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霧の晴れた初夏の軽井沢。濃い緑の森の中にある複合施設『軽井沢コモングラウンズ』で取材した夏休み企画。第3回は、草庵とゴールドマン・サックスという時代も舞台も全く違う場所で、答えを探す2冊『方丈記』『資本主義の中心で、資本主義を変える』。

「第1回:『限りある時間の使い方』『簡素な生き方」はこちら>
「第2回:『訂正する力』『不思議な宮さま』」はこちら>
「第3回:『方丈記』『資本主義の中心で、資本主義を変える』」
「第4回:『引越貧乏』『宿六・色川武大』」はこちら>

※ 本記事は、2024年6月10日時点で書かれた内容となっています。

次に紹介したいのが、鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記』です。有名な古典です。僕は一度原典で読もうとして挫折しましたが、光文社の古典新訳文庫の現代語訳が素晴らしいものでしたので、この機会に皆さんにも一読をお勧めしたいと思います。

画像: 『方丈記』「鴨長明 蜂飼耳:訳 光文社古典新訳文庫」

『方丈記』「鴨長明 蜂飼耳:訳 光文社古典新訳文庫」

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という冒頭部分は有名ですが、ここだけしか知らない人が少なくないと思います。鴨長明はこの世の中の無常を見据えて小さな草庵で簡素な生活を営んでいます。住居という切り口で生活哲学を語る短い本です。

この有名な冒頭部分から察すると、鴨長明は達観した陰遁生活者という印象を持つ人が多いと思いますが、実はそうではないことは読むとすぐに分かります。鴨長明は終始葛藤しています。老成した隠者というより現実生活を生きながら迷っている普通の人。それが本書を名作にしていると思います。達観の境地に至ることのできない人が、一生懸命自分に言い聞かせている。達観したから草庵に住んでいるのではなく、住宅という物理的な環境設計で自分を達観へ持っていこうとしているのです。

方丈記は鎌倉時代の作品です。地震や竜巻など災害や飢饉に襲われたり、遷都というような一大変化が起きる。鴨長明は富裕な家に生まれ、大きな家に住んでいましたが、家督相続の段階で他の人が受け継ぐことになって実家との縁が切れてしまいます。30歳で10分の1の大きさの家に引っ越して、経済的にはどんどん落ちぶれていく。神職の道を断たれ、出家したのは50歳になってから。妻子もいません。

画像1: 休暇の読書にお薦めしたい本―その3
『方丈記』『資本主義の中心で、資本主義を変える』

終の棲家となる9平米の方丈を作ったのは60歳の時でした。最初の家の100分の1の大きさです。それでも春は藤の花、夏はホトトギスの声、秋はヒグラシ、冬は雪を楽しむことができる。念仏、読経が面倒で気が乗らないときは、もう思いっきり怠ける。1人で琵琶を弾いて歌う。窓の月を眺めて亡くなった友を思い、山中の風光を時々で味わう孤独でマイペースな生活なのですが、楽しみが尽きることはない。自分のような者でさえそうなのだから、感受性が強い人はもっと深く味わえるはずだ――。

この人は言ってみれば究極の「気のせい主義者」で、そこに大いに共感します。たまに都に出かけていくと、「ああ、自分落ちぶれたな」と思うけれど、それでも草庵に帰ってくるとほっとして落ち着く。むしろ世の中の人たちが、世俗の中を走り回っているのが気の毒になる。要は心の持ちようだということです。

方丈記は書き出しが有名ですが、エンディングも最高です。仏教は執着を持つなという教えだけれども、鴨長明はある意味でこの草庵の生活に執着しています。それは本人もよく分かっている。仏教修行のために出家して姿格好は聖人になってはきたが、心は濁っている。心に問いかけても答えはない――ぜひ読みやすい現代語訳で味わってみてはいかがでしょうか。

画像: 『資本主義の中心で、資本主義を変える』 清水大吾著 NewsPicksパブリッシング

『資本主義の中心で、資本主義を変える』 清水大吾著 NewsPicksパブリッシング

次は清水大吾さんの『資本主義の中心で、資本主義を変える』です。ゴールドマン・サックスは2023年に業績低迷で大量解雇を断行しています。著者の清水さんはその1人でした。彼は資本主義の中心のゴールドマン・サックスで成長至上主義と16年間戦った人であり、現在もみずほ証券で戦い続けている人です。清水さんも鴨長明と同様に明確な答えは持っていません。だから議論が深くなる。そこに本書の魅力があります。

成長至上主義が社会のサステナビリティにとって害悪であることは間違いない。資本主義はその点で非常に問題があるから代替するシステムを構築する必要がある、という意見があります。しかし「本当に資本主義は限界を迎えているのか」というのが著者の問いです。答えはノー。成長至上主義というのは資本主義の本質ではなく、運用が間違っているだけだ、というのが著者の立場です。ゴールドマン・サックスという資本主義のど真ん中で、それを訂正しようと考えた。

この本で僕が感心したのは、時間軸の取り方についての議論です。清水さんは、ビジネスの時間軸は、「今」と「経営者にとっての固有の時間」の2つしかないと言っています。前者の時間軸では、必ず手段が目的化する。経営者とは、今ではない固有の時間軸を決められる人なのです。生き残りと言いながら存続を目的としている経営者がいますが、これなどは手段の目的化です。自分の事業に固有の時間軸を持っていないと、本来の経営の原理原則からどんどん逸脱していきます。

画像2: 休暇の読書にお薦めしたい本―その3
『方丈記』『資本主義の中心で、資本主義を変える』

ゴールドマン・サックスの問題も結局は時間軸にあると考えられます。今より大きな仕事を作らないとクビになってしまうという、Up or Out(成長か退場か)という考え方。期間10年の金融商品を組成して販売する場合、10年分の収益を前倒しで計上する。これをUpfrontと言います。Upfront化したあとは収益が発生しないのでもう興味がなくなってしまう。Upfront化したあとのメンテナンスに時間を使う人は評価されません。だからゴールドマン・サックスの人々は次から次に商品を売って、ほったらかしにする。まさに今という時間軸が作り出す問題です。

多くの経営者は他人の資本を使って経営しているという意識が薄い、と著者は指摘しています。株式会社とは、本来は利益全部を株主に払い戻すという発想です。つまり、配当性向(※)100%がデフォルトのはず。特別な理由がないと本来は内部留保できない。お金を株主に払うより事業投資に回したほうが株主のためになると経営者が判断し、株主がそれを承認した場合のみ内部留保できるというのが筋です。清水さんは、配当性向ではなくて内部留保性向と言っていて、面白い見方です。
※ その期の純利益から配当をどれくらい支払っているのかをパーセンテージで表したもの。

これは株主の機嫌を伺うとか、唯々諾々と要求に従えということではありません。むしろ逆です。株主に対して正面から堂々と、自らの固有の時間軸で戦略ストーリーを語って納得させること。それが経営者の仕事であるということを、改めて浮き彫りにしてくれる本です。(第4回へつづく

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(撮影協力:軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店)

『楠木建のEFOビジネスレビュー』特設コーナーのお知らせ

取材にご協力いただいた軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店に、今回の記事でお薦めしている書籍や楠木教授の書籍を取り揃えた特設コーナーを設置していただきました。軽井沢にお出かけの際には、ぜひお立ち寄りください。
(コーナー設置期間:~2024年9月1日まで)

軽井沢コモングラウンズ

Karuizawa Commongrounds
〒389-0111
長野県北佐久郡軽井沢町長倉 鳥井原1690-1
お問い合わせ:0267-46-8590

画像3: 休暇の読書にお薦めしたい本―その3
『方丈記』『資本主義の中心で、資本主義を変える』

楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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