「第1回:覆水盆に返らず。」はこちら>
「第2回:気づかなかった大失敗。」はこちら>
「第3回:待つ力。」はこちら>
「第4回:回復力は脱力力(だつりょくりょく)。」
※本記事は、2021年10月4日時点で書かれた内容となっています。
大失敗の経験をしてから、俄然興味が湧いてきたので「回復力」についての本をいろいろと読んでみました。残念ながら「レジリエンス」という言葉で回復力を説明している最近の本の中では、グッとくるものはありませんでした。
もっと骨太な話を読みたいと思っていたときに、新渡戸稲造の『逆境を越えてゆく者へ』という本に出会いました。これは新渡戸先生の発言を編集した本です。「自分はこんなに努力しているのに、社会はなぜ自分を虐待するのか、なぜ自分を受け入れないのか、という言葉はよく耳にする。だが社会は決して虐待しない。自分が虐待されるに値する人間なのである」――新渡戸稲造の言葉は厳しく聞こえますが、全体を通して読み取れるのは「すべては気のせい」という大らかなメッセージです。
逆境と思うから逆境であり、意識の持ち方でいくらでもそれは善用できる。自分が順境(逆境の反対)にあるというのもまた気のせいで、つい油断しただけですぐに状況は逆境に転じる。だから順境も逆境もない。逆境だと思ったときには、爪先立ちして前を見ろ。一歩退いて、この先どうなるのかを考えれば、実は光も希望もある。人生は長い。新渡戸先生は「まあ、10年待て」と言います。さすがにスケールが大きい。その点、10日ぐらいで立ち直った僕の大失敗なんて、失敗のうちに入りません。
新渡戸稲造は意識主義の人です。自分がどうしても流されそうになったら、自分が日頃戒めているのはここだなと思う。「ここだな」と意識することで、自分の志は継続され、いつしか自分のものになるというのです。「ここだな」はとても実用的な考え方だと思います。
僕自身も日常的なちょっとした判断や行動をするときに、自分の原理原則に「ここだな」と意識的に目を向けるようにしています。日常生活の中で「ここだな」ということを続けているうちに、原理原則が自分の体に染み渡っていく。これが僕の新渡戸先生の本から学んだ最大の教訓です。
回復力というのは自然に備わっているものです。筋力のようにトレーニングをして強化できるものではありません。回復力はもともと持っているものを引き出すということなので、「回復力をつけよう」とか「強い人間になろう」と思うとますます回復できない。むしろ、より悪化させる状態になってしまう。回復力を引き出すカギは、脱力です。回復力とは脱力力(だつりょくりょく)なんです。
チャップリンが、「人生はクローズアップでは悲劇だが、ロングショットでは喜劇である」と言っていますが、やはりちょっと引いて自分を客観視することが肝だと思います。僕がよくやるのは、時空間を飛ばすという方法です。
『全裸監督』で再び注目を集めた村西とおる氏の名言に「死にたくなったら下を見ろ。俺がいる」があります。まったくその通りでありまして、村西監督の著作は失敗したときに読むのに最適です。もちろん村西監督のさらに下に、もっと苦境に生きている人がいます。「これはつらいなあ」というとき、「でも、今、シリアの人たちはどうしているのかな」とか、「アフガニスタンの人は、今日何をやっているんだろう」と考えると、自分の状況がひどくラクなものに思えます。あるいは時間を飛ばして、「これが戦国時代だったらどうなっただろう」と考えると、僕も家族も切腹するまでには至っていないわけで、大体のことは平気になる。新渡戸先生の言う気分の問題にだんだん近づいてくるのです。
あとは、自分の本能に逆らわないこと。僕は大学院生のときに、とにかく研究や勉強が一切嫌になったことがあります。もともと研究に対する志も低い上に、ひたすら勉強しているだけで「仕事」になっていないので、やる気がなくなると歯止めがかからない。
そのとき僕は、なぜかスキでもないパチンコに行っていました。パチンコをしていると、その間は何も考えないで済みます。これはイイということで、朝10時の開店と同時にパチンコ店に行って、閉店までの12時間パチンコ台に向かいました。帰りはもう廃人同様です。それでもまた翌日、バイクに乗って開店と同時にパチンコ台に向かう。これを毎日繰り返した。3週間で飽きました。すぐに「よし、また勉強するぞ」とはなりませんでしたが、気がつくと元に戻っていきました。
人間壁にぶつかったときには、とにかく徹底的に堕ちる。いくところまでいく。「廃人上等!」というところまで一度いってみると、自然とまた戻ってくる。息をすっかり吐かないと、大きく息は吸えないということなのかもしれません。
ビジネスや経営において、成功は間違いなく自信になります。ただし、つけ上がるとか油断につながることも多い。成功は裏切ることがしばしばです。しかし、失敗は裏切りません。失敗からの回復という経験は、一生役に立つはずです。
楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木教授からのお知らせ
思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける
「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。
お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/
ご参加をお待ちしております。
シリーズ紹介
楠木建の「EFOビジネスレビュー」
一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
Key Leader's Voice
各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。
経営戦略としての「働き方改革」
今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
ニューリーダーが開拓する新しい未来
新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。
日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性
日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。
ベンチマーク・ニッポン
日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。
デジタル時代のマーケティング戦略
マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。
私の仕事術
私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。
EFO Salon
さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。
禅のこころ
全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋
明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~
新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。