民間企業の立場から社会インフラを担う各業界のキーパーソンが集結
かつて社会インフラと言えば、国や地方自治体などの公的な機関が責務を持って提供するものととらえられており、基本的に民間企業は利用者の立場にあった。
しかし、この境目は次第にあいまいになりつつある。1980年代の半ばまで社会インフラづくりの中枢を担っていた国鉄や電電公社が、JRやNTTといった民間企業となって市場で競争しながら活動しているのは周知のとおり。一方で現在の民間企業は、単なる製品やサービスの枠を超えたインフラ領域でビジネスを拡大しようとしている。
今後の企業は、新しい社会や生活にどんな価値を創出していくのだろうか。
本パネルディスカッションのモデレーターを務めた早稲田大学ビジネススクールの教授である内田和成氏は、「そんな観点から今回は、民間企業としてのポジションから社会インフラを担っている、さまざまな業界のキーパーソンに集まっていただきました」と言う。
こうしてパネリストとして集結したのが、ヤマトホールディングスの経営戦略・IT戦略担当執行役員である小佐野豪績氏、三井不動産のスマートシティ企画推進部グループ長の永矢 隆氏、日立製作所の執行役常務であり情報・通信システム社CSO 兼CIOを務める渡部眞也の3名である。
情報活用のネックとなるプライバシー問題をどう乗り越えるか
まず内田氏が切り込んだのが、社会インフラの革新で欠かせない情報活用に関する課題であり、ヤマトホールディングスの小佐野氏にこのように問いかけた。
「近年、人々の生活パターンが多様化し、宅配便を配達しても留守の場合が少なくありません。そこでクロネコヤマトの宅急便では、どの家に、何時頃に行けば在宅している可能性が高いのか、ドライバーが把握した上で配送ルートを最適化していると聞きました。このあたりの情報活用の実情についてお聞かせいただけないでしょうか」
「おっしゃるとおり、担当エリア内の届け先の在宅状況を常に把握した上で、ドライバーは配送を行っています」と小佐野氏は答える。
ただし、その情報は全社的なシステムとしてデータベース化されているわけではなく、属人化された経験値として、ドライバーの頭の中にしかないという。一般家庭における在宅時間はプライバシーに深く関わる情報であるだけに、その扱いはナーバスにならざるをえないのだ。逆に言えば、このハードルをいかに乗り越えることができるかが、現在のヤマトホールディングスの課題となっている。
「重要な情報が一人のドライバーの頭の中にしかないのでは、全社で共有化することも、引き継ぎを行うことも困難です。担当者が変わった途端にそれまでの経験値はクリアされてしまい、しばらくの間、配送効率の悪い状況が続きます。しかし実際には、やれることはたくさんあるのです。例えば、ドライバーは荷物をお届けした時点で、完了情報をモバイル端末から入力しています。これらの履歴データを長期にわたって蓄積して分析すれば、各家庭の在宅率が高い時間帯を簡単に割り出すことができます。お客さまサービスの向上と我々の配送効率の向上といった観点から、そうした情報活用がどうすれば可能になるのかを模索しています」
日立の渡部も、「日本においてプライバシーに関わる情報を活用することにコンセンサスを得るまでには、まだしばらく時間がかかりそうです」とうなずく。
一方で、世界に目を向けると光明が見えてきたことも確かなようだ。渡部が例に挙げるのは、日立が英国マンチェスター地域の国民保健サービス「NHS GM」と共同で取り組んでいる、ITを活用したヘルスケアサービス向上のための実証プロジェクトである。
広範な医療機関から収集・共有化した患者の健診・医療データなどのビッグデータを分析し、病気の予防や医療費の削減につなげていくというのが、この共同プロジェクトでめざしている最終ゴールだ。これまでの病歴や日常生活との因果関係を解明することで、一人ひとりの患者に応じた、より的確な医療を施すことができる。さらに、そこから得られた経験や知見は、同じ疾病リスクを抱える人々の健康を維持することにもつながり、生活の質の向上や医療費の適正化などの社会貢献が可能になると考えられている。
「ヘルスケア情報はさまざまなプライバシー情報の中でも最も慎重に扱わなければならないものの一つですが、英国ではそのデータを誰(患者、かかりつけ医、地域の中核病院、製薬会社など)が見ることができるのか、しっかりコントロールする仕組みができています。また、人々の間にも『自分のヘルスケア情報が医療の向上のために役立つのであれば、使ってもらってかまわない』という考え方が広く醸成されています。これが、英国で先行することができた背景です」と渡部は言う。
こうした世界の潮流は日本にも大きな影響を与えることになり、プライバシーを含む情報の適切な活用方法が見えてくるに違いない。
住みやすく、働きやすく、誰もが行ってみたい街づくり
内田氏が次のテーマとして取り上げたのは、スマートシティへの取り組みである。
「かつての不動産会社は、個別の建物づくりをはじめ、都市開発にしてもハードウェア面の整備をメインの事業としていました。それが現在ではITを駆使した地域でのエネルギー利用の効率化など、ソフトウェア面にも大きく踏み込んできています。そこには、どんなねらいがあるのでしょうか」と、問いかけた。
これを受けて三井不動産の永矢氏は、次のように答える。
「そもそも“スマート”であることの本質はどこにあるのでしょうか。我々は、建物や設備がスマート(高機能)になれば良いというのではなく、そこで暮らしている人々がスマート(快適)になることをめざしています。言いかえれば、住みやすく、働きやすく、誰もが行ってみたいと思う街をつくりたいと考えています。これはハードウェアの力だけで実現できるものではなく、人々の生活や活動をサポートしていくためのソフトウェアやサービスが、より重要なファクターになってくるのです」
三井不動産はスマートシティを推進するにあたり、まずその街の歴史や文化、アイデンティティ、暮らしている人々の属性、地域として抱えている課題などにフォーカスし、グランドデザインを描くことから始めるという。
この基本理念のもと、「残しながら、甦らせながら、創っていく」をコンセプトに独自の発展を見せているのが、日本橋スマートシティへの取り組みである。歴史と伝統、文化、コミュニティの継承、水辺の再生といった地域資源の活用を進めるとともに、そこにエリアエネルギーマネジメントや最新オフィス、ハイクラスホテル、ホール、シネコンといった最先端都市機能・技術の融合を図っていく。
「江戸時代から“商人の街”として発展してきた日本橋の街並みは今も引き継がれており、大通りから一本裏に入った路地には、創業200年、300年以上といった多くの老舗が軒を連ねています。この街を守り続けているのは、そうした老舗の旦那衆であったり、昔ながらの町会であったり、地域のコミュニティなのです。三井不動産もその一員として、この日本橋が本来持っているポテンシャルを現代に生かし、江戸のにぎわいを取り戻すことに貢献したいと考えています」と永矢氏は語る。
「そうした中で、今後ITはどのように活用されていくのでしょうか」と、内田氏は問いかけた。例えば、単体としての建物に注目するとBEMS(ビル向けエネルギー管理システム)に象徴されるようにさまざまなIT化が進んでいるが、そのサービスやメリットをいかに“面”として広げ、街全体を一つの“価値”でつないでいくかが重要なポイントになると考えられるからだ。
これに対して三井不動産が推進しているのが、新規開発プロジェクトにIT管理による大型コージェネレーションシステムを導入し、他社が所有・管理する周辺街区の既存建物にも電気と熱を供給する「自立分散型エネルギー事業」と呼ばれる取り組みだ。供給地域の省エネ性能やBCP(業務継続計画)性能を一気にバージョンアップする。
「たしかに採算性を考えれば、我々が所有・管理する建物のみをITネットワークで結んだほうが効率的ですが、それでは多様な業種の建物や商店が混在している日本橋の活性化にはつながりません。街全体が持っているパワーを底上げしてこそ、日本橋スマートシティの真価が発揮できるのです」と永矢氏は語る。
10年後の社会・生活に向けて民間企業が取り組むべきこと
10 年後の社会や生活を見据えたとき、インフラづくりを手がける民間企業が担う役割は、ますます“公”に近づいていくと考えられる。
「それがさらに進んだとき、民間企業が提供するインフラは、ある意味で公的機関を代替する存在になるのでしょか。それとも民間企業と公的機関のインフラは、今後も何らかの形ですみ分けていくのでしょうか」と内田氏はパネリストに問いかけた。
これに対して、「大きな流れとしては、民に任せられる部分は民に任せていくことが競争を促す意味からも大切ですが、電力システムやヘルスケアシステムといった大規模な社会インフラについては、やはり国が政策を通じてグランドデザインを描いていく必要があります。民間企業はその政策を一緒になって推進していくことで、イノベーションを起こすことができます」という考え方を示すのは、日立の渡部である。
「社会インフラは50年以上といった長いスパンの中で発展させていくものであるだけに、単につくるだけでなく、それをいかに効果的かつ有益に使いこなしていくかという視点が重要となります。まさにそこが官民の協調すべき部分であり、生活やビジネスの目線を持った民間企業のアイデアを生かすことができます」
一方で、公的機関が提供するインフラに、民間企業も生活者も頼り切ってきたことへの“反省”を示すのが、三井不動産の永矢氏だ。
「日本の社会インフラは世界を見渡しても類がないほど非常に優秀で、エネルギーも水も、必要なものが、必要なときに、必要なだけ供給されるのが当たり前だと、誰もが思っていました。この“常識”が東日本大震災で崩れたのです。公的なインフラに全面的に依存するのではなく、非常時には自分たちでも最低限のことは何とかできる自助努力も必要なのではないか。また、それができるのがスマートシティではないか。そんな思いもあって取り組んでいるのが、先ほどご紹介した自立分散型エネルギーなのです」 さらに、官民がよりよい形で協調していくためにも、「さまざまな規制緩和へのチャレンジが欠かせません」という意欲を示すのが、ヤマトホールディングスの小佐野氏である。
思い起こせば1980年代の半ば頃まで、荷物を送ったり、受け取ったりすることには大変な手間が伴っていた。そうした中で先駆けてITを導入し、荷物の個別管理を実現。時間指定やゴルフ宅急便など、さまざまなニーズに応えながら地域の隅々にまで浸透することで、宅急便は社会になくてはならないインフラに発展してきた。
「アマゾンや楽天などのネット通販ビジネスも、宅急便のようなインフラが存在しなければ、日本で成り立っていなかったかもしれませんね」と内田氏も言う。こうした背景にあったのが、規制緩和への絶え間ないチャレンジだったのである。
「場所に届けるんじゃない。人に届けるんだ。」というスローガンを掲げ、宅急便のさらなる進化をめざしているヤマトホールディングスが、次のステップにおける構想の一つとして描いているのが「見守りサービス」への拡大である。
「例えば、過疎地域で一人暮らしをしているお年寄りに荷物をお届けする際など、送り主の方から『ついでに様子を見てきてもらえないか』といったご要望を受けることが、実はよくあるのです。残念ながら、そうした対応は医療行為に該当してしまう可能性があるため、お応えできないのが現状です。ただ、ヤマトが単独で行うのは無理であっても、行政や社会福祉協議会などの委託を受ける形にすることで、十分とは言えないまでも、ある程度のことを行えるようになる可能性があります。“人”に対して荷物をお届けするヤマトだからこそ担っていける社会的な意義を訴え、今後も世のためとなる規制緩和を働きかけていきます」と小佐野氏は語る。
少子高齢化が進む日本が迎える成熟社会を見据え、それにふさわしい社会インフラを構築していくことが重要だ。
「効率化や生産性の向上といった側面だけでなく、心身の健康や生きがい、より豊かな生活を支えるためにITをいかに活用していくのか、あるいは活用できる環境をつくっていくのか。社会インフラを革新していく鍵は、そこにあることが見えてきました」と、内田氏はパネルディスカッションを締めくくった。
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