デジタル時代のマーケティング戦略「アンバサダー・マーケティングの威力」第1回 >
「いちげんさんお断り」の料亭と共通するアプローチ
前回、今注目されるアンバサダー・マーケティングの概要について述べた。ユーザーを大切にして、ユーザーからユーザーに評判の輪を広げ、それを事業成長のエンジンにする。こうした既存顧客重視、クチコミ重視の手法が、ソーシャル時代に新しい力を持ち始めている。
ただ、本質的には以前からあったやり方と同じと言えなくもない。徳力基彦氏は次のように語る。
「『いちげんさんお断り』の料亭も、既存顧客を大事にするという基本的な部分は同じ。新規の顧客が急に増えたりすると、常連客は居づらい雰囲気になることがあります。そこで、新規顧客は常連客からの紹介だけに絞って、安定的な成長を目指すというスタイルです」
B2Bビジネスでも、既存顧客を重視する手法は一般的だ。
「アンバサダーという言葉こそ使っていませんが、初期のユーザーをしっかりサポートして、成功事例として紹介するといったやり方は普通に行われています。実績があることをアピールしながら、次の顧客を開拓するやり方です」(徳力氏)
B2B分野の買い手に当たるユーザー企業の担当者は、緩やかなコミュニティーをつくっている場合もある。例えば、ITベンダーの多くはユーザー会のような組織を運営し、ユーザー同士のコミュニケーションを促している。こうしたコミュニティーにおいて、評判やクチコミの力はもともと大きい。そこに登場したのが、ソーシャルメディアだった。
ソーシャルメディアの普及とクチコミパワーの増大に、いち早く着目したのは欧米のベンチャー企業だったようだ。
「初期にアンバサダー・マーケティングのようなクチコミを重視した手法を本格的に導入した企業の多くは、ネット系ベンチャーです。マーケティングにお金をかけられないので、初期ユーザーを大事することで徐々に顧客層を広げていこうという作戦。必要に迫られて、やむを得ずアンバサダー・マーケティングを選択したということでしょう」(徳力氏)
こうして生まれた成功事例が模倣され、新しい工夫が足されて洗練の度合いを高めていった。今では、「グロースハッカー(Growth Hacker)」と呼ばれる専門家も生まれているという。
「クチコミの推移やユーザー数の伸びなどを見ながら、ユーザーがユーザーを連れてきてくれる仕組みをつくるのがグロースハッカーの役割です。具体的には、初期ユーザーに協力を得るためのプログラムをつくったり、宣伝広告など他のマーケティング手段との連動を検討したりする。この言葉を使うかどうかは別にして、日本のネットベンチャーなどの間でもグロースハッカーの役割を重視する企業が増えています」(徳力氏)
テストで効果を確認し、マス広告で全国一斉展開
今、日本でもアンバサダー・マーケティングに取り組む企業が増えている。徳力氏が「エポックメーキングな事例。日本でアンバサダーという言葉が広まるきっかけにもなった」と評する事例が、「ネスカフェアンバサダー」である。ネスレ日本が個人向けに販売していたコーヒーメーカー「バリスタ」を、オフィスでも使ってもらいたい。そんな議論の中から生まれたプログラムである。
「ネスカフェアンバサダーを広く募集して、審査をパスするとアンバサダーに認定し、バリスタを無料で提供するというプログラムです。端末としてのバリスタは無料で、ネスカフェのカートリッジは有料というビジネスモデル。ビジネスモデルの観点から見ると、できるだけ多く無償配布すればよさそうなものですが、あえて審査プロセスを設けたのがポイントです。これにより、アンバサダーの責任感が強まりました」と徳力氏は説明する。
カートリッジの掃除や交換、注文などはアンバサダーの役割。面倒な仕事のようにも見えるが、周囲の同僚に頼られたり、感謝されることに喜びを感じているアンバサダーも多いという。顧客が積極的に端末のメンテナンスまで引き受けてくれるという画期的なビジネスモデルだ。アンバサダーの感想や意見などはWebでも公開されており、「バリスタの周囲で会話が生まれる」といったポジティブな声が多く寄せられている。
マスマーケティングをうまく組み合わせた点も、このプログラムの特徴の1つだ。それにより、短期で大きな成果を上げることができたと徳力氏は考えている。
「ネスカフェアンバサダーのケースでは、まず北海道でテストを行い、小規模に成功することを確認したそうです。その後、全国展開を行いモデルがうまく展開することを確かめたうえで、テレビCMなどのマス広告を本格的に実施され、一気に知名度をアップされました。現在では、全国に10万人以上のアンバサダー登録者がいるそうですが、アンバサダーによるクチコミとテレビCMなどのマス施策を組み合わせた見事な成功事例と言えるでしょう」(徳力氏)
仕事中にバリスタで淹れるネスカフェに親しみ、後に自宅用のバリスタを購入するケースも少なくないという。
企業は顧客をコントロールできない
ネスレ日本のような成功事例は、日本でも増え始めている。では、アンバサダー・マーケティングを成功させるための注意点はどのようなものだろうか。まず、ソーシャルメディアとの付き合い方を考えてみたい。徳力氏は次のように語る。
「テレビCMのようなマスマーケティングに慣れている企業は、自分たちがクチコミをコントロールできると考えがちです。この考え方を、まず改める必要があります。ソーシャルメディアに限らず、ユーザーと一緒に何かをするという時点で、コントロールは利かなくなると思ったほうがいい」
ソーシャルメディアマーケティングの分野では、製造業に比べて小売業のほうが対応がうまいとよく言われる。というのは、小売業のほうが顧客と直接接する機会が多く、クレームを受ける経験なども豊富だからだ。コールセンターなどの接点はあっても、メーカーの場合、ユーザーのナマの声を聞く機会はどうしても少なくなる。
こうした意識面に注意する必要はあるものの、徳力氏は「アンバサダー・マーケティングは日本人に向いている」とみている。
「何かをしてもらったらお返しをしなければいけないと考えるのは、日本人に共通する感覚でしょう。そういう意味では、日本ではユーザーとの関係をベースに、自社ブランドを選んでもらうというアプローチは成果を生みやすいのではないか、と考えています。また、既存顧客を大事にするという姿勢は、商家の家訓やおもてなしなどにある日本における商売の基本の精神にも通じる。日本的な商売の道とアンバサダー・マーケティングには、シンクロする部分が多いように思います」(徳力氏)
ただし、アンバサダー・マーケティングが自社に向いているかどうかという検討は必要だ。徳力氏はこう続ける。
「単価の高いものやユニークな特徴を持つものについては、比較的適していると言えるでしょう。一般に、安さで勝負しているようなコモディティー商品については難しいので、アンバサダー・プログラムを導入する際には何らかの工夫が求められます」
また、前回述べたように日本市場では既存メディアの力が強い。そこで、徳力氏は「アンバサダー・マーケティングだけでなく、ネスカフェアンバサダーの事例のように、他のメディアとの組み合わせを考えるべき」と指摘する。
次回は最終回。アンバサダー・マーケティングの実践に向けて、具体的なアプローチを考えてみたい。
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