* CSV(Creating Shared Value:共有価値の創造)とは、2011年にマイケル・ポーター氏らが提唱した経営戦略。その日本版として、一橋大学特任教授の名和高司氏が「J-CSV」を2015年から提唱している。
麻織物から生活雑貨へ
――はじめに、現在の御社の事業概要を教えてください。
中川
工芸をベースにしたSPA(製造小売)業態を軸足にしています。製造については、一つの工場で完成品まで仕上げるのではなく、まず材料を当社で揃えて外部のメーカーに発注して、上がってきたものを別のメーカーに出して…といった工程を何回か繰り返して商品が出来上がります。ですから自社工場はありませんが、メーカー機能は持っていると言えます。直営店は全国に46店舗展開し、他社メーカーからの仕入れ品も扱っていますが、売上の大半は自社で企画した商品です。
――工芸と聞くと陶器や漆器といったイメージが強いですが、御社の店舗ではふきんやハンカチをはじめ、靴下やバッグ、お酒や醤油など幅広い商品を扱っています。一言で表すと何のお店ということになるのでしょうか。
中川
揃えているアイテムとしては、生活雑貨の店だと考えています。商業施設の店舗案内で言うと、ライフスタイルというカテゴリーに入るでしょうね。今ではアパレルさんでも雑貨や食品を置いてあるところが多いので、取り立てて珍しいことではありません。ただ、それを洋ではなく和をベースにした品揃えでやるようになったのは、おそらく当社が最初なんだろうなと思います。
――御社は1716年創業という、とても歴史のある会社です。もともとはどんな会社だったのですか。
中川
奈良晒(ならざらし)という麻の織物の問屋として始まりました。いわゆる反物(たんもの)、要は加工前の生地です。江戸時代は主に武士の裃(かみしも)に使われ、幕府の御用品に指定されていました。ところが明治に入って裃の需要が無くなると、麻を織る職人も減って一時は絶滅寸前まで行きました。そこで、わたしの曽祖父にあたる十代政七の時代に、織り子さんを雇って製造も行うようになりました。その時の反物の供給先は、お坊さんの法衣や高級な着物生地、そして茶道に使う茶巾(ちゃきん)でした。
それが起点となって、祖父巖吉と父巌雄の時代にお茶道具全般を扱うようになりました。今から40年くらい前のことですけど、当時はまさに家内制手工業という感じで、祖父と父が畳敷きの仕事場で生地をハサミで切っていたのを憶えています。そこから茶道具のアイテムを拡げて人員も増やし、株式会社化したのが1983年でした。1985年には「遊 中川」という自社企画の布製品ブランドを立ち上げて、少しずつ雑貨の製造小売をやっていくことになります。ただ、その時もメインは小売ではなく、あくまで卸でした。
わたしが入社した2002年は全体的には黒字だったのですが雑貨の事業部が赤字で、まずはその部門の経営改善に取り組みました。翌年、「日本の贈りもの」をコンセプトにした「粋更kisara」という生活雑貨ブランドを立ち上げて、2006年の表参道ヒルズ店出店を皮切りに直営店展開をスタートしました。その後、他社メーカーからも商品を仕入れるようになり、今のようなセレクトショップの業態に移っていく中で、2007年頃から「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げるようになりました。
“伝統”工芸との決別
――今おっしゃった御社の経営ビジョンですが、数年前までは「日本の伝統工芸を元気にする!」という表現でした。“伝統”の2文字を外したのはなぜですか。
中川
伝統工芸と聞いて消費者がまず思い浮かべるのは、例えば着物なんですよね。でも当社で扱っている布製品はハンカチやふきんなどですから、消費者の認識とは大きなズレがあります。それを解消するために“伝統”を外したというのが1つめの理由。それから、“伝統”という表現はある意味で産業に対する侮蔑だとわたしは思っているので。自動車産業は100年以上続いていますけど、だれも「伝統自動車産業」とは呼ばないじゃないですか。“伝統”が付く産業というのは、もう進化が止まって廃れていくと見なされたものではないかと思うんです。工芸に“伝統”が付いているうちはイカン、というのが2つめの理由です。
あとは、工芸の新しい定義をわたしなりに持っていて、“伝統”を外したほうがしっくり来ると感じたからです。
――中川さんなりの工芸の定義を教えてください。
中川
そもそも工芸というのは、生活の中で使う道具を自分たちで、それも手で作っていたことが起源だと思うんです。例えば石器時代に人間が作っていた道具だって、工芸品と言えるはず。ところが高度経済成長期やバブル景気の時に、高値な物でも売れるからという理由で加飾が過剰になってしまって、日常生活から離れた美術工芸がメインになってしまった。でも今は、そういうものはもう売れない時代です。
わたしが考える工芸の定義に立ち返ると、手で作られた生活の道具なら何だって工芸と言えます。例えば靴下。編み機をグルグル回せば編み上がったものがポトンと落ちてくるので大部分の工程は機械でできるのですが、つま先の部分を縫い閉じる最後の工程は手仕事なので、昔は近所のおばちゃんに内職仕事としてお願いしていました。現場を見たことが無い人からすると「なんで靴下が工芸やねん」となるかもしれないですけど、わたしの定義で言えば、靴下は工芸なんです。
――靴下のつま先を閉じる工程というのは、手仕事でしかできないことなのですか。
中川
機械でもできるかもしれないですけど、その工程のためだけに新たに機械を作るより、手仕事のほうが効率が良いんですよ。ものづくりには、機械化による効率の追求も必要だとは思います。ただ、機械に置き換えられない部分だってある。そういった手仕事と機械の混ざり具合が、今わたしが考える工芸のあり方なんです。
お付き合いしている陶磁器メーカーさんで、わりと機械化して土鍋を作っているところがあるのですが、内側に釉薬(ゆうやく)を塗る最後の工程だけは、なぜか人がやっています。社長さんに聞いたら、「機械でもやってみたんだけど、手のほうが速い」とのこと。そういう現場を見ていると、全部手仕事でやるべきだとか、逆に全部機械化すべきだといった変なこだわりを持つのではなく、コストとのバランスを見ながら落としどころを決めていくべきなんだと思います。
日本の工芸が「元気な」状態とは。
――中川さんの目から見て、日本の工芸は今どんな状態にあるのでしょうか。
中川
30年ほど前は、各産地の出荷額の合計が5,700億円でした。それが今では1,300億円まで落ちていますから、30年で約4分の1に減ったことになります。産業として終わりかけの状態にあることは、この数字を見ても明らかです。
――そうした中で「日本の工芸を元気にする!」を経営ビジョンに掲げた意図は何ですか。
中川
当社が製造をお願いしている工芸メーカーが毎年どんどん廃業していくのを目の当たりにして、「このままだと30年もしたら商品を作れなくなってしまう」という危機感がありました。同時に一消費者として、日本の伝統的な素材や技術が無くなってしまうのは悲しいなという思いもありました。その一方で、わたしが当社でやっている経営のやり方が、他の工芸メーカーでも通じるだろうなとも考えました。平たく言うと、ブランディングという手法ですね。こういった思いが重なって、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンが固まりました。
――どんな状態になれば、「日本の工芸は元気になった」と言えるのでしょうか。
中川
まずは、工芸メーカーが経済的に自立していること。そして、ものづくりの誇りを取り戻すこと。この2つを満たすことが、「元気になった状態」だとわたしは定義しています。
――なぜ、ものづくりに対する誇りがメーカーから失われているのですか。
中川
商品を安く売らないと問屋に買い取ってもらえない上に、もっと安価な商品を出している中国などのメーカーに取引を切り替えられてしまい、ますます売れなくなってしまうケースが多いからです。そうした状況が、メーカーの自信を奪っているんです。
――素人目には、工芸業界の問題は職人さんの後継者不足にあるのではという印象があります。
中川
後継者不足は単なる結果です。工芸では食べていけないから、後継者が出てこないんです。食べていけない仕事を子どもに継がせようとは思わないですよね。だからこそ、工芸という仕事に対する誇りが必要です。経済的な自立とものづくりの誇りの回復、この2つが達成されれば基本的に後継者問題は解決されるし、仮に工芸メーカーのお子さんが「家業を継がない」と言っても、他に「やりたい」と手を挙げる人がきっと出てくると思います。
老舗が業界初のSPAを始めた理由
――御社は工芸業界で初めてSPAを始められました。そもそも、なぜそれまでどこもSPAをやらなかったのですか。
中川
工芸の産地って、ある意味分業制なんです。まず工芸メーカーがいくつかあって、そこから商品を買い取る産地問屋があって、その先に流通問屋、さらに百貨店。少なくともこれだけのプレーヤーがいる中で、それを飛び越えて直営店をやろうというメーカーは出てきませんでした。わざわざそんなことをしなくても、それなりに潤った時代があったからでしょうね。
――中川政七商店が敢えてSPAを始めたきっかけは何だったのですか。
中川
わたしが当社に入った当時はまだ卸事業が主体でしたが、実は布製品ブランド「遊 中川」のお店を奈良に2店舗、東京に1店舗出していました。と言っても、直営店ではなくショールームのような位置づけに過ぎず、このままだといつまで経ってもお客さまにはブランドとして認知されないだろうなと感じていました。ではどうすればいいのかと考えた末、直営店を持つことで、自分たちで直接お客さまとコミュニケーションをとる状態を作っていこうと決めました。
――SPAの展開はすぐ軌道に乗ったのですか。
中川
やはり小売業には専門のノウハウが要りますし、参入していきなり利益も出せませんから、初めの3〜4年は苦しかったです。
それまでは、年に1~2回新作を出していれば充分事業を回せていました。ところが小売をやるとなると、百貨店のように2週間に1回のペースで店頭替えをして、常に売り場の鮮度を保たなければいけない。そのサイクルを成立させるために、商品企画の人員を増やすなどして、ものづくりの体制そのものを変える必要がありました。
わたしが本格的にSPAに乗り出すまでは、業務のしくみも旧態依然としていました。店頭で商品が売れると紙に手書きでメモして、翌日本社にファックスする。それを本社の営業事務社員が一行一行パソコンに打ち込んで在庫調整をする。メーカーではそれが当たり前でしたが、そんなやり方で儲かるわけがないですよね。そういったことを一つひとつ改善していきました。
――SPAを始めるにあたって、社内で反対はなかったのですか。
中川
当時社長だった父からは、少々反対されました。「お店は人件費もかかるし店頭在庫も持たなアカン。やめとけ、基本は卸や」と。確かに短期的に見れば、商売としてしんどいことはわたしも重々承知していましたけど、SPAしか中川政七商店が生きる道は無いと思ったので。「いや、やります」ということで押し切りました。
マーケティングではなく、ブランディング
――御社の商品は今、女性を中心に幅広い層からの支持を集めています。どういった方針で商品を企画しているのですか。
中川
ものづくりは、あくまで自分たちが起点であって、市場起点ではないと思っています。大手企業がしっかりマーケティングしても、結果的に売れないケースもあるわけじゃないですか。それを当社のような中小企業が真似してもうまくいくはずがない。それよりも、自分たちがどうあるべきかをしっかり考えて、自分たちが思う「いいもの」を出していくのがわたしたちの生きる道だと考えています。わたしはよく「マーケティングではなく、ブランディングだ」という言い方をしています。
――御社の商品が持つ「中川政七商店らしさ」とは何でしょうか。
中川
当社のものづくりの基本的な考え方は「温故知新」です。ものが生まれた背景や歴史をきちんと理解した上で、今の生活に合うように多少の修正を加えることが、ものづくりのやり方だと考えています。
ブランドイメージって、複雑なんですよ。商品だけで作られるものではない。Webやお店、販売員、そして今日のようなインタビュー記事など、お客さまの目に映ったものすべてが中川政七商店のイメージを作っているわけですから。一番大事なのは、お客さまに楽しく買い物していただくことです。工芸の会社でありながらお店に食品を置いているのもそのためです。
――ブランドを創りたくても、御社のようにうまくいくとは限らないですよね。ブランディングにおいて、一番外してはいけないポイントは何だとお考えですか。
中川
お客さまの頭の中に入っていく、ありとあらゆる情報をコントロールしなければいけないと思います。わたしは、ブランディングを「伝えるべきことを整理して、正しく伝えること」と定義しています。それは場面によっても変わるし、相手によっても変わる。そこを間違えないことです。
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