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年齢を重ねると、体力や毛髪などいろいろと失うものがありますが、一方でよいこともあります。年をとることの最大のメリットは、個人の経験に限定されるにしても、一定の時間と時代の流れが自分の中にあるということだと思います。つまり、「近過去」を自分自身で経験しているわけです。

古い時代の記述された歴史、評論的な歴史というのは、やはり実際に経験していないので、ちょっとツルンとしているというか、手触りの凹凸がないというのは否めません。しかし「近過去」は、自分が経験している、あるいは直接経験してなくても時代背景みたいなのが何となくわかる、そういう推測できるところで読む「疑似経験としての歴史」、それが「近過去」です。遠い昔の歴史よりもっとゴツゴツしていて、文脈も合わせて考えられるので、理解や想像がより進むということがあります。

具体的な例でいいますと、「リーマン・ショック」。これを僕は、大人として経験しているわけです。たとえば近い将来、資本主義の宿命として、大きなリセッションが起きたときに、リーマン・ショックを経験した人と経験してない人では、やっぱり心構えが違うと思います。

「近過去」からの学びの鮮烈な例として、ぜひ紹介したい名著があります。デイヴィッド・ブルックスが書いた『あなたの人生の意味』という本です。これは、一種の社会評論なんですけれど、良く生きた人を取り上げて、人生の意味を考える。取り上げられているのは、ドワイト・アイゼンハワー、ジョージ・マーシャル、ジョージ・エリオット、サミュエル・ジョンソンとか、もっと昔のモンテーニュ、アウグスティヌスといった人たちです。

ブルックスが言っていることは、いまの世の中、あまりにも自分が大切過ぎるのではないかということ。これを「大きな私」と言っています。昔はもうちょっと、人間には自然に謙虚さが備わっていた。自分一人で成り立っているわけではないという利他的な気持ちを持って、社会全体のことを考えて人間として謙虚に生きていた。これを「小さな私」と言っています。あまりにもこの「小さな私」が、いまの「大きな私」の時代に失われている。それが、さまざまな社会的な問題の根底にある。もう一度大きくなり過ぎた自分を懐疑してみてはどうかというのがブルックスの主張です。

そういう考えに至ったきっかけとして、冒頭でこんな話をしています。ある日帰宅中の車のラジオから、第2次世界大戦に従軍した兵士向けのバラエティーショー『コマンド・パフォーマンス』という番組の再放送が流れてきた。この番組が放送されたのは、1945年8月15日、つまりアメリカからすると、対日戦勝の翌日に放送された回です。そこには当時の大スター、フランク・シナトラ、マレーネ・ディートリッヒ、ケーリー・グラント、ベティ・デイヴィス、こういう人たちが出演していました。

この日は連合国にとって、軍事的勝利の記念日でした。いまだったらお祭り騒ぎでしょう。ところが、その番組の再放送を聞いてブルックスは驚きます。出演者はみなとても静かなのです。大げさに喜びを表現するようなことがまったくない。

ホスト役のビング・クロスビーは最初に、「これでようやく戦争も終わったようですが、われわれが特に何か言うことはない、できることは神に感謝することくらいでしょう」と言います。著名人たちからも同じような発言が続いて、たとえば、「われわれが勝利できたのは、もちろん兵隊が勇敢に戦ったためだけれども、われわれだけではなくて、ロシアやイギリス、中国などの貢献も大きかったし、時も味方した。われわれが豊富な天然資源を持っていたことも大きい。われわれの勝利は最初から決まっていたことではなく、われわれが優れていたから勝てたわけでもない。だから、勝利を誇るより感謝することの方が重要だ」という朗読があったり。

すごく静かに淡々と番組が進行していく。『コマンド・パフォーマンス』の再放送をたまたま聞いたブルックスは、「他人が私より優れてるわけでもないが、私も他人より優れてるわけではない」という謙虚さがかつてのアメリカには存在していたことに気づかされます。だとしたら、いま何が問題なんだろうというのが、この名著が生まれるひとつの動機になっているんです。これこそ、「近過去」の「擬似的な歴史経験」を知ることで、思考が深まるということだと思います。

僕がとりわけ勉強になると思うのは、日本の戦時下の日記を読むことです。誰の日記を読んでも、1941年に戦争が始まったというときの日本全体のポジティブな高揚感、これはとんでもないレベルなんです。

で、戦争が本格化する。1942年~1943年ぐらいは、東京で暮らしてる人はごく普通なんです。戦争に出ている軍人や兵士は大変なのですが。1944年ぐらいになると空襲が始まる。いよいよ大変な生活になっていきます。いわゆるわれわれが「戦時中の人々の暮らし」としてイメージするのは、主に1945年の敗戦までの1年間なんです。

はじめは、空襲が来るっていうともう怖くて怖くて、防空壕の中で震えている。ところが、人間というのは不思議なもので、3カ月で慣れるんです。3カ月前は、1機の戦闘機が来ただけでもう震えが止まらなかったのが、段々と、バーン、バーンと爆弾が落ちてるところでたき火をするようになっていたり、「今日は敵さんも派手だよな」みたいな会話がされていたり。人間の適応力は底知れないものがあります。こういうことを僕は「近過去」の歴史を記した本から学びました。

画像: 近過去からの学び-その2
人々が「謙虚」だった近過去。

楠木 建
一橋大学ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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