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一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)楠木建氏
日本が世界で最初に直面する社会課題と言われている、少子高齢化による人手不足。その解決策として生成AIなどのデジタル・テクノロジーが注目される中、楠木教授から全く異なるひとつのアプローチが提案された。それは、「年齢無用論」。高度成長期の日本社会に一石を投じたソニー株式会社(以下ソニー)社長盛田昭夫氏の著書「学歴無用論」にインスパイアされたこのアイデアが、今月のテーマだ。その4は、世の中に頻発するすり替え問題を論じる。

「第1回:先駆者、井深大」はこちら>
「第2回:ノーと言える商売人、盛田昭夫」はこちら>
「第3回:「学歴無用論」」はこちら>
「第4回:すり替え問題」

※ 本記事は、2025年3月31日時点で書かれた内容となっています。

今でも採用時の学歴偏重は多少あるとは思いますが、僕が社会人になる約40年前と比べればずいぶん薄らいでいます。当時の日本の大企業はこういう大学からしか採らないといった学歴採用が残っていました。あえて学歴で採用する合理性を考えてみると、一部の能力は確かに反映されています。難関の大学を出た人は、目的を達成するために努力ができるとか、ある程度規律があるといったような仕事に生かせる能力はあるはずです。しかしそれは、仕事に必要な能力のせいぜい数%にしかすぎない。それで採用を決めると言うのは、立地や広さや間取りを無視して陽当たりだけで住む家を決めてしまうようなものです。

採用する側からすると、学歴というのは採用のための2つのコストを削減できるメリットがあります。まず、この人は一流大学を出ているという意思決定の根拠を明示できるので、評価するための手間暇というコストが削減できる。さらに客観的な基準なので、社内の合意形成のコストも非常に安く済む。高度成長期真っただ中で、いくら人を採っても採用が追いつかない時代には、学歴で選ぶことの意味は相対的に大きかったのかもしれません。

ところがそれはあまりにも偏った基準で選んだ人に長期的な会社の未来を託すことになる。盛田さんが力説したように、非合理だしリスキーです。

僕は「すり替え問題」と呼んでいるのですが、限定的、極小的な合理性を全体の合理性にすり替えてしまうということは、一般的によく見られる現象です。学歴という小さな合理性が、その人の全ての能力にすり替わってしまう。ここに学歴偏重の採用の問題点があります。

盛田さんの「学歴無用論」から60年、学歴の能力へのすり替えというのは減少していると思います。それは当然で、一流大学を出ても仕事ができない人はいくらでもいるし、大学を出ていなくても有能な人はいる。そんなことは誰でもわかっている。

しかし現在もまだ多くの人が見て見ぬふりをしているすり替え問題があります。それが「年齢」です。日本には終身雇用と年功序列という雇用慣行が今でもある程度残っています。これは高度成長期の雇用確保にはたまたま合っていた、その時には合理的だったから定着したわけです。しかし前回もお話した通り、それは日本の文化でも何でもないし、今では本来持っている非合理な面が大きくなって、明らかに有効性を失っています。特に年功序列というのは、生産性や仕事の成果を阻害する根源的な要因だと考えます。

なぜ年功序列が生き残っているのか。それは学歴と同じように一部だけある合理性が、その人の能力全体とすり替わってきたからです。年齢というのは経験を端的に表す尺度ですから、ある種の能力ではあります。例えば18歳で、大企業の社長をうまく経営できる人というのはほとんどいないはずです。それはマネジメントの能力の一部に、経験でしか獲得できないものがあるからです。

それは正しい。しかし、経験を重ねれば誰でもマネジメント能力が身につくのかといえば、そんなことはありません。年齢や経験というのは、一部の能力を全体の能力にすり替える要因になるわけです。現に僕は今年還暦ですが、マネジメント能力はゼロです。僕の年齢を経験値として評価して何か重要なポジションを与えたら、会社は間違いなく傾きます。本来であれば、成果を出すための能力や意思をダイレクトに評価した上で、報酬や役職や待遇を決めるべきです。当たり前の話です。

しかし年功序列には、評価コストが非常に安いという大きなメリットがあります。会社を経営する上で、一人ひとりを評価するコストというのはものすごく高くつく。しかも毎年のことですから手数がかかる。これが年功序列であれば、年齢あるいは入社の年だけで報酬や待遇を決めることができますから、コストは異常なほど安く済みます。

これがすり替え問題を起こすと、その影響は学歴どころではありません。何より能力のない人間が、年齢や経験で上の役職に就いてしまう。その裏返しで、成果が出せる能力のある人が、能力を発揮できるポジションに就けなくなる。しかも年齢は不可逆で、今年は3つ若返るということはあり得ませんから、年齢を重ねるほどに評価が下げにくくなる。年功序列というのは、やる気を低下させ続けるメカニズムになって返ってきます。さらにこれをやっていると、人間の能力を評価するという経営にとって何より重要な能力がどんどん衰退していく。

ものすごく合意形成が単純で、評価コストは著しく下がる反面、まともな仕事能力の評価ができなくなって、会社の能力が殺されていく。これはもう麻薬みたいなものです。入社して何年以上経たないと課長になれないとか、まだそういう慣習が残っている。どうかしていると思います。

第5回は、6月30日公開予定です。

画像: 年齢無用論―その4
すり替え問題

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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