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「M2M」(Machine to Machine)により、あらゆるものがネットワークに接続されることで、従来にはなかった大量のデータが記録できるようになる。そのなかには、人のプライバシーに関わるパーソナルデータも含まれている。そうしたデータをいかにして有効活用していけばいいのだろうか。スマートシティや医療、農業など、さまざまな分野で期待されるM2Mデータの活用法について、東京大学先端科学技術研究センター教授で、新世代M2Mコンソーシアム会長の森川博之氏に話を聞いた。

都市のコンパクトシティ化にM2Mを活用

前回のインタビューでは、M2Mがヘルスケアの分野で大いに期待されているということでしたが、スマートシティなど、都市づくりにおいても期待されていますね。

ええ。ただ、スマートシティにおけるM2Mの役割に関しては、現状はスマートグリッドやエネルギー面での話題が多い。都市におけるエネルギー対策は重要な要素の一つではありますが、目新しさは感じません。

むしろ私が注目しているのは、M2Mのコンパクトシティへの応用です。国土交通省の調査によれば、2035年には日本人が住んでいる面積の20%は無人化すると言われています。現在、人が住んでいる面積は国土の半分程度ですから、国土全体に換算すると、今後20年間で10分の1の国土が無人化することになります。これは驚異的な数字です。こうした事態に対応するため、計画的に都市の縮退を進めていく必要があるでしょう。

そうしたなか、現在、富山県富山市では住民基本台帳ネットワークシステムのデータを活用して、70歳以上の単身者の住まいがどう分布しているかといったデータの見える化に取り組んでいます。このデータに基づいて公共交通の利便性を高める施策を打ち、コンパクトシティ化を進めているのです。画期的な事例だと思います。
このようにさまざまなデータを収集し、見える化ができれば、人口動態に伴う税収減や社会インフラの維持・更新にかかる費用予測などが一覧でき、将来的な財政状況まで予測できるようになるでしょう。そうすれば、危機感をもって事前に手を打つこともできるでしょう。データの見える化というのは、議論のための前提として不可欠なのです。

とくにスマートシティに関しては、巨視的かつ学際的な取り組みが必要だと感じています。建築や都市工学、エネルギー、情報技術の専門家が互いの知見を持ち寄って、街全体、都市全体、ひいては国土全体をどうしていくのかを考えていく必要がある。物流なども、まだまだマクロでの最適化の余地はあるでしょう。まさにいまこそ、IT屋の出番と言えます。

画像: 森川研究室では、実空間に張り巡らされたセンサから得られる膨大な計測データ収集の高速化に取り組んでいる。

森川研究室では、実空間に張り巡らされたセンサから得られる膨大な計測データ収集の高速化に取り組んでいる。

データの相互利用の利点を示すべき

データの見える化の基盤として求められているのが、データの相互利用です。現在、政府は「個人情報保護法」の改正に向けて検討を進めていますが、改正後は、匿名化されたパーソナルデータについては第三者提供への道が開かれるとして、期待が集まっています。一方で、パーソナルデータの流通に対しては、プライバシーが侵害されるのではないかという懸念の声も上がっていますね。

画像: データの相互利用の利点を示すべき

今後は、データを使いやすい環境が整備されていくと思いますが、やはり、ITに関わる我々が、データの相互利用によってどういったメリットやデメリットがあるのかをきちんと示していくことが重要ではないでしょうか。諸外国で可能なことが、国内でできなければ、日本の国際競争力にも影響します。そういった意味で、日本のIT業界というのは紳士的すぎる。もっと声を挙げるべきでしょう。データの相互利用によりユーザがさまざまな恩恵を受けることができるのに、規制により実現できなくなるというのはもったいないと思います。

ところで、「赤旗法」をご存知ですか?これは、19世紀後半にイギリスで施行された法律で、英国の公道における自動車の運用方法について定めたものです。このなかに、自動車は危ないから、自動車の前を赤い旗(もしくはランタン)を持った人が馬車や通行人に注意喚起しながら通行しなければならない、という定めがありました。つまり、車の前を赤い旗を持った人が自力で走っていたわけです(笑)。当然、車は人間が走る速度より速く走ることはできません。この悪法によって、イギリスの自動車産業の発展はずいぶんと遅れたと言われています。

翻って、現行の個人情報保護法も、赤旗法の二の舞になりかねません。「危ない」「不気味だ」というだけで、新しい技術を遠ざけるのは、社会的損失を招く。いまこそ、パーソナルデータをきちんと保護したうえで、データを活用することによりどのような恩恵が受けられるのか、私たち技術者が一般に広く伝えなければならないと感じています。

パーソナルデータの提供を促す施策とは


データの相互活用の有用性を訴えるために、具体的にどのような取り組みをしていくべきしょうか?

画像: パーソナルデータの提供を促す施策とは

例えば、アメリカのヘリテージ財団が実施している「Health Prize」の取り組みなどが参考になるでしょう。これは、ビッグデータを活用したコンテストで、3年にわたる70万人分の患者の医療データを公開し、このデータをもとに患者の4年後の入院日数を予測し、その精度を競うというもの。つまり、3年分の医療データを公開し、解析することにより、患者の将来の病状を予測するわけです。優勝賞金300万ドルをめざして、日本の企業も含めて世界各国から1660チームが参加しています。

この「Health Prize」の取り組みは、データを提供することで有益な知見を得ようという試みであり、パーソナルデータが有効活用されていることを示す好例と言えます。このような事例を積み重ねることにより、一般の人に、その有用性を呈示できると思います。

尚、こうした医療データの提供を可能にしているのは、1996年に策定された、アメリカの個人情報保護に関する規定を定めたHIPAA法および、2009年に可決成立した「米国再生・再投資法」などの法律です。前者は医療関連データについての電子化の推進と医療データについてのセキュリティおよびプライバシー保護のための標準規格を定めたもので、後者は匿名化データの第三者提供のルールを明確化することで、医療データの利活用を進めるもの。やはり法の整備は非常に重要です。

現在、日本では個人情報保護法改正において、個人が特定できる特定化と、個人は特定できないけれど、誰か一人のデータであることがわかる識別化を分けて定義し、非識別非特定化されたデータについて第三者提供の道を開こうとしています。一方で、誰かはわからないけれど、誰か一人の情報であるという識別化情報については、別の情報との突き合わせによって、個人が特定されることがあることから、慎重な扱いが必要となります。しかし、この識別化情報については有用な情報を含む場合が多いことから、私自身は、ある程度、活用可能にしていくことが必要ではないかと思っています。

例えば、社会経済的な危機に取り組む国連のイニシアチブである「国連グローバルパルス」では、ある地域でマラリアなどの感染症が発生した際に、携帯電話の位置情報や通信履歴、さらにはSNSなどの書き込みなどのデータを活用して、どのように感染が広がっていったかを調査しています。つまり、感染源や感染径路を探る際には、やはり誰か一人の識別化データが不可欠だということなんですね。

このように、公に利するものについては、きちんとしたルールや監視下のもとで、もっとデータを積極的に活用していくべきではないでしょうか。ビジネスについてはまた別の枠組みが必要かもしれませんが、利用者にとってのメリットが明確になれば、すべてがダメということにはならないと思います。

その一例として、イギリスのある保険会社の取り組みをご紹介しましょう。この会社では、自動車にボックスを取り付けることで、保険料を安くするというサービスを始めています。ボックスは運転状況をセンシングするためのセンサを内蔵する箱で、その人の運転の安全度(運転の滑らかさや自動車の利用時間など)に応じて保険料を安くするのだそうです。イギリスでは保険料が高いので、25歳以下の人たちに大変好評を得ていると言います。もちろん、運転データをすべて吸い取られてしまうわけですから、まさしくパーソナルデータであるわけですが、保険料が下がるというトレードオフがあれば、皆、喜んで情報を提供するでしょう。実際に、このボックスにより、すでに6億旅行分のデータが収集できたと言います。

自動車に関しては他にも、タイヤメーカーがタイヤにセンサを付けて路面状況を把握するといった取り組みが始まっていますし、将来的には遠隔車検なども可能になるかもしれません。つねに自動車の状況をリアルタイムでセンシングしていれば、わざわざ車検に持って行く必要はなくなりますからね。

重要なのはデータを使って何をやるか

現在、森川先生は新世代M2Mコンソーシアム*の会長をなさっています。このコンソーシアムでは、どのような取り組みをしているのでしょうか?

画像: 重要なのはデータを使って何をやるか

中心となっているのは、データの相互接続です。A社、B社、C社のデバイスで、それぞれがきちんと互換性を持って、集めたデータの相互活用をすることで有用な知見が得られるよう、取り組んでいるところです。

ただ、基盤整備はもちろんですが、より重要なのは何をやるか、ということなんですね。ITやICTが進化するなかで、何が一番変化したかと言えば、20年前は、通信速度を光通信で速めるとか、コンピュータを省電力にするとか、すべきことがわかっていたけれど、今は目標が曖昧になってしまったこと。昔はターゲットに向かって、どうがんばればいいかが明快でしたが、今は何をするのかそれぞれが考えなければなりません。それだけ技術が成熟してきたということですが、それこそが経営者にとっても技術者にとっても、一番の悩みどころです。

その際、手元にあるデータをいったん見直してみることで突破口が開けるかもしれません。有名な事例として、建機メーカーが機器のメンテナンスのために集めていたデータを活用して、公共予算の予測や今後の経済成長の予測に役立てていますね。このように、すでにあるデータであっても、切り口を変えることで、新規性やオリジナリティに富むビジネスに結びつけていくことが可能だと思います。

その際に必要なのは、データを使ってこれをやりたい、という強い思いだと思います。日立の中央研究所には矢野和男さんがいらっしゃいますが、彼も研究を始めた当初はビジネスに結びつくかどうかわからないまま、非常に強い思いをもって自身の行動データをずっと記録されていました。それがいまや、大きな注目を集めるようになり、ビジネスにつながっています。

こうした取り組みを、私は「海兵隊」と呼んでいます(笑)。軍隊における海兵隊というのは、コンパクトでありながら陸海空の機能を備える組織で、一番最初に敵陣に乗り込む役割を果たします。そこでうまくいけば、本隊が乗り込む。ビジネスでも同様に、まずは切り込み隊長としての海兵隊の役割が必要ではないでしょうか。つまり、「失敗してもいいから行ってこい」という寛大な構えというか……。それほど、これからの時代、ビッグデータを活用して何をやるのが正解かを見出すのは容易ではありません。

時系列のデータの記録こそが重要になる

M2Mの基盤技術としては、今後どのようなものが必要になるのでしょうか。

画像1: 時系列のデータの記録こそが重要になる

やはりデータベースでしょうね。とくに時系列のデータベースが重要です。たとえば、赤ちゃんのときからの毎日の血圧データを何十年分にもわたって記録し続けることができれば、血圧の変化のパターンから、過去に遡って同様の変化が起きていないか、またその際にどういう体調の変化があったかを調べたり、将来の病気の予測をしたりすることが可能になるかもしれません。とくに人の体に関する時系列データというのが、今後ますます重要になると思います。

したがって、ストレージは今後も減ることはないでしょう。データを捨てるなんてもったいない。社会インフラのモニタリングにしても、壊れるのは何十年に1回と、非常にスパンは長い。その間のデータはすべて蓄えておかなければ意味がありません。そうしたデータこそが、今後新しいビジネスにつながる可能性が大きいと思います。

農業などでもデータにより、大きな変革がもたらされる可能性があります。現状でもJAには、どの生産者がどういう作業をしたのか、どういうお米が取れたかといった情報が記録されています。今後はそうしたデータが、安く活用できるクラウドに置かれるようになる。クラウドに上がってくれば、さまざまな人が活用できるようになり、思わぬ知見が生み出される可能性があります。

このように、今後、活用されるデータ量というのは無限に増えていくことになるでしょう。そこから、これまでになかった新しい価値が生み出されていく。日立をはじめ多くの企業が、新しい課題を見つけ、社会に役立ち、ワクワクするようなサービスを生み出していくことに大いに期待しています。

画像2: 時系列のデータの記録こそが重要になる

(取材・文=田井中麻都佳/顔写真=秋山由樹)

(取材後記)
M2Mにまつわるさまざまな事例と将来展望について、非常にわかりやすく解説してくださった森川教授。そのなかでとくに印象深かったのが、「一気に変革が起こるというよりも、10年経ってみたら、M2Mが普通に生活に馴染んでいる」という発言でした。それこそがまさに、ユビキタス情報社会がめざす、人とITのシームレスな関係と言えます。そのためには、データの活用に関するルールづくりを進めていくことに加え、経営者も一般の人も、データ活用に関してどういうメリットとデメリットがあるのかを知っておくことが重要だと感じました。

画像: 森川 博之氏 東京大学 先端科学技術研究センター 教授 1987年、東京大学工学部電子工学科卒業。1992年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。1997年東京大学大学院工学系研究科助教授。1997~98年コロンビア大学客員研究員。2002~2006年NICTモバイルネットワークグループリーダーを兼務。2006年東京大学大学院工学系研究科教授。2007年より現職。新世代M2Mコンソーシアム会長、OECD/CDEP副議長等。「社会基盤としてのICT」「エクスペリエンスとしてのICT」といった二つの視点から、センサネットワーク、ビッグデータ/M2M/モノのインターネット、無線通信システムなどの研究を手掛けている。

森川 博之氏
東京大学 先端科学技術研究センター 教授
1987年、東京大学工学部電子工学科卒業。1992年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。1997年東京大学大学院工学系研究科助教授。1997~98年コロンビア大学客員研究員。2002~2006年NICTモバイルネットワークグループリーダーを兼務。2006年東京大学大学院工学系研究科教授。2007年より現職。新世代M2Mコンソーシアム会長、OECD/CDEP副議長等。「社会基盤としてのICT」「エクスペリエンスとしてのICT」といった二つの視点から、センサネットワーク、ビッグデータ/M2M/モノのインターネット、無線通信システムなどの研究を手掛けている。

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