幸福と倫理の問題を考える
山口
日本人は目的合理的な行動が得意とおっしゃっていましたが、特に明治以降の日本では、経済的な成長や物質的な豊かさが絶対善とされ、国の政策でも企業や個人の意思決定においても大きな比重を占めてきたと思います。その目的に向けて努力した結果、現代の日本では各種の市場調査において、物質的な不足を感じていない人の割合が8~9割にのぼるまでになりました。ただ、物質的な豊かさに代わる次の目標、あるいは大きな社会ビジョンをどうするか、なかなか国民の中で具体化できていないように感じます。先生は、次にめざすべき正しい目的としての「価値」をどう設定すればよいとお考えでしょうか。
森本
めざすべき価値について考えるとき、幸福ということが一つの手がかりになるかもしれません。日本国憲法第13条に「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が規定されていますね。アメリカ独立宣言にも「すべての人は神によって平等につくられ、生命、自由および幸福追求(life, liberty, and the pursuit of happiness)を含む不可譲の権利を与えられている」とありますが、注目点は日本でもアメリカでも、幸福をそのまま保証するわけではないということです。幸福の定義は人それぞれ違いますから、中身ではなく追求する権利を保証しましょうというのが憲法の認識です。
では、その「幸福」をどう捉えるか。僕は哲学的な問いとして、よく学生に「悪いことをして長期的に幸せでいられる方法はあるだろうか」と尋ねます。不法な金儲けや不倫などで短期的に幸せになることは可能かもしれません。でもその後は、捕まらないだろうか、バレないだろうかと不安を感じながら生き続けることになり、長期的に幸せであり続けるのは難しいでしょう。そう考えると、やはり人間が幸せであるためには、僕の言葉で言うと「正統」であること、正しさが社会的に承認されていることが必要なのだと思います。無人島に独りで生きていても幸せではないでしょう。人間はやはり、人とのつながりの中で社会から認められ、愛し愛されることで幸せを感じるものです。そのために自分の正しさ――「正義」ではなく「正統」であること――によって、自分の本来的な居場所を得たいと考えるものだと思います。
このように、幸福について考えると倫理の問題も関わってきます。ところが、答えがすぐに出ないような倫理的な問いについて、日本では考える機会が少ないでしょう。学校の授業などで、もっと扱ったほうがよいのかもしれません。目の前の課題を解決するだけではなく、幸福の追求や人生の価値、宗教、倫理といった<ビッグ・クエスチョン>を考えることは、新たな価値を見いだす力を養うのに欠かせない修練だと思います。
世間に従うか、戒律に従うか
山口
先生のおっしゃる「悪いこと」をどう判断するのかという問題もありますね。自然法に基づくのか、実定法に基づくのか、あるいは信じる宗教の戒律によっても判断は異なるかもしれません。ルース・ベネディクトは西洋の「罪の文化」に対して日本は「恥の文化」であると分析しましたが、日本では倫理規定が世間や空気によって左右されたりします。宗教の聖典や戒律のような外在化されたテキストを判断の拠り所にしている西洋の文化のほうが、善悪の判断はしやすいかもしれないですね。
森本
僕は、世間を倫理基準とする日本の感覚と、聖書や戒律を基準とするユダヤ・キリスト教やイスラム教の感覚を対立的に捉える必要はないのではないかと思います。最近はイスラム教のハラールなどが知られるようになり、彼らが厳格に戒律的な生活を送っているようにイメージされがちです。でも実は、外国に行ったときや病気のときなど、戒律を守れないときは守れなくてもいいとされているのです。僕らが思うような縛られている感覚ではなく、彼らにとっては朝起きて顔を洗って歯を磨くのと同じ習慣のようなものです。
戒律というのは必ず細分化されます。例えば、初期仏教のお釈迦様と弟子アーナンダの会話が面白いのですが、あるときアーナンダがお釈迦様にこう尋ねたそうです。「女人をどのようにすべきでしょうか」。するとお釈迦様は「見ないのがよろしい」と答えました。「見てしまったらどうすればよいでしょうか」、「話しかけないのがよろしい」、「話しかけてしまったらどうすればよいでしょうか」、「そのときは用心するがよろしい」というふうにお釈迦様はアドバイスしていくのですが、これができなかったらこうすればいいと、どんどん例外が増えていきます。だから戒律主義というのは決疑論(※)なのです。そういう意味では、世間という倫理基準と本質的にはあまり違わないのではないでしょうか。
(※)宗教的、倫理的な規範や一般原則を特殊・個別の事例に適用する場合に、類推によって善悪を判定する方法。
森本 あんり(もりもと あんり)
1956年神奈川県生まれ。国際基督教大学人文科学科卒,東京神学大学大学院を経て,プリンストン神学校大学院博士課程修了(組織神学)。同校やバークレー連合神学大学で客員教授を務める。国際基督教大学人文科学科教授等を経て,2012年より2020年まで同大学学務副学長。専攻は神学・宗教学・アメリカ研究。近著は『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書),『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書),『異端の時代 正統のかたちを求めて』(岩波新書)など。
山口 周(やまぐち しゅう)
独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。
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