山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー / 中西 輝政氏 京都大学名誉教授
「リベラルアーツの復権」をテーマとした本シリーズの一回目は、ナビゲーターである山口周氏に「リベラルアーツとは何か」について語っていただいた。二回目からは、各分野の「知の達人」を迎え、リベラルアーツについて深耕していく。最初のゲストには、国際政治学、国際関係史研究の第一人者として知られる、中西輝政京都大学名誉教授をお迎えした。自身の留学経験や外交史研究を通じ、イギリスにおけるリベラルアーツ教育の奥深さを知ったという中西氏。翻って考える日本の現状とこれからの指針、さらには歴史の愉しみ方まで、山口氏との深い知の交歓が展開された。

経済的成長から人間的成熟へ

画像1: 経済的成長から人間的成熟へ

山口
本日はご自宅までお邪魔しまして恐縮です。素敵なお宅ですね。

中西
いえいえ、眺めの良さだけが取り柄です。

山口
私は先生の『大英帝国衰亡史』や『本質を見抜く「考え方」』からずいぶん多くのことを学んできました。実は、『本質を見抜く「考え方」』は私が以前身を置いていたコンサルタント業界では必読書と言われているのです。私もコンサルタントになるとき、「まずこれを読みなさい」と、先輩から渡されまして。

中西
そうですか。そんなに読んでいただいているというのは初耳です。たいへん光栄なことです。

山口
この連載では「リベラルアーツの復権」を大きなテーマとしておりまして、先生には国際政治学や国際関係史などのご専門の観点から、リベラルアーツの本質を見抜くお話を頂ければと思います。

今、私たちが生きる21世紀の初頭は、歴史の大きな転換点にあると思います。国内外で起きているさまざまな事象を見ていると、16世紀からずっと続いてきた近代という時代が、本当の意味で終わりを迎えるのではないかと感じています。

特に日本ではこの20年、GDP(国内総生産)がほぼ横ばいで推移してきたことが示すように、科学や技術によって社会を便利に、高度にしてきた営みが一定のレベルまで達し、「成熟」の域に入ったことは明らかです。先生が著書で指摘されているとおり、日本における社会の成熟はヨーロッパのそれとは異なるとは思いますが、この成熟の先をどうするのか、次の時代をどう切り拓いていくのかを考えるべき時にあります。そうした時代だからこそ、社会において大きな責任を担う、いわゆるエリートと呼ばれる人たちが、歴史をはじめとするリベラルアーツを学ぶことの意義を再認識し始めていると思うのですが、先生のご意見をお聞かせください。

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中西
まずリベラルアーツという言葉の意味について、私の考えをお話しします。英語の「liberal」は縛(しば)りがない、つまり「自由」という意味を含む言葉ですね。その反対の意味の言葉というのは「disciplinary」ではないかと思います。「規律」、「訓練」、「体系化された学問」といった意味を含む言葉です。そう考えるとリベラルアーツとは、A=B、B=C、故にA=Cというように乾いた理論で体系的に積み上げていく学問ではカバーしきれない領域を担うものと言えるのではないでしょうか。しかも「arts」ですから、学問というより、山口さんも説かれているように心が躍動する感覚というような意味を持つ言葉なのだと思います。

そのリベラルアーツが注目されているのは、おっしゃるように成長をひたすら追求してきた近代が終わろうとしていることと深く関わるでしょう。めざしていた成長に到達し、次はそれをいかに洗練させていくか。すなわち、これまでの一本調子の成長の過程で取り残されてきた部分にも目を向けながら、経済やテクノロジーの成長だけでなく、人間的に成熟した状態をめざす段階に入っているのです。世界の、特に日本の社会の先頭に立つ人たちが、人間的に成熟した社会、成熟した生き方をいかにして実現していくかを考えるにあたり、リベラルアーツが必要になっているのだと思います。

イギリス留学での経験から教えられたこと

画像: イギリス留学での経験から教えられたこと

山口
先生のイギリス関連のご著書に登場するキーワードに「エリート」がありますね。イギリスのエリート教育では、歴史と哲学をベースに考える力を養うことが重視されてきました。オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)をはじめとするイギリスの上位大学にPPE(Philosophy, Politics and Economics)、つまり哲学と政治学、経済学を同時に勉強する学科があるということは象徴的だと思います。専門分野の細分化が進んでいる日本の大学とは、教育に対する考え方が大きく違うと感じるのですが。

中西
イギリスが中等・高等教育でエリートを養成してきたのは、階級社会であることに起因します。階級制度は歴史とともに変化してきましたが、階級意識や貴族制度は根強く残っています。貴族や上流階級で、パブリックスクールからオックスフォード大学へ進むのがイギリスの典型的なエリートであるという図式は現在でも変わっていません。

かつて貴族階級のエリートの仕事は「統治」することでした。役人や政治家として国内を治める、あるいはイギリス東インド会社を通じた植民地統治などを行う。そのためにはまず自国や現地の歴史、文化を知っておくことが欠かせません。歴史の知識は哲学と結びつくものですから、まず歴史と哲学が基本として学んでおくべき素養でした。政治や経済はその次にくるもので、哲学を源流としつつ、より実務に近い学問という位置づけです。そのため近代以降も、それらを総合的に学ぶことがエリート教育の基本として重視されているのです。

山口
基礎学問としての歴史・哲学と、プラグマティックな学問としての政治・経済ということですね。

中西
そういうことです。歴史と哲学は日本では切り離されています。しかしイギリスでは、哲学を学ぶことにより、日本語ではうまく表現しづらいのですが、「historical mind」を身につけることができると考えられています。そして、それらが重視されてきた背景には、ルネッサンスや宗教革命の時代に形成された人文主義の考え方が、他の西洋諸国では産業革命期にdisciplinaryな学問に押されてしまったのに対し、海外発展に成功したイギリスでは優位を保ち続けられたことが挙げられます。多くの西洋諸国は、産業革命に追いつくために、実学に比重を置かざるを得なくなったということです。これは明治以降の日本の近代化と教育の関係にも当てはまるかもしれないですね。

イギリスにおいて歴史を土台としたリベラルアーツを重視しているのは貴族階級に限りません。私がイギリスに留学して半年ほど経った頃、1970年代のことですが、下宿のおかみさんから通りすがりに、「最近出たエリザベス一世の伝記は読んだか?」と聞かれたのです。私が「初耳です」と言うと、「国際政治を勉強しに来ているのだから、エリザベス一世のことぐらいは知っておきなさい」と車で書店へ連れていってくれたのです。書店に着くと確かにその本がフロアに平積みされていました。小説家ではなく歴史学者が書いたものでしたが、そういう本が広く一般に読まれていることに感心した憶えがあります。

山口
日本では歴史書のベストセラーと言うと、歴史小説家が書いたものばかりですから、ちょっと想像できないですね。

中西
実際に読んでみると、学術書という雰囲気ではなく、歴史小説のようにおもしろく心を躍動させる、魅力ある作品でした。学者として厳格にエビデンスに基づいた論文を書く一方で、そのように一般読者を惹きつける本が書けるほどの文学的素養も持ち合わせている歴史家、歴史学者が高く評価され、イギリスには現在でも数多くいます。それは彼らが専門知識だけでなく、基礎としての広い教養を身につけていることの表れの一つでしょう。

画像1: みずからの感性を大切に、歴史を愉しむ
その1 リベラルアーツが重視されてきたイギリス

中西 輝政(なかにし てるまさ)

1947年大阪生まれ。京都大学法学部卒業、同大学大学院修士課程(国際政治学専攻)修了。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院(国際関係史専攻)修了。京都大学法学部助手、ケンブリッジ大学客員研究員、 米国スタンフォード大学客員研究員、 静岡県立大学国際関係学部教授、京都大学大学院・人間環境学研究科教授などを経て、2012年より京都大学名誉教授。 1989年佐伯賞、1990年石橋湛山賞、1997年毎日出版文化賞、山本七平賞、2003年正論大賞、2005年文藝春秋読者賞などを受賞。主な著書は、『大英帝国衰亡史』(PHP文庫、1997年)、『国民の文明史』(扶桑社、2003年)、 『本質を見抜く「考え方」』(サンマーク出版、2007年)、 『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』(PHP新書、2017年)、『アメリカ帝国衰亡論・序説』(幻冬舎、2017年)、『日本人として知っておきたい世界史の教訓』(育鵬社、2018年)他多数。

画像2: みずからの感性を大切に、歴史を愉しむ
その1 リベラルアーツが重視されてきたイギリス

山口 周(やまぐち しゅう)

1970年東京都生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。

「第2回:直感を大切にしたチャーチルと、イギリス流行動学」はこちら>

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋大学ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

八尋俊英日立コンサルティング社長を導き手とし、新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

新たな企業経営のかたち

SDGs、人工知能(AI)、デザイン思考、ブロックチェーンなど、経営戦略に関わるホットイシューについて、斯界の第一人者に聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

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