「第1回:冒険家。」はこちら>
「第2回:ジョブズとの共通点。」
「第3回:時空をひずませる力。」はこちら>
「第4回:前提を覆す。」はこちら>
※ 本記事は、2024年1月12日時点で書かれた内容となっています。
前回お話ししたように、イーロン・マスクは1980年代の不安定で暴力的な社会状況にあった南アフリカ共和国で育ちます。一緒に暮らしていたお父さんのエロール・マスクは、一言で言うと「ジキルとハイド」。あるときは優しく接する。かと思うと、1時間以上も虐待――精神的な拷問が続く。自分の息子のイーロン・マスクがいかに馬鹿で間抜けかという説教を何時間もする。非常に不安定な親でした。
イーロン・マスクの最初の妻、ジャスティンは本の中でこう語っています。「彼のような子ども時代を過ごしたら、感情をシャットダウンする術を身につけるしかない」。著者のウォルター・アイザックソンはこう書いています。「感情遮断弁があるからマスクは冷淡だと言われるのだろう」――気の毒な話です。
子どもの頃の壮絶な経験からして、「私は苦しみが原点なのです」とマスク本人は語ります。人生はそもそも痛みの連続だという前提が頭に埋め込まれている。大人になり事業家として大変な経験をしていっても、ちょっとやそっとでは痛みを感じない。だから、過剰とも言えるリスクに耐えられる。
例えばスペースX。マスクは七転八倒の末にロケットの打ち上げに漕ぎつけますが、初めは3回連続でロケットが爆発してしまい、同社は窮地に追い込まれます。テスラは2008年に倒産しかけました。満たされること自体が嫌なマスクにとってはむしろ、へっちゃら。それどころか、苦境をエンジョイしていた節すらある。
リスクに対する構えが普通の人とは全然違う。一方で、他者に対する共感がまったくない。ある意味、機械的な人です。何を言われても文字通りに受け取る。行間を一切読まない。ですから、工学とかプログラミング、人工物の開発といった、融通が利かないことが好き。
マスクは生まれつきの完璧主義者です。人生をコンピュータゲームのようなものと捉えている。勝つために必要な計画を緻密に策定し、複雑な資源配分を意思決定し、計画の実行に没頭する。とにかく大切なのは勝つこと。大きく勝てるに越したことはない。小さく勝ってもしょうがない。
仕事仲間の気分や、彼らにどう思われるかなんていうことはまったく気にしない。だれもが無理難題だと思った成果を上げることさえできればいい。マスクはこう言います。「チームメンバーに愛してもらうことなど仕事ではない、そんなの百害あって一利なしだ」――。
マスクは他人に対して攻撃的な人です。あれほど自分を虐待していた父親を嫌っていたにもかかわらず、父親とまったく同じような言葉を使って、人を攻撃している。機嫌がいいときと悪いときがはっきりしていて、悪いときには滅茶苦茶陰険になる。なんのことはない、父親そっくりの人になっている。
マスクはとにかく思考のスケールがでかい。スペースXを起業したきっかけは、NASAのWebサイトを見て火星探索計画がないと知ったことでした。だったら自分がやってやろう、と。火星に入植する――これ以上に壮大なミッションはそうそうありません。まさにフロンティアの開拓です。この人は、火星に行くと想像しただけでも元気になる。あらゆることを「火星に行く」というレンズを通して考えるようになります。
今でもエンジンやロケットといった技術的な要素がスペースXの中心的課題ですが、マスクは同社の内部で「火星開拓検討会」を毎週開いているそうです。そのくらい、フロンティアを追求することが喜びになっています。
マスクは、「本当に画期的な出来事など、これまでほんのいくつかしかない」と言っています。単細胞生物の誕生、多細胞生物の誕生、動物と植物の分岐、海から地上への進出、哺乳類の誕生、意識の誕生――このくらいだと。これらに匹敵する画期的な出来事を自分がつくる。それは、複数惑星に命を広げる――つまり、人間の生活の範囲を広げること。それが自分のミッションだと。
とんでもなくスケールの大きな発想です。しかもそれを、天から自分に託されたものだと信じ込める。マスクが頭の中に描くビジョンを、たとえ一時的ではあっても、周りの人に「実現できる」と思わせることができる。この能力においてはマスクは抜群です。
イーロン・マスクにとって人間というものはマクロレベルの存在でしかない。つまり、人類のことは考えるけれども、自分の周囲にいる人のことは全然考えない。
マスクの前にテスラのCEOをしていたマイケル・マークスはマスクを「くそ野郎(日本語版『イーロン・マスク』原文ママ)」と評しています。――スティーブ・ジョブズも同じタイプだった。しかし2人ともすごい成果を上げている。もし、これほどの業績に対して払わなければいけない対価が、くそ野郎でなければ達成できないのであれば、それだけの価値はあると言える。ただ、自分自身がそうなりたいとはまったく思わない――。まったく同感です。(第3回へつづく)
楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
楠木特任教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
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「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
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私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
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さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
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