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映画評2作目は、ある男性の生き方にフォーカスした海外のドキュメンタリー作品。「見ると逆説的に元気が出る」と楠木特任教授が評する、その映画の魅力とは。

※ 本記事は、2023年10月4日時点で書かれた内容となっています。

「第1回:映画『ヒトラーのための虐殺会議』――所与のWhat、Whyの恐ろしさ。」はこちら>
「第2回:映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』 ――自己選択と人生。」
「第3回:北欧映画『ギルティ』『ヘッドハンター』――引き算の成熟。」はこちら>
「第4回:映画『ギャング・イン・ニューヨーク』――義理と人情、親と子。」はこちら>

今回紹介する作品は、ドキュメンタリー映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』(原題:Homme Less/2014年/オーストリア、アメリカ)です。Amazonプライムのおすすめに出てきたので何の気なしに見ました。僕の期待を大きく超えた、面白くて味わい深い作品でした。

この映画が追っている人物はマーク・レイさんという男性です。当時52歳。ニューヨークに住んでいて、職業はファッションフォトグラファー兼俳優、兼モデル。身長188センチで、すごくハンサムな人です。俳優やモデルの仕事をやるときはスーツをパリッと着こなします。ただ、この人が着替えをする場所は自宅ではなく、ジムのロッカールームなんです。なぜなら、ホームレスだから。仕事が終わると、マンハッタンのビルの屋上にあるビニールシートで囲った“巣”に戻って寝る――こういう生活を何年も続けている。

寒い日でもビルの屋上のビニールシートの下で、服を何枚も重ね着して寝る。ファッションフォトグラファーの仕事に欠かせないカメラやノートパソコンなどの機材は全部、ジムのロッカールームに置いてある。洗濯はジムの洗面台で、自分の手でやる。公園のトイレでひげを剃って、映画のオーディションに出かける。

なぜホームレスなのか。まともな仕事がほとんどないからです。たまにファッション誌に自分が撮った写真が採用されたり、映画のエキストラの仕事が入ったりという程度です。ニューヨークの俳優業やモデル業は競争がめちゃめちゃ厳しい。ものすごい供給過剰で需要が少ない世界です。競争の中で仕事にありつけずに、夢を追っている。なかなかうまくいかない――そんな人が山ほどいる。マーク・レイさんもその1人で、52歳になるまで全然モノになっていない。にもかかわらず、ホームレスになってまで夢を追い続けている。もはやそれを1つのライフスタイルとして確立しているわけです。

要するに、この人には肝心の才能がない。本人もそんなことは嫌と言うほどわかっています。

俳優やフォトグラファーを志して、駆け出しの下積み生活を経験する――そういう人はいっぱいいます。ですが、ほとんどの人は50代になるずっと前に見切りをつけてほかの仕事に就き、地元で世の中と折り合いをつけて生活をしていく。ところがマーク・レイさんは、ずっとマンハッタンにとどまって、負け犬生活を自分で選んで続けている。完全に自覚的な行為なんです。ここに独自性がある。

公開当時、この映画がちょっと話題になったのでマーク・レイさんも世間から注目されます。だからといって、本人の身に大きな変化は起きなかったそうです。彼は映画の中でこんなことを言っています。――前向きとは違う。人生の負けを認めているからこそ生きていけるんだ。だれかを愛するとか、子どもを持って家族を築くということもない。でもこれが自分で選んできたことの結果なんだ。これからもこの生活を続けて、負け続けの人生を全うするんだ――。

諦めとも違う。悟っているわけでもない。自分を哀れんでいるわけでもない。成果とか達成は二の次。ニューヨークのきらびやかなファッションとか映画の世界に身を置いている、その生活のプロセスやスタイルそのものが好きで、そこにマーク・レイさんは充実を感じている。内発的な動機で自らの人生を選択している。だからこそこの映画には、見る人の心をつかむ力がある。実際はつらいことも多いのでしょうけれども、これはこれで幸せな人生なんじゃないかなと思わされる映画です。自己選択の大切さを改めて考えさせられます。

何より、マーク・レイさんがすごくイイ顔をしているんです。写真で見てもすごくハンサムなんですが、映画の中で時々、なんとも言えないチャーミングな表情を見せる。しかも、当然ですがものすごい哀愁がある。彼が選んだ五十数年の人生が顔に刻まれている。で、服の着こなしが実にカッコいい。

人生、うまくいくことばかりではない――僕と同世代の初老世代にぜひご覧いただきたい映画です。逆説的に元気が出ます。(第3回へつづく

第3回:北欧映画『ギルティ』『ヘッドハンター』――引き算の成熟。」はこちら>

画像: 映画評―その2
映画『ホームレス ニューヨークと寝た男』 ――自己選択と人生。

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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ご参加をお待ちしております。

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