「第1回:プロジェクトファイナンスと資本主義。」はこちら>
「第2回:イタリアに見る、資本主義の成熟。」
「第3回:資本主義と社会主義は真逆なのか。」はこちら>
「第4回:Q&Aライブ」はこちら>
お金は手段。目的ではない
楠木
最近、デイヴィッド・グッドハートさんという方が書かれた『頭 手 心』(原題『Head Hand Heart』)という本を読みました。それによると、仕事は3つに分類される。頭を使う仕事、手を使う仕事、心を使う、つまり人の世話をする仕事。どうもこの数十年、頭、つまり認知的な能力を使って仕事をしている人があまりにも大きい顔をしているのではないか。これからは手を使う仕事、人の世話をする仕事に世の中が回帰していく――そんな未来を暗示しているんです。
人間の認知能力は、ほかの能力と比べて計測が容易です。例えば「GMAT(ジーマット※)何点」みたいに計測できる。それに対して、例えば「人あしらいが上手い」といった「心」に関する能力は、客観的な指標で評価するのがなかなか難しい。
※ Graduate Management Admission Test:ビジネススクールへの入学希望者を対象に行われる入学適性テスト。
もちろん、認知能力を基準に人を選抜するシステムは必要です。例えば原子力発電システムの設計をする技術者を選抜するときに、その分野における認知能力が高いか、物理学の博士号を持っているかといった物差しは欠かせない。ただ、なんでもかんでも認知能力至上主義になってしまうのはよくない。
認知能力が求められる仕事のほうがやりがいがあるし偉い、手や心を使う仕事をしている人は落ちこぼれだ――なんて価値観に読み替えられてしまうと問題だというのがグッドハートさんの主張です。
これを資本主義に当てはめると、市場メカニズムというものは非常に便利だけれども、市場至上主義になってしまうとよろしくない。お金はあくまでも手段です。人間だれしも幸せになりたいし、おいしいものを食べたいし、快適な思いをしたい。お金は、それらを実現するための手段に過ぎない。
アダム・スミスは、市場メカニズムについて検討した『国富論』を書く前に、『道徳感情論』を書いています。この2冊を併せて読むと、彼が言う市場メカニズムとは、ある道徳感情を共有するコミュニティの範囲でしか効果的に機能しないものだという理解に至ります。
共通の価値基準が人々の間にないと、お金の多い少ないがわかりやすいので、お金が手段ではなく目的化してしまう。アメリカが世界の資本主義の潮流と逆行して貧富の格差が拡大しているのは、そのせいでもあると思うんです。
社会ストックの厚みと、お金の価値の関係
山口
転じてヨーロッパに目を移すと、イタリア人やフィンランド人の友人はやはりライフクオリティが高い。その社会において「お金」にどれくらい価値を感じるかは、その社会が持っている社会資本の大きさと関係していると思うんです。
例えばパリって、普通に歩いているだけでもテンションが上がるじゃないですか。あんなに素晴らしい街並を、お金を払わずに楽しめる。歴史をひもとくと、主にブルボン朝の時代から聖職者や貴族が資本を投下して街を造ってきた。いわば社会ストックなので、現代の人々は未来永劫享受できるわけです。ロンドンの大英博物館もそうで、さまざまな社会インフラが基本的に無料で楽しめます。僕が『ビジネスの未来』に書いたイタリアのシエナ大聖堂の話も同じで、素晴らしい建築が未来永劫にわたって来訪者に喜びを与えてくれる。二酸化炭素を排出せずに、です。
つまり、今生きている人たちが「『素敵だな、心地よいな』と思える空間にいたい」と思ったとき、その個人がどれぐらいお金を出さなければいけないかという問題です。先人たちが造ってきてくれた社会資本が厚い社会では、個人が負担する金額が小さいにもかかわらず、素敵なもの、心地よいものにアクセスできる。
僕がイタリアで知り合ったある友人は、2年間も失業中にもかかわらず、マンションの屋上で昼からビールを飲みながらのんびり日焼けする生活を送っていました。それでいて、別荘を持っている。最高じゃないですか。
要するに、ストックの厚みが日本とは全然違う。日本はとにかくフロー型の社会です。新しいものに一番価値がある。古いものはどんどん価値が減っていくので、どんどんスクラップしていく。
おそらくイタリアでは、お金が持つ価値が日本に比べてすごく低い。先ほどの話の友人は、失業していても別荘を持てるだけでなく、いくらでもおいしい料理を食べられて、風光明媚なところで暮らせて、しかも住居費もそんなに高くない。そこが日本ともアメリカとも違うのです。
楠木建氏がミラノで目撃した、日本人の成熟
楠木
引っくるめて言うと「成熟」ですよね。ヨーロッパを見てわかるのは、成熟するには必ず時間がかかる。ただ、日本もこの30~40年でそれなりに成熟してきたと思います。
僕は1990年代の半ばにイタリアの大学で仕事をしていました。当時はまだリラが通貨で、しかも安かった。ミラノの高級ブランド街には、今で言う“爆買い”をする日本人客が大勢押し寄せていました。そのなかでもモンテナポレオーネという一番上等な通りがあって、その入り口にフェラガモがあったのですが、いつも日本人観光客が並んでいました。
その買い物ぶりも、商品を引っかき回すというか、やっぱりヨーロッパの人たちと比べると品がない。僕は、同じ日本人としてその光景を苦々しく見ていました。するとイタリア人の同僚が、「気にするな」と。「あれは順繰りだ。ちょっと前まではアメリカの観光客が同じことをしていた。そのあとは中東の人たちが並んでいた。今は日本人が並んでいるけど、そのうち必ず洗練される。次は韓国、その次は中国の観光客が押し寄せるだろう。そういう風に順繰りに来てくれないと、こっちとしても商売にならない。気にすることじゃない」と。30年も前にそう言っていたんです。
コロナ禍の少し前、ミラノに行った折りにひさしぶりにその通りを覗いてみたら、案の定、中国の方々がわーわーやっていました。じゃあ日本人の観光客はというと、ユニクロを着てゆったりと裏通りを散歩している。
山口
成熟してきた。
楠木
そうなんです。時間をかけて、日本も少しずつ成熟しつつある。
山口
冒頭にもお話ししたように、「いい感じ」になってきていると。
楠木
そう考えると、お金を手段ではなく目的とする人はこれから先どんどん減ってくると思います。月給20万円では苦しいかもしれない。ところが、十分に生活していけるだけの給料をもらって今の仕事に満足しているという人に、「この仕事に替わったら倍の月給出しますよ」と言っても、断る人は結構多いんじゃないかと思います。
山口
こんな話があります。若いのにのんびり釣りして暮らしている人に対して、大成功した大富豪がこう言った。「君、そんなことやってないで仕事やったらどうだ。金融の仕事はいいぞ」「何がいいんですか?」「すごく儲かるぞ」「儲かると何がいいんですか?」「そりゃもう、人からわーわー言われて早めにリタイアできるぞ」「リタイアして何やるんですか?」「釣りだよ」「もうやってますけど」という。
楠木
しかも、何に幸福を感じるかは人によって全然違う。例えば今、僕はトヨタ・ヤリスという車に乗っています。コンパクトカーで、何の不満もなくすごく気に入っている。もしも「ランボルギーニと交換しないか」と言われたとしたら、僕は即座に断りますね。
山口
(笑)。
楠木
ただ、交換したあとすぐ売ってもいいのなら、やぶさかではない(笑)。ここがやっぱり、手段としてのお金の強いところなのかなと。
山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。