地図しか持たない隊員たちには不正確な情報しかなかった。でも、「下山すれば助かるかもしれない」と全員が腹落ちできていたので、一致団結して行動し、最終的に助かることができたというわけです。

社員を「腹落ち」させるしかけ

入山
よく講演でも言うのですが、今、日本企業にとにかく足りないものは「腹落ち」です。つまり、自分が働いている会社が何のために存在していて、どんな方向に進もうとしていて、そこで自分たちが何のために働いているかが腹落ちしていないと、人間というのは変化しないのです。

髙本
それはまったくその通りだと思います。会社の在りたき姿を描いたビジョンから社員一人ひとりの仕事にどう落とし込んでいくかは今の時代、最も重要な取り組みだと思います。

入山
そうですね。「我が社はこういうことをやろうとしている。それってワクワクするでしょう? だからみんなで一緒にやろうよ」というビジョンをトップの経営者が社員に対して語ることでどんどん浸透して腹落ちし、社員のパフォーマンスも上がっていく。当然、社員も一人ひとりビジョンを持っていると思うのです。これからの時代は、個人と企業とのビジョンのマッチングが重要になってくると思います。でも日本の企業はそこが弱い。

日立さんは元社長の川村隆さんが「『社会イノベーション事業』への傾斜を深めていく」と2009年に宣言してから、社会イノベーションとは何ぞやということを、手を替え品を替え伝え続けた、という話を伺ったことがあります。トップがそうやって社員に対してメッセージを発信し続けることは重要です。

問題は、日立さんのような複雑な事業構造を持つ大企業になると、そういったトップの思いを現場の社員に届ける、言い換えると腹落ちさせるためのしかけづくりも必要なことです。やっぱり現場の社員からすると「トップがあんなこと言ってるけど、俺は目の前の仕事でそれどころじゃない」なんてことは往々にしてありますからね。

髙本
まさにそのとおりです。社員全員が会社のビジョンを「自分事化」するのはなかなか難しい。そのための施策は、我が社ではまだ全然足りていないと感じています。

入山
1つのしかけとしては、半年に1回必ず社員研修を行う。「トップはああ言っているけど、自分の現場の仕事に置き換えるとどうなるんだろう?」といったことを真剣に議論する場を意図的に設けるという手があります。

画像: 社員を「腹落ち」させるしかけ

こんな面白いやり方もあります。株式会社中川政七商店という工芸品のSPA(製造小売)を展開している会社では、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを代表取締役会長の中川政七さんが掲げました。ところが、社員400人くらいの規模の同社でも、トップの中川さんの思いが現場の社員までなかなか伝わりにくいそうです。

そこで中川さんはどうしたかというと、これが彼のユニークなところなのですが、樹形図を使って社員に説明したんですね。まず、樹形図の一番上に来るのは会社のビジョン。それを実現するためには、こんなことに取り組まなくてはいけない。そのためにはこんな業務が必要で、さらに現場レベルではこんな作業が必要だよね、と。要するに、現場の社員の仕事が会社のビジョンとどうつながっているかを可視化することで、腹落ちさせるのが狙いです。

髙本
なるほど。トップが示した方針をドリルダウンして、「だからあなたにはこの仕事をやってもらっているんだよ」ということをビジュアルに示す。確かに、社員の納得感が違いますよね。当社でもバランススコアカード(*)的な手法など幾つかのツールは使っていますが、まだまだ社員個々人の目線では、それらを使いこなせるところまでは成熟していないと感じています。この辺の改革は我々のチームの課題と自覚しています。トップが発する共感を呼ぶメッセージと併せて、非常に大切なポイントですね。

* 業績管理手法の1つ。企業のビジョンと戦略があらゆる部門・階層で具体的な実行に結びつくよう、「財務」「顧客」「業務」「学習と成長」といった視点から業績を評価する手法。

画像1: 対談 個を輝かせる人事
【第4回】日本企業には「腹落ち」が足りない

入山章栄(いりやまあきえ)
1972年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。株式会社三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関へのコンサルティング業務に従事した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.(博士号)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授を務め、2013年から早稲田大学ビジネススクール准教授。経営戦略論および国際経営論を専門とし、Strategic Management Journalをはじめ国際的な主要経営学術誌に論文を数多く発表している。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版,2012年)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP社,2015年)。

画像2: 対談 個を輝かせる人事
【第4回】日本企業には「腹落ち」が足りない

髙本真樹(たかもとまさき)
1986年、株式会社日立製作所に入社。大森ソフトウェア工場(当時)の総務部勤労課をはじめ、本社社長室秘書課、日立工場勤労部、電力・電機グループ勤労企画部、北海道支社業務企画部を経験。都市開発システム社いきいきまちづくり推進室長、株式会社 日立博愛ヒューマンサポート社社長などを経て、現在システム&サービスビジネス統括本部 人事総務本部 担当本部長を務め、ヒューマンキャピタルマネジメント事業推進センタ長を兼任。全国の起業家やNPOの代表が出場する「社会イノベーター公志園」(運営事務局:特定非営利活動法人 アイ・エス・エル)では、メンターとして出場者に寄り添い共に駆け抜ける "伴走者"も務めている。

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SDGs、人工知能(AI)、デザイン思考、ブロックチェーンなど、経営戦略に関わるホットイシューについて、斯界の第一人者に聞く。

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