Summary
先方からの依頼があって、はじめて動き出す「受注仕事」。今月は、大学の仕事に一区切りつけたことによってほぼすべてが受注仕事になった楠木教授に、その難しさやメリットなどこれまでの経験から学んだ心得を披露していただく。その3は、割り当て仕事にはない、受注仕事ならではの良い点について。
「第1回:下積みの過ごし方」はこちら>
「第2回:ワンアウト・ゲームセット」はこちら>
「第3回:受注仕事の3つのメリット」
「第4回:向き不向き」はこちら>
「第5回:評価より評判」はこちら>
※ 本記事は、2024年12月12日時点で書かれた内容となっています。
前回、前々回でお話した通り、看板を上げるのは簡単でも、お客さまが来て仕事になるまでに時間がかかるのが受注仕事のやっかいなところです。必然的に下積みがある。しかも、ワンアウト・ゲームセット。仕事が来てもすぐに切られます。組織の割り当て仕事とは違った厳しさがある。しかし一方で、受注仕事には数々の良いところもあります。だから僕はこの仕事を選択しているのですが。
第1に、仕事を受けるかどうかをこちらが決められる。これは、業務命令などがある組織の中ではなかなか難しいことだと思います。しかし受注仕事であれば、イヤな仕事なら断ればいい。それだけです。
例えば僕の場合、断るようにしているのは地上波のテレビの仕事です。経済やビジネスについて自分の考えている分野のまとまったコメントを話すのは、自分の考えを提供する機会なのでありがたいのですが、ニュースバラエティのような番組のコメントの仕事はお断りするようにしています。
ずいぶん前に声を掛けていただいてやってみたことはあるのですが、まったく向いていないと痛感しました。というのは、ニュースバラエティ番組では僕のそもそもの仕事であるはずの自分の考えなど、必要とされてないからです。あれはいろいろな出来事に反射的にひとこと言わなければなりません。
そのころ出演した地上波の夜のニュース番組で、司会者が「フィギュアスケートの浅田真央さんが引退を発表しました。楠木さん、どうですか?」といきなり振られました。「いや、僕はよく分かりません。スケートに全然興味ないんで」と正直に言ったら、どん引かれたことがありました。自分に向いていない仕事を断ることができるのが、受注仕事のいいところです。断っているうちにそういった方面から声がかかることもなくなります。だんだん自分の好き嫌いと折り合いがついてくる。
第2に、仕事の値段をこちらで決められる。僕は非営利の組織向けの仕事、例えば大学や行政組織などの仕事は(自分がやりたいと思ったときは)基本的に先方の言い値で引き受けるようにしています。これに対して、企業から受ける仕事は、その仕事の種類や場所や拘束時間に応じて標準的な料金を設定しています。どなたさまにも基本的に同じ対価を請求する。一物一価の原則でやっています。
もちろんお客さまによっては、その額は払えないというケースもあります。そこで話は終わりです。あるいはその値段ではちょっと難しいので、この金額でお願いできませんか、という値引き交渉を受けることもあります。僕は原則的には値引きには応じないことにしています。お金に関してはっきり・すっきりしているところも、受注仕事の良さです。
第3の良い点は、たまに思ってもいないところから注文が入ることです。航空自衛隊関係の雑誌に文章を書いて欲しいという注文を受けたことがあります。非営利の組織ですから、無償で書くつもりでいたのですが、「原稿料はありませんが、航空自衛隊の隊員が着用してるジャンパーを差し上げます」――大喜びでお引き受けしました。
最近の仕事でいえば、ある民事裁判の原告側が法廷に提出する意見書を書いて欲しいという依頼を受けたことがあります。詳細をお話しすることはできませんが、ある企業が原告となって起こした民事訴訟で、僕はその原告側の弁護士から依頼を受けました。もめ事の内容を読んでみると、争点が、僕の専門である競争戦略のど真ん中の問題でした。渡りに船とばかりに引き受けました。
僕は裁判に提出する意見書のフォーマットで文章を書いたことがありませんでした。経営者やビジネスパーソンではなく裁判官がオーディエンスですから、ビジネスの経験や知識を前提とせず、ロジックだけでどうやって説得できるかが問われます。これがとても新鮮で、ロジックを総動員し気合を入れて書きました。意外なところから来た注文だけに、記憶に残る仕事になりました。(第4回へつづく)

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年,日本経済新聞出版)、『楠木建の頭の中 仕事と生活についての雑記』(2024年,日本経済新聞出版)、『経営読書記録 表』(2023年,日経BP)、『経営読書記録 裏』(2023年,日経BP)、『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
寄稿
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。