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一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)楠木建氏
人間の仕事は、生成AIをはじめとするデジタルテクノロジーに代替されてしまうのか。そんな議論が繰り返される中、改めて人間が持つ潜在能力に注目し、それを引き出そうという提案が「好き嫌いHR(ヒューマンリソース:人的資源)」だ。以前から人間の好き嫌いを深掘りしてきた楠木教授独自の考察と論理を、今月はじっくりとご披露いただく。その2では、インセンティブを超える力を発揮する「努力の娯楽化」について考える。

「第1回:「良し悪し」と「好き嫌い」」はこちら>
「第2回:努力の娯楽化」

※ 本記事は、2025年4月25日時点で書かれた内容となっています。

僕は、仕事のやりがいというのは2つしかないと考えています。1つは良い給料で、もう1つは良い仕事。この2つに尽きると思っています。良い給料というのは、基本的に誰にとっても「良い」。ところが良い仕事というのは、人によって変わります。つまり、給料は「良し悪し」という次元で語れるとしても、良い仕事というのは相当に「好き嫌い」の問題になってきます。

僕は昔から繰り返し強調してきましたが、今の世の中は何でもかんでもインセンティブで解決しようとし過ぎです。インセンティブというのは誘因です。給料は典型的なインセンティブで、こういう仕事ができるようになると給料が上がって昇進できますよ――外にあって誘うものです。一方でそれとは異なるメカニズムとして、動因というものがあります。英語で言えばドライブで、それはインセンティブがなくても自分の中から出てくる内発的な動機のことです。人をドライブするのは「好き嫌い」です。

例えば英語が上達すれば昇進の可能性が高まって、給料が上がります――インセンティブのメリットは、努力の強制にあります。インセンティブがない状態より努力がうながされ、結果としてスキルが向上する。これがうまくいくと、ますますインセンティブが利いて努力が強制され、スキルが向上するという好循環が生まれます。しかしインセンティブの効果は、持続性に難があります。スキルアップして給料が増えたらうれしい。昇進したらうれしい。ただしそれはすぐに当たり前になってしまいます。

そこでドライブが大切になってくる。「好き嫌い」によってその人が好きなことを仕事にすることで何が起きるのか。それは「努力の娯楽化」です。例えば僕は今、ライブに向けて家でベースの練習をしているのですが、結構長い時間やっていても全然苦にならない。インセンティブによる英語の勉強は、1時間集中するぞという構えで努力をしなければなりませんが、ベースを練習していると1時間なんてあっという間です。これが「努力の娯楽化」でありまして、趣味の世界ではそういう経験を誰もがお持ちだと思います。

このゾーンに入ると、無意識のうちに高い水準で客観的には努力といえる状態が続くので、能力も急速にアップします。これを繰り返していくと、やがて余人をもって代え難いレベルに到達する。人に頼られるとか、成果が出て人の役に立つようになると、ますますそれが好きになり、ドライブが効いて「努力の娯楽化」が高い水準で継続していくという好循環になっていきます。

インセンティブではなくドライブで起動するというところが「努力の娯楽化」のポイントです。「好きこそものの上手なれ」という昔からの格言になるわけですが、僕はこれが仕事で成果を出す最強の論理だと思っています。

人間「頑張った」ところで限界がある。そもそも「頑張ろう」と思った時点で自分に努力を強いている。ということは、「よーし、頑張んなきゃ」と思った瞬間、すでに高が知れていることになります。「頑張る」というより「凝る(こる)」。これが大切だと思います。

仕事の場でも、「こいつはここまで分析するのか」「あいつ凝ってるな」というシーンってありますよね。そういうのが理想です。何しろ好きで凝っている本人にとってみれば、たとえ結果がでなくてもプロセスですでに報われている。どこまで行けたかではなくて、その道中で報われる。本当にそれが好きな仕事であれば、定義からして負けがない。

ただし「好き嫌い」は命令はできません。DeNAベイスターズが好きな僕に、石破総理が「明日からジャイアンツファンになりなさい」と命令してもそれは難しい。インセンティブも利きません。5,000円あげるからジャイアンツファンになりなさいと言われたら、「わかりました」と言いますが、これは嘘です。5,000円もらって、心の中でベイスターズを応援します。人の好きは、お金でも買えません。ところが「好きこそものの上手なれ」の論理で、金を出しても買えないものほど、金になる。これもまた仕事の鉄則です。

第3回は、7月21日公開予定です。

画像: 好き嫌いHR―その2
努力の娯楽化

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

シリーズ紹介

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