「第1回:着陸する先は『高原社会』」
「第2回:重要なのはフローよりもストック」はこちら>
「第3回:高原社会のビジネスはウィリアム・モリスに学べ」はこちら>
「第4回:ビジネスの軸足をどこに置くのか」はこちら>
「第5回:パーパスに必要なクリティシズム」はこちら>
成長率に対する誤解
山口
楠木先生、お越しいただきありがとうございます。本日は、僭越ながら拙著『ビジネスの未来』をテーマにお話を伺います。
この本を出したのは2020年の末で、執筆のきっかけはその年の春のロックダウンでした。ほとんどの仕事がいったんキャンセルになって時間ができたものですから、前々から気になっていたことを調べ直してまとめてみようと思いまして。
特に知りたかったのは経済成長についてです。当時は新型コロナの影響もあって世界経済の行方が不安視されていましたが、普段でも経済成長については常に問われ続けています。去年どうだった、今年どうなる、来年どうなる、という議論がずっと続いていますよね。でもそれって、足元だけ見ながら全力疾走をしろと言われているようなもので、何となく気持ち悪さを感じていました。
楠木
近いところしか見ていない。ま、人間社会というのはいつもそういうものなのですが。
山口
そうなんです。だからロングタームで見たときの経済成長率はどうなのか、先進7か国のここ半世紀の経済成長率を調べようとしたら、驚くべきことにどこにもないんです、そういうデータが。
仕方ないので、世界銀行が公表している国別の実質GDPのデータを使って、先進7か国のGDP成長率について、1960年代から10年ごとの平均値を出してみました。すると、1960年代の5.5%をピークに下降を続け、2010年代の成長率は1%ちょっとしかないことが分かったんです。アメリカと比べて日本はダメだとか、日本だけ経済成長していないということが国内ではよく言われますが、実は先進諸国と比べても成長率に大きな差はない。そのことが明確になって私自身も納得しました。これはちょうど飛行機が着陸に向けて下降しているようなものだと。着陸する先は、経済停滞の暗い谷間ではなく、文明化を終えて物質的不足の解消を実現した「高原社会」なんだというイメージが湧いてきまして、そこから徒然なるままに書いたのがこの本です。
楠木
僕も出てすぐに読みましたよ。本を読むときは基本的に、おもしろいと思った箇所とそれに対する自分のコメントをメモしながら読むので、『ビジネスの未来』のメモも今日は持ってきました。
山口
ああ、ありがとうございます。実は、あの本を書いてから自分の中でうまく整理がついてないことがあって、それについて先生に伺いたいと思っていました。私はスタートアップを含めていろいろな企業のお手伝いをしていまして、当然ながらその個別の企業に関しては成長を喜ばしいことだと捉えています。ですからミクロの単位で見ると、成長をめざしたいと思う自分がある。一方、マクロで見ると、成長を目的としてアクセルを全開にすることは不毛だし、高原社会ではそもそも無理だろうと思う。これは矛盾しているのではないかと。
楠木先生は経営戦略の専門家でいらっしゃいますが、戦略の評価は売上や利益が増えたかどうかで決まるわけですから、「成長を善」とすることが前提なのですよね。
成長は結果である
楠木
まず、周さんがおっしゃるミクロとマクロは、個々の企業や個人などの経済主体がミクロ、それを地域や国などの単位で集計したものをマクロなのだとすると、両者の違いは「意思」を持つかどうかにあります。成長したい、成長して嬉しいというような、実際に行動を伴う意思を形成するのは基本的にミクロの経済主体にしかない。マクロはそれらを合算したものなので、そこに意思、意図はありません。意思がないものに対して「日本はもっと頑張れ」などと言っても仕方がないわけです。為政者が、合算の結果である国全体の経済成長を目的に据えても、実際に経済活動を行うのは企業や個人の経済主体ですからね。
そのミクロのレベルでも、成長そのものは直接の目的にはなりえないと思います。競争戦略の観点でめざすものは長期利益、より厳密にいえば持続的に資本コストを上回る利益の創出です。競争の中で企業が独自の価値をつくり、それをお客様に提供して利益が生まれ、その利益を再投資して独自の価値に磨きをかけ、さらなる利益が生まれるということですね。事業が顧客に対して価値を提供していれば、こうした循環によって結果的に「成長してしまう」。
当たり前ですけれど、経済成長は人口増のような外生的要因の影響を受けやすい。高度成長期は環境が強い追い風になっていたために、真面目に商売しているだけで成長しました。ただ、高度成長期は人間で言えば青春期みたいなもので、言ってみれば異常な状態なんです。むしろ今が定常状態です。
フィリピンのSMインベストメンツという会社は、1958年に靴の小売業から出発して、現在ではショッピングモール運営や不動産開発なども手がけるフィリピン最大級の企業となっています。経営リーダーは女性で、リテールの原理原則を突き詰めた優れた経営をしている。成長性の点で優れた企業ですが、その中身はマクロにみて社会自体が成長期にあるということと、ミクロで見たときの経営や戦略が優れていることの2つに分けられます。後者はもちろん大切なのですが、現時点では前者の要因も大きい。
ミクロの経済主体が成長を意図するのはいいことですが、成長を一義的な目的に据える必要は必ずしもない。要するに何を比較対象として「成長している」とか「成長していない」と言っているのかということです。高度成長の幻想がいまだにあるようですが、特殊な状態と比べてもしようがない。これはどこの国にも言えることです。アメリカは日本よりも経済成長が旺盛な国ですが、それでも黄金の50年代と比べて「停滞している」と嘆く人はアメリカに多いですから。
山口
トマ・ピケティも『21世紀の資本』で言っていますね、長期にわたって成長率が年率1.5%を上回った国はなく、年3~4%成長すべきだというのは幻想だと。ただそうした環境下で、少しずつでも結果的に成長してしまうというミクロのあるべき姿を考えることが大切なのですね。(第2回へつづく)
楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。
著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。
山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。