「第1回:ネットワーク解析を戦略へ」はこちら>
「第2回:トラストの肝はローカルコモンズにあり」はこちら>
「第3回:説明とプライバシー・ガバナンス体制の構築を」
「第4回:既存のやり方を壊すことから」はこちら>
「第5回:社会実装のために必要なこと」はこちら>
データ利活用によって生じるメリットを示せ
八尋
前回、トラストに関しては、地域やコミュニティベースの方が機能しやすいというお話がありました。データ利活用に関して、日本的な協調によって突破口となる領域はありますでしょうか?
坂田
日本には競合企業同士が集う業界団体などの既存のコミュニティが多数あります。そうしたすでに信頼関係が結ばれている場でデータ連携をしていくアプローチであれば、皆で納得感を持って進められるのではないでしょうか。
一方、情報銀行、つまり、同意のもとにパーソナルデータ(個人に関するさまざまなデータ)を集めて管理し、そのデータを活用した企業が個人に便益を与えるような取り組みがなかなか広がらないのは、「第1回」でお話しした「社会的・文化的な文脈」の考察が足りていないからだと思っています。皆をその気にさせるためにはどういう条件が揃えばいいのか、政府も情報銀行の役割を担う企業の側もさらに考えなければなりません。つまり、自分の情報を提供したことによってどういうメリットが得られるのか、本人が共感できるように伝える必要があります。自己にとっての便益はもちろん、「あなたの情報によって新薬の開発が進みます」とか「こういう方たちが救われます」といった利他的な内容も含めて、強力なメッセージを届ける必要があるでしょう。
企業間のデータ連携であれば、データを統合したことによって新しく生まれる社会的価値や知見を明確にすべきです。自分の情報を出すことには皆、基本的に消極的ですから、生まれる価値が明確でないと意思決定はできませんよね。「こんなことができるから、皆さん、情報を出しませんか」と呼びかけるような仕掛けが必要でしょう。
データ連携のユースケースを増やせ
八尋
私がアドバイザーを務めた中部電力は、電力のコモディティー化の流れにおいて、既存の電力ネットワークと顧客の接点を活かし、ヘルスケアなどの生活サービス事業への取り組みを始めています。そのなかで、「情報銀行P認定」(※)を取得することで、トラストの拠り所としています。その背景には、中部電力の社長・会長を務め、現在、同社相談役及び中部経済連合会会長を務めている水野明久さんのリーダーシップがありました。水野さんは世界銀行に出向していたこともあり、国際動向に詳しく、また組織の枠を取り払って改革を進めていく力のある方です。今やこの部隊は転職組も増え、活気のある組織となっています。こうしたユースケースがいくつか出てくると、意識も変わっていくのではないかと思います。
坂田
データ連携に関しては、大学を活用する手もあります。大学はアジールと言われることがあるとおり、いわば自由地帯であり、駆け込み寺的な存在になり得ます。大学の研究グループに情報を預けていただければ、データを統合し、知見を導き出すこともできる。データを持ち寄ることで新しい知見が得られることがわかれば、いずれ大学を経なくても、お互いに協力し合ってやろうという気運が生まれるのではないでしょうか。
八尋
震災復興や防災などについては、すでに企業間のデータ連携が始まっています。まだ少ないけれど、こうした動きをビジネスに展開していくことができれば、大きく成長していくかもしれませんね。
※ 総務省・経済産業省の検討を踏まえ、一般社団法人日本IT団体連盟が策定した、国際水準のプライバシー保護対策や情報セキュリティ対策などの認定基準に適合しているサービスであることを示す。
プライバシー・ガバナンス体制の構築が急務
坂田
一方で、データ利活用の前提として、プライバシー・ガバナンス体制の構築が不可欠だと思っています。この点は、政府の役割が大きい。社会システムの設計を丁寧に行う必要があります。これまでパーソナルデータの活用で問題となった事例を見ると、個人情報保護法は遵守していても、社会が受容しなかったケースが多く見られます。ルールに従ったとしてもリスクがあるということです。これに対して各企業が個別に社会と対話し合意形成していくのは難しいでしょう。したがって、こういう条件なら社会が受容するであろう、というわかりやすい基準を社会全体で模索する必要がある。そこは政府がもう少し踏み込んで、社会との丁寧な対話を通じて、分野や業界ごとのガイドラインなどでできるだけ具体的に示し、さらに高度化していくことだと思います。
八尋
「社会との対話」というのが、非常に大事ですね。コロナ禍での施策の多くで必ずしも社会の合意を得られなかったのは、まさに対話不足だと感じています。その点、欧州は対話がうまい。「EUタクソノミー」がいい例で、気候変動の緩和(脱炭素化)と適応に焦点を当てて、SDGsなどを達成するためのサステナブル金融などの手段について議論を重ねてきました。議論を通じて、規制というよりも、戦略として脱炭素を企業が主体的に進めていく態度が醸成されてきたように感じます。
坂田
EUの場合、そもそも国ごとの多様性があり、そのなかでつねに合意形成をしてこなければならなかった歴史があり、課題解決に戦略的に取り組むなかでトレーニングされてきたと言えます。それに比べると、日本はもともと合意形成がしやすい環境にあって、対話の訓練ができていないんですね。
その典型がマイナンバーカードでしょう。単に仕組みを用意するだけでなく、情報活用によるメリットや利便性も同時に示さなければ、なかなか社会から受容されません。柱となる施策だけに、導入に際しては国が中心となって、どうしたら合意形成に至るのか、課題を一つひとつ解決していくほかないと思っています。(第4回へつづく)
(取材・文=田井中麻都佳/写真=佐藤祐介)
坂田一郎
東京大学 総長特別参与/工学系研究科教授(技術経営戦略学専攻)/未来社会協創推進本部ビジョン形成分科会長/未来ビジョン研究センター副センター長。
1989年東京大学経済学部卒。1989年通商産業省(現・経済産業省)入省。主に経済成長戦略、大学技術移転促進法(TLO法)、地域クラスター政策等の産業技術政策の企画立案に携わる。この間、ブランダイス大学より国際経済・金融学修士号、東京大学より博士(工学)取得。
2008年より東京大学教授。その後、2013年より同工学系研究科教授(技術経営)。同総長特任補佐、同政策ビジョン研究センター長、同副学長・経営企画室長などを歴任。
専門は、大規模データを用いた意思決定支援、知識の構造化、計算社会科学、地域クラスター論など。「テクノロジー・インフォマティックス」を提唱している。共著に『都市経済と産業再生』(岩波書店)、『クラスター戦略』(有斐閣選書)、『クラスター組織の経営学』(中央経済社)、『地域新生のデザイン』(東大総研)、『知の構造化の技法と応用』(俯瞰工学研究所)、『東北地方開発の系譜』(明石書店)など。
八尋俊英
株式会社 日立コンサルティング代表取締役 取締役社長。中学・高校時代に読み漁った本はレーニンの帝国主義論から相対性理論まで浅く広いが、とりわけカール・セーガン博士の『惑星へ』や『COSMOS』、アーサー・C・クラークのSF、ミヒャエル・エンデの『モモ』が、自らのメガヒストリー的な視野、ロンドン大学院での地政学的なアプローチの原点となった。20代に長銀で学んだプロジェクトファイナンスや大企業変革をベースに、その後、民間メーカーでのコンテンツサービス事業化や、官庁でのIT・ベンチャー政策立案も担当。産学連携にも関わりを得て、現在のビジネスエコシステム構想にたどり着く。2013年春、社会イノベーション担当役員として日立コンサルティングに入社、2014年社長就任、2021年より東京工業大学 環境・社会理工学院イノベーション科学系 特定教授兼務、現在に至る。
シリーズ紹介
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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。
山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」
山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。
協創の森から
社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。
新たな企業経営のかたち
パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。
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今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。
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全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。
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明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。
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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。