「新しい結合」のためには、「分類」を越えなければならない
小泉
さっそく本題に入りたいと思いますが、「イノベーション」という言葉は、今から100年余り前に、ヨーゼフ・シュンペーターが『経済発展の理論』という著書の中で新しく定義づけた概念で、元々の意味は、「新しい結合(neue kombination/new combination)」というものでした。その後、『科学技術白書』の中で日本語に訳された際に、「技術革新」という言葉に置き換えられたという経緯があります。しかしお気づきのように、元の意味である「新しい結合」と「技術革新」とでは、少なからず意味合いが異なります。中心にあるのは技術革新ですが、原義のほうがより広い概念を指しています。
「新しい結合」とは、何かを組み合わせることによって、まったく新しいシステムを創発する、ということで、これは簡単なように思えますが、実際には非常に難しいことです。おそらく、この試みを最初に行ったのは、フランスの科学者であり数学者でもあったニコラ・ド・コンドルセ (1743-1794年) という人物でしょう。彼はフランス革命中に政治家として活躍し、「共和国」という概念を押し広げたのです。自然科学や社会科学、人文学を連携させ、異分野連合による新しい知の体系を築き、社会に役立てることを提唱しました。言ってみれば、科学者・人文学者の共和国です。当然ながらそれは極めて難しいことであり、その後も多くの人が模索しましたが、実現には至りませんでした。
そうした中で現代では、「イノベーション」という概念がさらなる広がりを持ち始めています。まさに、今回のテーマである「ソーシャル・イノベーション」あるいは「ソシエタル〈societal〉・イノベーション」は、技術革新を越え、コンドルセが描いた概念に近いものへと、変貌しつつある。本日はその辺りのお話を、松岡先生に詳しく教えていただき、議論できければと思っております。
松岡
おっしゃるように、「イノベーション」という言葉は「新しい結合」を指し、未知のものや既知のものをいろいろと組み合わせて、emerging〈創発〉を起こすということを意味しています。もっとも、一人の人間で考えれば、幼い頃からさまざまなものを組み合わせ、関連づけながら世界を認知しているわけで、associate〈組み合わせる、関連づける〉ということを自然にやっている。つまり、人間というのは、そもそもイノベーティブな存在なのです。
しかしながら、長じる過程で親や先生から、「これは花です」、「これはテーブルです」といったように物事を分類して教わるようになると、それを越えて再びassociateすることが躊躇われるようになる。イノベーションには、どうしても通常の教育や常識などと相容れない面があります。
コンドルセの時代には、新たな近代国家としての「共和国」の姿が模索されたわけですが、残念ながらジャコバン党によって、さらにはナポレオンの出現によって、まったく違う思想体系が生み出されていきました。その象徴が「統計官僚」であり、国家の平均像をもとに、平均値から納税者や徴兵対象者が選別され、中央集権による近代国家がつくられていくことになるのです。
その後、20世紀になってから、なぜ、シュンペーターが新結合を提唱したかと言えば、すでに始まっていた大量生産・大量消費と、その生産システム〈Fordism〉に限界を見ていたからでしょう。そこにこそ、幼い子どもが花やコップや猫を一緒くたにして世界を捉えるように、企業家がさまざまな技術をassociateすることが必要だと考えたのです。ちなみに、〈combination〉ではなく〈association〉という語を使うのは、この言葉には「組み合わせる」という意味のほかに、「連想する」という意味合いが含まれるからです。イノベーションには「連想力」が不可欠だと思うのです。
小泉
「連想力」というのは、まさに脳の連合野〈association area〉の働きそのものであり、イノベーションの重要な核と言えますね。
イノベーションに不可欠な「連想力」と「エコシステム」
松岡
そもそも、イノベーションには、「計画」や「アジェンダ」という言葉はそぐわないんですね。イノベーションを起こすには、まず、社会にすでにあるものを置き換えるところから始めなければなりません。なぜなら、先述したように、近代以降の社会や科学や技術の中には、「分類」という考えが深々と突き刺さっているからです。まずは、自分たちがどんな技術を持ち、何に置き換えることが可能なのか、考える必要があるのです。
例えば、生物の進化というのは、非常にイノベーティブですよね。ときにそれは、目標的でも合理的でもなく、突然変異を起こしながら、環境に適応できたものだけが進化を勝ち取る。企業も同じで、自らをアンラーニング(unlearning=いったん学んだ知識や既存の価値観を批判的思考によってあえて棄て、学び直すこと)しながら、市場に受け入れられるかどうかなど関係なく突き進まなければ、イノベーティブなことはできないと思うのです。小泉そういう意味では、最近の日本学術会議や各国の科学技術・産業政策は変わりつつあります。何がイノベーティブなのかを問うのではなく、どういう「エコシステム」があればイノベーションが起こり得るのか、ということが議論されています。
松岡
エコシステム、すなわち生態系と見なすのはいいですね。
かつて、伏見康治氏(理論物理学者:1909-2008年)が日本学術会議の会長を務められていた頃に、よくお話をさせていただきましたが、氏は、イノベーティブな組織であるためには「折り紙のようでなければダメだ」と言っていましたね。折り紙というのは、もとは1枚の紙だけれど、折る過程でわけのわからないものが出現し、しかも最終的に鶴になるものも、1つ折り方を変えるだけで、まったく別のものに化けることがある。そういう取り組みが必要だということでしょう。
小泉
伏見先生には、私も大変お世話になりましたが、素晴らしい方でした。冒頭から、示唆に富むお話をありがとうございます。
社会的価値を生み出す「報酬系」の役割
小泉
続いて、イノベーションの概念そのものが変遷してきた中で、非常に重要なキーワードである「社会的価値」について、まずは社会的価値がどのようなメカニズムで生まれるのか、脳神経科学の観点からお話しします。
近年、脳神経科学の発展を背景に、私たちが意思決定をする際に、脳の中のどの部分が活動しているかということが判明しつつあります。そこで、最も基本的な働きをしているのが、脳の報酬系と呼ばれる部位。報酬系というのは、ご褒美をもらったときに嬉しいと感じる脳のシステムですね。ただし、褒美には多様な形があり、儲かって嬉しいとか、購入した製品が思い通りに動いて嬉しいとか、大きな家を手に入れて嬉しいなど、さまざまです。
ちなみに、サルの脳では、おいしい食べ物を得ると報酬系が活性化します。実は、ごく最近の研究で、人間の場合には同様の脳の部位で、社会的に高く評価されるなど、精神的な報酬の喜びまで感じることがわかってきました。報酬系をうまく使うことで、人間は進化を遂げてきたというわけです。
この図は、2008年に、自然科学研究機構生理学研究所の定藤規弘教授らが米科学誌『Neuron』に発表した成果の一部です。fMRI(機能的磁気共鳴画像)により脳を計測した様子ですが、赤や黄色になっている箇所が活性化していることを示しています。なお、実験ではいくつかのテストをして、その人が信頼される人間である、という評価を本人に伝えました。これにより、脳の前頭眼窩野とその奥にある線条体など報酬系を司る部位の活性が促されたのです。人間が社会的に高く評価された際にも、報酬系が活性化することが、世界で初めて発見された瞬間です。前頭眼窩野や線条体は、すでに、スイスの神経科学者Wolfram Schultz氏によって、経済的な報酬に対しても活動することが明らかにされていましたが、さらに社会的評価という精神的な報酬に対しても、明瞭に反応することがわかったわけです。ただし、友人や同僚の社会的評価が高かった場合には、報酬系は単純には働かないこともわかりました。
松岡
焼きもちを焼いているんですか(笑)。
小泉
そういうことでしょうね。Schadenfreude(影の喜び)に類する人間の性(さが)かもしれません。一方で、人間は自分自身が損をしても、誰かがすごく喜んでくれたときは、脳は報酬として快感を味わうことができる。これが「温かい心」すなわち<倫理>だと思うのです。近年、脳神経科学の発達とともに、そういう脳のメカニズムが明らかになりつつあるのです。社会の根本的な部分は金儲けなどの我欲に支配される一方で、人は社会的に認められることでも喜びを感じ、意欲をもって動く。こうした脳科学の知見から、本当の意味で、人々が、そして世界が何を欲しているのかが見えてくる可能性があるのです。
松岡
画期的な研究成果ですね。サルも人間も食欲や性欲などが満たされることによって得られる報酬が行動の源泉になってきたわけですが、人間同士のコミュニケーションにおいても、報酬系が賦活するというのは重要な発見です。発生生物学の専門家である木下清一郎氏(1925年∼)も提唱されているように、細胞間のコミュニケーションにおいても報酬系は働いているに違いありません。今後、ニューロンの働きと報酬系の関係などが解明されていくと、ますます面白くなりますね。
小泉
はい。それがわかれば、イノベーションをいかに生じせしめるか、ということまで明らかになる。シュンペーターは「資本主義はその成功によってやがて崩壊する」と予言しました。経済的成功により豊かになると、企業家がハングリー精神を失い、意欲をなくしてしまうことを危惧したのです。結果として、世の中は社会主義に傾倒していくと予想していたわけですが、ご承知のように社会主義の崩壊を招いたのも情動の問題、すなわち、平等を重んじた結果の意欲の喪失にありました。そう考えると、人間の根本に報酬系が実に大きな作用をしていることを知るということは、非常に意味のあることだと思うのです。
松岡
イノベーションに関わる問題としては、その人にとって未知なるものの領域に対して、報酬系が働くのかどうかについても、ぜひ、調べてほしいですね。未知なるものを知りたい、探求したい、挑戦したいという人間心理にはおそらく報酬系のインセンティブが働いているのだと思うのです。もう1つは、時間の問題です。例えば、研究開発には非常に長い時間がかかる。つまりなかなか報酬が得られない。その場合、脳は飽きてしまわないのかどうか。
小泉
非常に重要なご指摘ですね。動物の報酬系の場合、時間的には直近の未来、それこそ20∼30秒先までしか予想できません。一方、人間は1年先、10年先、あるいは1000年先まで思いを馳せることができる。報酬系から発達して、そのすぐ隣り合った脳の部位に、未来を予測する機能を進化させているのです。
松岡
理論生物学者で複雑系の研究者であるスチュアート・カウフマン(1939年∼)は、それを「隣接可能性」と言っています。生物圏も経済圏も宇宙も、つねに隣接可能領域に踏み込みながら、複雑性と多様性を増大させているという。それは、ニューラルネットワークの世界でも同じだろうと思うのです。
小泉
なるほど。複雑系のサンタフェ研究所の人たちとは、今でも議論しています。報酬系というのは、食欲を満たしたり、喉の乾きを潤したりすることで快感を得るように、また、子孫を残すために性に快感を覚えるように、生存において最も重要な機能です。それが、さまざまに影響を与え、目に見えない形で我々を支配している。その詳細をひもとくことは、非常に重要なことですね。
階層の間に潜むリスクと意味のリデザイン
小泉
次のスライドは、マズローの欲求階層を、物理的な視座から見た図です。最下層はエネルギーの獲得、エントロピーの排出であり、生物にとってベースとなる部分です。次の階層は命を守る上で欠かせないセキュリティ。さらに、子孫を残すために必要な社会性と生殖。そのさらに上の階層に文化や教養があり、価値観に多様性が生まれます。そして最上位に、自己実現、他者への還元があります。
この階層は、社会が成熟するに従って重みが変わってくるわけです。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、経済的に豊かになった社会では、物質的にいくら満たされても必ずしも満足できなくなります。そして、より上のフェーズを目指すようになる。今はまさにそうした価値観の変曲点にあると言えるのではないでしょうか。そう考えると、イノベーションにおいても、今後は何を目的に、どのような商品をつくればいいのか、ということが見えてくる。最終的な目標としては、「人間の安寧とよりよき生存」ということが1つのテーマになるかと思います。
松岡
このマズローの考え方はその通りだと思いますし、最上位に自己実現がありますが、それは仏教や東洋思想にも通じる話です。一方で、それぞれの階層を上がる際には、カオスの縁(エッジ)というべきか、そこにはクラッシュとリスクが潜んでいると思うのです。日本全体がいまだイノベーティブになっていない理由も、階層を上がる上でのリスクを恐れているからではないでしょうか。21世紀のマズローモデルには、その縁のリスクまで描く必要があるでしょう。
20世紀を終え、21世紀に入った現代で重要なのは、意味のリデザインということだと思います。そして、編集価値やデザイン価値を生み出すには、ある与えられた状況の中で与えられた技術や商品が、どの程度で人々を退屈させるのか、あるいはイナーシャ(慣性)が保たれるのか、物事の意味というものを深く掘り下げて再編集することが重要になります。
しかしながら、現在のコンピュータを駆使したビッグデータの解析には、まだ意味の掘り下げが足りないと思うのです。大量のデータをいくらうまく分類しても、時間と意味の関係を見ようとしなければ、掬い取れないものがある。例えば、私は今、こうしてしゃべっているけれど、この先、何をしゃべるのかは、皆さん、おわかりにはならないでしょう。一方で、しゃべり方によっては大体の想像がつく。ビッグデータの分析においても、ある程度の文脈の途中で意味が見えたところで、その先にabductiveな仮説的なものが出てくる。そこにリスクを見ることができる。ところが、コンピュータによるデータアナリシスには、それを汲み取ることができない、ということです。
イノベーションにおけるabduction〈仮説形成〉の役割
小泉
演繹(deduction)、帰納(induction)、そしてabductionですね。abductionは日本語では何と言えばいいでしょう?
松岡
「仮説形成」とでも言うほかにないですね。
小泉
卑近な例で言うなら、山の上で貝殻を拾ったとすると、このあたりは昔海だったのかな、と思いますよね。でも、まだその時点では実証されていない。誰かが海から持ってきて置いたり、捨てたりしたのかもしれません。
松岡
チャールズ・パース(論理学者、数学者、哲学者:1839-1914年)が挙げた、山の上の化石の例ですね。推論ではあるけれど、理論にはなっていない。あるところで化石のようなものを拾ったけれど、化石じゃないかもしれない。そのように曖昧領域を持ったものを、コンピュータも人間の思考も普通は対象外に外してしまうのです。
しかし、abductive・reasoning〈仮説形成的推論〉を重ねる中、曖昧性を維持したまま考察していくことで、まさにそれがウミユリの化石だとわかれば、途端に次のロジックが動くように跳ねていく。それこそが、私が考える編集工学的なabductionなのですが、そういうアプローチが、デザインや分析、場合によってはイノベーションにも必要だと思うのです。
小泉
いかにしてイノベーションを起こすのかというのは、非常に難しい問題ですが、abductionが1つの大きなヒントになるというわけですね。
松岡
人間の発想の歴史を見ていくと、最初は記号や図表など、単純なものがシンボルとなり、「フクロウは知恵の神である」といった具合に象徴化されて、やがて絵文字ができ、スペルや表意文字へと進化したわけです。さらに漢字であれば、偏や旁(つくり)を組み合わせて、文字を発達させ、最終的に複雑なフレーズを生み出してきました。同様に、東洋思想であれば、最初はマントラ〈mantra:真言〉であったものが、タントラ〈tantra:聖典〉のようなlattice〈格子、束〉となり、スートラ〈sutra:経典〉や叙事詩、物語など、さまざまなものを生み出していった。しかし、その束の組み合わせ方によっては、とんでもなく難解になったり、エロティックになったりもする。それが、人間のsemantics〈意味性〉だと思うのです。
それらを読み取るためには、syntax〈データの形式や構造〉とsemantics〈データの意味〉を同時に解析する必要がありますが、コンピュータが受け持つのはsyntaxだけなんですね。イノベーションを起こすために、そこから意味を生み出さなければなりません。そのためには、記号や図表が組み合わされたときの発展プロセスを見ていく必要があるのです。そこでabductionが強みを発揮してくる、というわけです。
小泉
なるほど、極めて興味深いお話を伺いました。サンスクリット語から漢語に訳された仏教典は日本にたくさん入ってきましたが、ヴェーダやウパニシャッドなどのインド哲学は日本に馴染みが薄いように感じます。勉強してみたいですね。
日本、そして東洋の思想をイノベーションに活かすために
小泉
東洋というキーワードが出てきましたので、最後のテーマとして、日本・東洋の知恵と感性を活かした知のアプローチについてお話ししたいと思います。東洋と十把一絡げに言うべきではないかもしれませんが、東洋の思想が今後、社会イノベーションを実現する上でどのような役割を果たすのか、お考えをお聞かせいただけますか。
松岡
確かに、日本の文化の中には、曖昧領域があり、以心伝心が尊重されます。それこそ「おもてなし」など、具体的な物理量で測ることなどできませんし、日本が東洋的であることは明らかでしょう。そして、東洋の知恵を活かすためには、西洋で言うところの善と悪、上と下、進めと止まれといった二分法の間にある、中間領域、すなわちミドルウエアにこそ、大量の情報があるということを認識することだと思います。しかし同時に、その中間領域には先述のエッジがあり、リスクが存在するのですが、東洋ではリスクを取ろうとしてこなかったんですね。それは、西洋思想と東洋思想が生まれた風土の違いによるもので当然のことなんですね。
西洋思想というのは、イエス・キリストも、ムハンマドも、ヨハネも、預言者たちの生きた環境は厳しい砂漠地帯でした。左に行けば熱砂の砂漠で死に、右に行けばオアシスがあって生き延びられる。ディスカッションして多数決で決めるにしろ、トップダウンで決めるにしろ、当然、二値的にならざるを得ません。一方、インダス川やガンジス川以東の森の中では、どちらへ行くにしても情報が違ってきて、非常に多様な世界が広がっている。まっすぐ進めば滝があるかもしれないし、右に進めば恐ろしい獣がいるかもしれないし、左に進めば大量のキノコがあるかもしれない。そうなると、それぞれに専門家が必要で、そのエキスパートがマンダラ状に議論をしなければならないため、保留期間が生じます。しかも、アジアには雨季がある。雨季も東洋思想に大きな影響を与えてきました。
そう考えると、この先、日本、そして東洋の思想をビッグデータ時代のイノベーションに活用していくためには、その保留されたり、曖昧であったりする中間領域を、大きく広げる必要があると思うのです。その中で、いかにリスクを取るのかが、大きな課題となります。
例えば、私はよく内田樹氏(哲学家、武道家:1950年∼)と話をするのですが、武道家にとって有事と平時で何か違うかと言えば、平時には毎日、同じ道を通る必要がある、と言う。退屈だけれど、毎日同じ道を通るからこそ、いつもと犬の歩き方が違うとか、見知らぬ顔が通ったという有事がわかる。つまり、平時には一見無駄で退屈に思えても、大量に情報を蓄積しておく必要がある、と言うのです。これがまさに中間領域ということです。そうした価値の幅をつくっておくことが、平時には求められるのです。
しかしながら、今の日本の伝統文化というのは、能にしろ歌舞伎にしろ、もうかなりダメになっているんですね。先ほどお話した報酬系によって衝き動かされてきた「日本的なるもの」が消滅しかけている。心配です。
小泉
おっしゃるように、我々日本人は、たくさんの遺産を持っているわけですから、もう一度、日本の文化というものをじっくり見直してみるべきなんでしょうね。そこにこそ、日本から新しいイノベーションを発信できる可能性がある、と。
松岡
あると思います。ただ、日本舞踊がなぜ、ああいう動きをするのかといえば、着物を着て美しく踊るためですよね。日本家屋にしても、なぜ座布団が用いられるのか、なぜ障子で光と陰を演出するのか、なぜ、日本語には敬語や謙譲語があるのか、そういう1つひとつを全て理解しなければ意味がない。いまや、日本文化に関して、あまりにも浅い理解しかありませんからね。そういうものをすべて理解した上で、クールジャパンを世界に示さないと、日本および東洋の強みを武器にするのは難しいのではないでしょうか。
小泉
非常に本質的なお話を伺いました。例えば、日本のある高名な指揮者が、日本音楽には興味がない、と言うんですね。その理由が、「日本音楽は二拍子ばかりで単純で面白くない」というもので、唖然としてしまいました。
松岡
それは唖然としますね。
小泉
日本音楽は、タクトで操れるほど単純なものではありません。決め事の中にもっと深みがあり、微妙な揺らぎが求められる。西欧流の完璧な演奏をしても、「それは着き過ぎだよ」ということになってしまう。能の乱拍子などでるべくもない。
松岡
単に「深い」とか「微妙」と言うだけでは物足りなくて、本当は裏拍、すなわち間拍子まで含めて、もっと厳密なんですよね、日本音楽は。例えば、宮本武蔵二天の『五輪書』の中に拍子や調子に関する記述があり、「おとろふる拍」とか「さかゆる拍」といった、すごくテンポが変化するような拍子があったことがわかっています。拍一つとっても、この調子です。
同様に仏教と一言で言っても、北伝(ブータン、ネパール、中国、ベトナム、朝鮮などを経由して伝わった仏教)も南伝(スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオスなどを経由して伝わった仏教)も、顕教も密教もさまざまなものがあります。そういうものをすべて見なければ、それこそ西欧の分類型の分析力には勝てないですよ。だいたい、西欧が築いた社会体制やシステム、equity(衡平法)の哲学、複式簿記から発した利益構造など、どれをとっても、日本の文化と比べると象と蠅ほどの違いがある。しかし、その蠅の中に、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」といった、西欧が絶対に真似できない文化が含まれているんですね。そこを見直さない限り、日本の再生はないと思うのです。
小泉
非常に感銘を受けるお話ですね。さきほどの指揮者の話にしても、西洋音楽には、オーケストラであればたいてい指揮者がいるわけですが、日本の場合は大掛かりな編成になったとしても指揮者自体がいません。つまり、自律分散で他を尊重しながら演奏しているわけですよね。
松岡
そうですね。例えば、能管、篠笛、小鼓、大鼓、いずれもチューニングが違います。しかも、それぞれが湿度に影響を受けるため、笛や鼓は湿らす必要があるし、逆に大鼓は乾かさないといい音が出ません。職人のものづくり、プレイヤー、環境〈間〉のすべてが揃って、1つの能舞台を作っているのです。当然、指揮者などいない。自律分散の陰には、まったく違う技術を1つの場へ集結させようという、職人やプレイヤーたちの勇気があるのみです。それにより、とんでもない自律分散を可能しているんですね。
日本、そして東洋の思想をイノベーションに活かすために
小泉
さて、いよいよ時間が迫ってまいりました。最後に、全体を見直すという意味で、1枚のスライドを用意しました。これは日立が手掛けている分野を示したものです。左を「物質」、右を「情報」の軸で括っています。物質というのは、アインシュタインの式でご存知のようにエネルギーと等価であり、人間でいえば身体に相当します。一方、情報はエントロピーに近いものであり、心はこちらに入ります。さらに言うなら、左は熱力学の第一法則、右は第二法則に当てはまる。近代二元論とでも言えるかも知れませんが、その両方をつなぐにはどうすればいいのか。個人であれば、身体と心、社会であれば物質と情報をつなぐということですが、そこにこそイノベーションが必要であり、今まさに日立が挑戦しようとしているテーマだと考えています。
一方で、現在、世界中の全人口のわずか1%の最富裕層が、世界の富の半分を占めているというデータがあります(Oxfam report 2014)。その陰で、飢えや病気でも数多くの子どもたちが日々、亡くなっている。そういう問題を解決することも、まさに社会イノベーションの重要な役割と言えるでしょう。
そう考えるとき、「倫理」に着目する必要があると思うのです。いくらコンプライアンスを遵守しても、ethics〈倫理〉がなくては、これからの社会を継続させていくことは難しい。つまり、これからのイノベーションには倫理が不可欠だと思うのですが、いかがでしょうか。
松岡
おっしゃる通りだと思います。そして、熱力学の第一法則と第二法則の間で、情報が秩序をもって我々に寄与するのか、エントロピーが増大して単なるゴミになるのか、まさにイノベーションにかかっている、と思います。そもそも、生命系がそうした危機を何度も乗り越えてきた最大のエンジンこそが、イノベーションだったわけですから。白亜紀に恐竜が絶滅した一因は、サイズを間違えたからでしょう。しかしながら、それはやがて鳥となり、トカゲとなって、姿を変えて現代に受け継がれている。それは、鳥やトカゲが、exaptation〈外適応〉といって、内臓器官や附節器官を外部適合させていった結果です。アメリカの古生物学者であるスティーブン・J・グールド(1941-2002年)は、この外適応こそが、生物最大のイノベーションであると言っています。
最近では、数年前に創業したカレラ社と、海洋地質学者で、スタンフォード大学のブレント・コンスタンツ教授が共同で、石炭火力発電所から排出される二酸化炭素と海水のカルシウム塩を材料に、珊瑚や貝の殻などが生成されるしくみを真似て、セメント材料である炭酸カルシウムを生産する事業を手掛けていますね。これにより、CO2の排出を大幅に削減できるという。まさに、これからの時代に求められるイノベーションの1つでしょう。
やはり、イノベーティブであり、新しい秩序を生み出すためには、ひょっとしたら無駄だと思えることも含めて、再発見をし続けることが大事なのだと思います。私が手掛けている編集工学でも、そうしたことに6∼7割の労力を割いています。
小泉
本日は大変示唆に富む、有意義なお話をお聞きすることができ、いろいろと学ばせていただきました。最後にまとめの議論のためのスライドも用意したのですが、松岡先生の溢れるばかりの知識の前には、時間が少な過ぎたようです。またの機会を楽しみにさせていただきます。本当にありがとうございました。
(構成・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)
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