一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
今回は都会の喧騒から離れ、日本を代表する歴史ある避暑地、長野県軽井沢町にて取材。築100年の古民家を改装した情趣あふれる書店「やなぎ書房」にて、忙しい現代人が読書をすべき理由についてまずは語っていただいた。

※本記事は、2022年6月12日時点で書かれた内容となっています。

今回は「休暇に読書を」がテーマです。普段よりも多くの時間がとれる夏休みは、格好の読書シーズンです。読書についての僕なりの考えをお話ししていきます。

最近、若い人の間でコスパならぬ「タイパ」という言葉が流行っているそうです。タイムパフォーマンス、略してタイパ。動画配信サービスの映画や録画しておいたドラマなどを、倍速で観る。鑑賞に取られる時間が短く済むのでタイパがいい、というわけです。今の若い人にとっては、自然な行為らしい。

まれにですが、僕も動画を倍速で再生することはあります。と言っても、仕事の関係でザーッとひととおりチェックし、とりあえず流れをつかむといった必要があるときに限られます。自分が楽しみたいはずのコンテンツを、タイパを良くするために倍速で再生する――そういう人はよっぽど欲がないんだろうと思います。タイパとは、分母がタイムで分子がパフォーマンスです。分母を小さくしたら、分子はより小さくなる。それってむしろ、タイパを害しているんじゃないか。

画像1: 休暇に読書を―その1
「タイパ」と読書。

ここで言うパフォーマンスとは、作品をどれだけ深く味わうことができるかを意味します。僕は子どもの頃、黒澤明監督の『天国と地獄』を観て「こんなに面白い話があるのか!」と感動しました。充分に長尺の映画ですけれど、「ああ、もう終わっちゃうのか……」とエンディングを迎えるのがすごく悲しかった。この映画を当時の僕がもし倍速で観ていたら、異様に低いタイパしか得られなかったのは間違いありません。

信じられないことですが、動画コンテンツだけではなく音楽にもタイパを高める再生の仕方があるそうです。それは、サビしか聴かない。ギターソロは飛ばす。レコードやカセットテープと違って、デジタル音源ならクリックすれば聴きたい箇所にすぐ飛べるので、確かにそういう聴き方はできるわけです。

タイパを高めると、時間あたりの「できること」の数が増えます。同じ時間のなかで、観たり聴いたりするコンテンツの数を増やしたいという動機が根底にあるのかもしれません。つまり、質よりも量を優先する。友達との会話についていくためにドラマの展開だけざっくり知っておきたいなど、その理由には諸説あるのですが、おそらく一番大きな理由として、そもそもコンテンツを味わおうと思っていないのではないでしょうか。話の筋だけわかればいい。だったら最初から観なければいいという話なんですが。

画像2: 休暇に読書を―その1
「タイパ」と読書。

で、読書はどうか。タイパの高い読書をするために、フォトリーディング(※)に代表される速読術を駆使する人がいます。これが僕には理解できない。何のための読書なのか不思議で仕方ありません。新聞や雑誌に書かれた情報をひととおり押さえるための流し読みならともかく、作品を味わおう、何か学びを得ようという読書に、フォトリーディングは向いていない。本の内容を要約した動画やまとめサイトなども増えていますが、そういったコンテンツは自分にとってどうでもいいジャンルの情報収集にのみ利用すべきです。何でもかんでもいきなりまとめサイトに飛びついてしまう人は、いつまで経っても知的には鍛錬されない。

※ 脳が持つ活字情報の処理能力を活かし、写真を撮るように本の情報を脳に取り込む速読術。

ほかのメディアに比べて読書が特に優れているのは、本の内容を味わうとか本を読んで考えるといった行為を自分の速度でできる点です。動画や音楽の場合、メディア側が時間の流れを支配しています。バッハの曲を聴いているときに、「ちょっとそこ速めによろしく」と言ってもグールド(※)は聞いてくれない。その点、読書なら楽しむスピードを自分でコントロールできます。

※ グレン・ハーバート・グールド(1932年~1982年)。カナダのピアニスト。

画像3: 休暇に読書を―その1
「タイパ」と読書。

僕に言わせれば、タイパを重視する人たちこそ読書をすべきです。「分母=タイムを小さくする」という意味でも、読書は最強です。目や耳から受動的に入ってきた情報の処理よりも、能動的に目で読んで脳で考える情報処理のほうが圧倒的に速い。本当にタイパを良くしたいのなら、音声を聴いたり動画を観たりするよりも、読んだほうが断然イイ。

僕の著作に『ストーリーとしての競争戦略』という本があります。約500ページある本なんですが、音声で読み上げるオーディオブックとしても発売されていまして、そちらをご購入いただいている方も多いようです。その再生時間が、全部で21時間36分。毎日1時間ずつ読んでも3週間以上かかります。もっとタイパを良くしようと倍速で再生すると、だいたい11時間。読んだほうが速い(笑)。

タイパを気にする方こそ、オーディオブックの倍速再生ではなく本を読むべきです。

(撮影協力:旧軽井沢 やなぎ書房)

第2回は、8月8日公開予定です。

画像4: 休暇に読書を―その1
「タイパ」と読書。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

やなぎ書房(長野県軽井沢町)

画像5: 休暇に読書を―その1
「タイパ」と読書。

今回撮影にご協力いただいたのは、旧軽井沢の「やなぎ書房」。築100年の古民家を改装して2021年8月にオープンしたセレクトブックショップだ。店主は創薬ベンチャーの起業家で楠木氏とは一橋大学の同僚でもあった所源亮(ところげんすけ)氏。「知的欲求をくすぐる本」というコンセプトで、岩波文庫、中公新書、講談社ブルーバック各全冊のほか、文明論から宗教論、科学全般まで古典として長く読み継がれてきた本を多く取り揃えている。一般の書店とは異なり、書籍はすべて出版社からの買い取りという点も特徴の1つだ。「避暑に訪れた人たちが、軽井沢のゆったりとした時間のなかで読書に浸れる空間を提供したい」という所氏の思いから、店内の本は1階の大テーブルや2階の和室などの読書コーナーで自由に読むことができる。宇宙科学をはじめ各界の第一人者が語る「夜話(よばなし)」を昨年は数回開催し、今年はインド仏教や仏教建築などの専門家によるトークを計画している。11月まで営業の予定。軽井沢にお越しの際は、路地裏にさり気なく佇むやなぎ書房をお探しになってみてはいかがだろうか。

画像6: 休暇に読書を―その1
「タイパ」と読書。

やなぎ書房
〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢 859-1
電話番号 090-9548-8090 (平日13:00~17:00)

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

[特集]ポストコロナの社会とビジネス

破壊の先にある創造へ――。「グレート・リセット」後に求められる社会とビジネスのあり方を、各界の有識者の言葉から探ります。
※グレート・リセット:2021年夏に開催される予定の次回世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議におけるテーマ

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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